監督監獄監禁セラピー
第52回 お題「執着」「箱庭」
こんなの子供じゃあるまいしと抗議すれば、向かいに座るノックス医師は苦しそうに笑ってみせた。
「最近調子が良くないって聞いたわ。気軽にやってみて」
告げ口したのは間違いない。待合室で待っているトレントの顔を思い浮かべ、エイデンは顔も服もないアンとアンディじみた布製の人形3つ、そして水槽ほどの大きさをした箱と、そこに収められているミニチュアの家具を睨んだ。不機嫌をそのまま乗せた目で医師をねめ付け、傍らに転がっている赤いサインペンを鷲掴む。
夜尿症の気があった小学生の頃にもやらされたから、方法は心得ていた。あの時は普段寝ている子供部屋を再現してみてと言われたが、今回はどうだった。そう、完全な夢、或いは完全な想像について。
取り上げた一つ目の人形にペンで印をつける。5ヶ所、横隔膜の辺りから下腹にかけて。そして、一旦全て外に出しておいた家具の中から木製のベッドを選び出し、箱の中に入れる。壁へ付けるように設置した上へ、人形をぽんと落とした。
「そう、彼を辱めたんだ、きっとね」
呟けば、ノックス医師は頷きながらタブレットに文章を打ち込む。
生まれたままの姿で事後の余韻に浸る父親の肢体を見たくなかったから、と言うのが、彼女が実際に供述された内容として把握する事柄だった。正直、それは間違いなく本音だけれど、怒りが0だったかと言われれば嘘になってしまう。大体、父はあの時はシーツを被っていたし、別にプライベートゾーンは見えていなかった。
でも、そんなこと賢い目の前の女性はきっと分かっていた筈。一々口に出して言わなかっただけ──それが甘やかされている証拠なのか、それとも己を苛む苦痛の一つなのか、よく分からない。何となく前者だと思うのは、ここで受ける治療が功をなしていると言う証拠なのだろう。
2つ目の人形は箱の外へ寄り掛からせる。3つ目はベッドの上へ父の死体役と重ねるようにして。
「これはレオン。父さんとは近親相姦的な……と言うか、ナルシシズム的な愛情があった」
尋ねられる前にそう説明する。「僕の好きにして良いって言ってたでしょう」
「それは肉体的に? それとも精神的に、或いは貴方の想像かしら」
「願望かな。義兄さんは羽目の外し方が中途半端なんです。あんなオナニーしたり、女遊びしたりせずに、もっと思い切ってやればいいのに」
一瞬、父と義兄の人形、どちら上に乗せるべきか逡巡したが、そんな事はどうでもいいのだと結局すぐに思い至る。
「人形が足りないから……えっと、これはダグ」
「ルームメイトね」
「そう、自称吸血鬼。僕に興味を持っています。で、この隣は教授。同じく僕に興味を」
「お父さんのことについて? 貴方自身の人間性について?」
「事件について。教授は少なくとも。ダグは微妙……違うと良いんだけど」
テーブルセットについていた2つの椅子を、あたかもベッドの様子を鑑賞しているかのように並べる。そこに腰掛けている2人の様子を、エイデンは手に取るかの如く思い浮かべることが出来た。ダグはあの人を食ったような笑みで少し体を逸らしているだろう。教授は脚を組み、まるで下手な論文の発表を聞いているかのようにのんびりした表情。2人に見られて、父と兄はくんずほぐれつ絡み合う。
「こんなこと本当にされたらレオは怒るだろうな。勇気がないから……彼のことを嫌ってる訳じゃないんです。ただ、義兄さんは父さんと、根本的に同じ遺伝子を持っているように思えるから」
「遺伝子って意味なら、お兄さんと貴方が受け継ぐDNAの割合は全く同じよ」
「でもレオは希望を持たれていた。同じものなのに別の扱いをするなんて」
唐突に、テーブルの上へ積み上げられていた他の家具を腕で床に払い落とす。絨毯が敷かれている床の上とは言え、固く耳障りな響きへ、ノックス医師は思わず視線を音源へと向けた。
「他の人にはどっかへ行って貰う。安心して、貴女はこの中に入ってない」
「私も話の中に含まれているの?」
「そうですね。じゃあ、あそこ」
すっと指を差した天井の照明は数ヶ月前に新調された、乳白色のスープボウルを幾つも重ねたような形。何だか核兵器が落ちた後のキノコ雲みたいだなと、前から思っていた。あの中にいたら死んでしまうような気がする。白昼色と電球色の合間の色味を持つ光は炎のように熱そうだし。
「あのライトの上。あそこからなら箱の中が見えますか」
「ええ」
「隠したい訳じゃないんです」
上手く表現出来ないし、だから理解して貰えそうにないと思っているだけで。独りごちるのは、勿論心の中でだけだった。
いつのまにか横倒しになっていた、箱の傍らの人形を手に取り、だらりと垂れる手足を扱くようにして形を整える。これだけ新品、と言うか、別のセットから付け加えられたのだろう。中身は綿ではなくプラッチックと思しき粒だった。
人形はぴょんと壁を飛び越え、椅子の傍らをすり抜け、ベッドへ。いや、おかしい。椅子も飛び越える感じ。それともこの家具はもっと端に寄せたほうが良いだろうか。
無言のまま、何度も執拗に試行錯誤を繰り返すエイデンを、ノックス医師は5分程見守っていた。やがて「それは貴方?」と、穏やかな声で尋ねる。
「ううん。トレ……バークさん」
僕はどこ、と辺りを見回し、手にしていたサインペンに思い至る。
「トレは驚かないと思います……分からない……色々考えてるのに。本当に。僕には彼が分からないんです!」
「エイデン、他人の考えはそう簡単に理解出来ないものなのよ。そうしようと努めることはとても大事だけれど、完璧を求めることは不可能なの」
「そんなの不愉快です、ちっとも楽しくない!」
箱を掴んでひっくり返し、中身を全部床へとぶちまける。代わりに握りしめていた人形とペンをテーブルの上に置き、ひっくり返した箱で覆ってしまう。その上から更に守り被さるよう突っ伏した時、エイデンはこれが全く馬鹿げているとはっきり自覚していた。でも悲しい。ツンとなる鼻を啜りながら、ぼそぼそと口の中で言葉を噛む。こうして舌の上に乗せ、他人に告白するだけでも、本当は非常な苦痛だった。
「彼なら僕を理解してくれると思うんです……でも、それが怖い。僕はきっと変わってしまいます。それに、ここから出て行きたくない」
もう変わってるかも、だって出して貰えないんだから、とまで口にする勇気は、流石になかった。
待合室にいたのが彼だけなのを良いことに、エイデンはトレントへ飛びかかる勢いで縋り付いた。
「先生に嫌なことをされたんだ」
「今日の彼はいつもに増して熱心にセッションへ取り組みましたから」
穏やかな苦笑と共に、ノックス医師はトレントにそう伝えた。トレントもいつも通り鷹揚に頷き、後で電話しますと手真似で示す。
「トレ、僕言葉にしてくれないと分からないよ」
すっかり悲しみに暮れ、臍を曲げ、エイデンは男の肩に額を押し当てた。
「一言でいいから言って。僕のこと愛してるって」
「ああ、愛してる愛してる」
唇の先だけでそう嘯くラブに、意味なんか無いとしても、トレントは決して抱き止める腕の力を緩めないのだ。




