予め修正した真実
第31回 お題「ウィンク」「一目惚れ」
エイデンは大学に友達が殆どいないので(父親を殺した男が、友人を殺す可能性は、殺していない男よりも飛躍的に高いと言う訳だ)休日になると大抵の場合トレントの元へ遊びに来る。エイデンの一族に斡旋された、郊外の小さな平屋だ。それでも一人暮らしには明らかに過剰な敷地面積なので、アパートへ引っ越そうかとしょっちゅう思うのだが、せっかくタダで住めるのだからと毎回立ち消えになる。何よりも、エイデンと2人狭い集合住宅の一室へ閉じ込められ週末を過ごす自分を想像した時、何をしでかしかねないと言う懸念に襲われる──一体何を?
今日も扉を開けっぱなしにし、10年選手のカワサキを弄っているトレントに、エイデンはずっと纏わりついていた。隅っこに置いてある古ぼけた1人掛けソファに埋まり、「それを繋ぎ直すと速くなるの?」「タイヤは変えないの?」返事をするのも煩わしい馬鹿げた問いかけが、ちょくちょく投げかけられる。時々ぱしゃりと音がして、薄暗い庫内に光が瞬く。
「一眼レフにするって言ってなかったか」
「うん、最初はね。でも店でこれを見かけた時ビビッと来て、真っ直ぐレジへ持って行っちゃった」
先ほどからずっと遊んでいる白いポラロイドカメラは近頃彼がお気に入りにするおもちゃだった。舌でも出すように排出された印画紙から画像が徐々に浮かび上がってくるのを、彼はじっと見つめている。満足げな微笑みは、焼き上がりが完了した証拠だ。
「フィルム写真っていいなぁ。ちゃんと形として残る。それにこれはすぐに出来上がるから、何でもすぐ欲しくなる僕にぴったりだ」
それが良くないんだと説教しても、彼は全くぴんと来ないだろう。とにかく衝動的な男だった。父親を撃った時ですら、きっと計画性なんてものは皆無だったのだろう。酒を飲んで理性が緩んだから、ふっと思いついたことを実行しただけ。
分からなくは無いのだが、トレントの場合、若い頃、ちょうど今のエイデン位の年に、警察機関と言う巨大な組織がそれを徹底的に矯めた。鋳型に嵌めたのだ。自己は勿論、他人にもそれを強要することが職務だから。
エイデンにもまだ、挽回のチャンスはあるのかも知れない。けれど誰も彼に携わろうとしなかった。勿体無いな、と正直に思う。それなら俺が貰っても構わないよな、とも。
機械油で汚れた手をタオルで拭きながら、トレントはこの3時間で初めてエイデンに向き直った。先程撮られた写真は、既に足元へ並べてある一群の列へ加えてあった。トレントが映っているのは10枚ほどのうち3枚程。被写体はバイクだったり、ガレージの出入り口で四角く切り取られた庭の景色だったり。まばらな芝生も、傾き始めた秋の太陽も、実物より一層褪せた色をしている。
それは分かっているはずなのに、エイデンは何も混ぜ物をしないダイエット・ペプシを一口啜り、誇らしげに上目を三日月方に細める。
「ポラロイド写真は嘘をつかない。後でレタッチなんか出来ないし、ありのままを切り取るんだ。例え本人が気付かない事ですら」
偉そうに講釈を垂れ、一通りの開陳を終えると、一枚一枚拾い上げて行く。彼は撮った写真を、元々フィルムが入っていた紙箱に入れて保管する。分類方法は単純だ。撮った順で8枚分を一箱に。残りを新たな箱に。そのまま封をしてサインを書き込んでいたとしても、トレントは驚かなかっただろう。まるで犯罪現場の記録写真だった。
「アルバムへ貼ればいいのに」
「アルバム? どうして?」
「後で見返す時便利だろう」
毛玉だらけの腕置きでとんとんと写真の端を揃え、箱に滑り込ませながら、エイデンは「ああ」と呟いた。あまり要領を得ていない、あやふやな口ぶりが、一度天井へぶつかってからやんわり戻ってくる。
「見返した方がいい?」
「良いとか悪いとかじゃなくて、そう言う欲求は無いのかよ」
「そう言えば無いね。シャッターを押すのは面白いんだけど」
処置なしと天を仰ぐトレントに、エイデンは困ったように笑って見せた。
「でも、これは確信だけど、きっといつか見返したくなると思う。今度買って来るよ」
「確信」
「うん。ただ今じゃ無いだけ。言ったじゃないか、触れる形にして残すのが好きなんだって」
彼はまるでさりげなくそう口にしたが、裏には間違いなく含みがあると、緩んだ口元が教えてくれる。きっとどれだけ精巧なカメラでも、今こいつが何を考えているかは捉えることが出来ないに違いない。
内面なんていらない。好きに考えていればいい。そもそも人の考えなんてそう簡単には制御出来ない。
夕食後、居間のカウチで眠っているエイデンを見下ろしながら、トレントはしかしその考えを打ち消そうとしていた。腹がくちくなって全て面倒になり、投げやりになっている。闇を探り、力ずくなり金ずくなりで押さえ込むには、相手を知らねばならない。一応その役割を果たす為に金を貰っているのだから、キャンパスでボーリングなんかされたら困るのだ。
幸い、今のエイデンは無心。丸められた身はよく胎児に例えられるが、彼はさながらとぐろを巻いた蛇だった。噛まれたら毒のある、可愛い奴。薄く開いた小ぶりな唇のあどけなさが、空気の温度を変える。
灰皿とビール瓶に埋もれていたポラロイドカメラを取り上げる。ファインダー越しに覗いて、彼が腕枕へ顔の半分を押しつけるような姿勢を取っていると、初めて意識した。
腕を外させて背中へと回し、代わりにクッションを頭の下へ入れる時、首を微かに捻らせて、表情が見えるようにする。ほんの少しむずかるような唸りを発しただけで、エイデンは目を覚まさなかった。微かに持ち上がった顎は酸素を求めて喘ごうとし、失敗したかのよう。似たような肢体のポーズを、昔通報されて行った現場で見たことがある。窓から侵入してきた男にビニールロープで縛り上げられ強姦され、首を絞められて殺された女のボディ(死体)──本当に肉体そのものだった。今のエイデンと同じように。
出来に満足してシャッターを押す。流石に眩しいフラッシュは堪えたのか、エイデンは泡を食って飛び起きた。
「な、なに?!」
「確かに面白いな」
吐き出された印画紙を振りながら、トレントはにやりと唇を歪めて見せた。
「それに思ったより写りも悪くない」
「最近はフィルムも機械も進化してるんだって」
まだ回らぬ頭でそう答える口調は舌が回っておらず、それでも懸命に脳を回転させようと何度も繰り返される瞬きの、何ていじらしいことか。曇りの中から現れて来る、人形じみた寝姿よりも、遥かに魅力的だ。
それでもこれだって、よすが位にはなるだろう。
「これ、冷蔵庫に貼っとくか」
「冷蔵庫に? どうして」
「どうしてもさ……つまり、いつでも見られるだろう」
ウィンク、ウィンクと呟き、実際に片目を瞑ってやっても、エイデンは結局理解することが出来ないようだった。