頭から爪先まで
第48回 お題「ピアス」「お揃い」
トレントの左耳にはピアスホールがある。ティーンの頃に開けて、警察官になっている間は服務規定で着用できず、結局そのまま。もう塞がっているから、本当に至近距離でまじまじ見ないと分からない。
あんまり凝視されて居心地悪くなったのだろう。トレントは膝を揺すり、されるがまま横抱きにされ、それどころか己の首に腕を回してくっついているエイデンの意識を惹いた。
「左耳のピアスの意味は……」
「俺はホモじゃない」
「ふうん」
先程までエイデンの身体を撫で回し、唇の粘膜が充血し過ぎて破れそうになる程キスしていた癖に、そんな事を。思わず薄笑いを浮かべた後に、気付く。今の台詞が、あくまでエイデンの質問に答えただけに過ぎないと。
「トレって昔結構イキってたんだよね、可愛い」
「可愛い、ねえ」
テレビに視線を戻したトレントの口ぶりは、疲れ果てたように響く。配信サービスのボタンを押しランダムで現れた軍曹の喧しい声が、戦車について解説しているから、殆どかき消されてしまいそうだった。それにしても「タンク(水がめ)」? どうしてそんな名前を? 命の元を封じ込めて溜めておくものと言う意味だろうか。
再び、今度はもっと大きい嘆息が響き、リモコンがカウチから取り上げられる。もう幾らもせず終わる番組を、トレントは何の未練もなく暗闇の中へ吸い込ませる。
「一体どいつが、こんなもん見るって言い出しやがった」
「選んだのトレでしょ。他にも候補はあったのに」
「あー、はいはい、そうでした」
かつて似たような機構に属していたから兵器そのものは嫌いじゃないし、実際この家にも何丁か拳銃を置いている。可愛いマチズモ、いやこれは可哀想の間違いか。
退屈し過ぎてぼんやりしてきた。崩れた姿勢が腰を抱く腕で修正されないから、余計に眠気が助長される。トレントの肩に頭を凭せ、座面に投げ出されている自らの脚を漫然と眺めながら、靴を脱いでいないことに今更気付く。行儀が悪い、と思わず顔を顰めた。が、オフホワイトのありふれたコンバースの紐を解いて緩め、足から引き剥がすのが面倒臭い。緩やかとは言え、拘束されている状態だから余計に。
「お前はお坊っちゃんだもんな、ピアスもなし、タトゥーもなし」
「痛いの好きじゃないし」
「へぇ」
横隔膜から迫り上がるかのような薄笑いが、密着する身体から染み入ってくる。むっとなっても許されるに違いない。ジーンズに包まれた膝を撫でる手は、ぱしんと勢いよく叩いたつもりだが、脱力し過ぎて碌な音が鳴らなかった。
「お前は好きなんだよ、苦痛が」
「苦痛が、好き?」
あくび混じりに、「何それ、根拠は?」と言おうとしたら「この家に来て、俺に纏わりついてる時点でそうだろ」と被せるかの如く返される。
「叶わぬ恋的な話、言い出す感じ?」
「違う。恋なんてそもそも苦痛なもんだ。お前は何も感じないのか……感じないんだろうな」
「そうでもないよ」
すぐさま言い返したのは反発心からだが、言葉にすれば実際に感情が胸に迫る。
「貴方が感じるなら、僕も同じものを感じたい」
それから、一拍遅れて「きっと感じてる」と付け足した時に覚えた不安を、トレントは完全に見透かしていた。腰を腕で支え直して身を起こさせる。唇を耳元にくっ付けて囁かれた言葉に、背筋がざわざわと震えを帯びた。
「本当に何も分かっちゃいないな。俺が与える側、お前が受け取る側。そうじゃなきゃいけない」
「どうして?」
よく分からない、と思った時、エイデンが覚えるのは大抵の場合もどかしさだ。けれど今は、ただ恐れを感じる。もう一度「ねえ、どうして?」と繰り返すことが精一杯だった。
「その役割しか出来ないんだ、お互いに。逆転したら破綻する」
「嫌だよ、そんなの」
身を離し逃げようとしたら、そのままもつれるようにカウチヘ転がる羽目に。今まで座っていたのだから、へたったクッションがちゃんとある事を知っていたのに、まるで崖から真っ逆さまに落ちていくように錯覚する。思わずしがみついた手でトレントの背中に爪を立てれば、「いてえな」と笑われた。
「ちゃんと爪切れよ」
「切ってるってば」
「じゃあ後は、猫みたいに抜くしかないな」
言葉を吹き込んでは耳の軟骨に歯を立てられ、ざわめきがいつまで経っても治らない。何よりも困惑するのは、さっさと彼を突き飛ばして距離を置かない自らの従順さだった。
「今度俺が開けてやるよ。耳たぶがいい、右側の」
「痛いの嫌だって言ってるのに」
「痛いのなんかまばたきする間だけだ。お前はいつも、その一瞬に拘り過ぎなんだよ」
想像へ、トレントは明らかに興奮している。耳を噛む仕草は一層執拗になる、このままでは数日跡が残るだろう。歯型を刻まれたり引っぱたかれたり、唇で鬱血を作ったり、これまで彼に身体へ何らかの傷を付けられたことは多々ある。でもここは余りに目立つ。
どうしよう、と思う時点で、彼を愛していないのかも知れない。悲しくなってもどかしくて、また背中をかりかりと引っ掻いていれば、トレントは喜びを増すばかり。唾液で濡れた肌を打つ笑い声は不快だ。貴方の方がよっぽどマゾなんじゃないの、と言いそびれたのは、でも確かに、彼は触れられると凄く心地よい己を自覚しているからだった。
触れると言うことは最も原始的なサディスティック行為。心理学の本で読んだのを思い出す。重なる4本の脚をさらに絡み合わせる勢いで肘を擦り付け、エイデンは逞しい肩越しに己の身体の末端を見遣った。珍しく、トレントもスニーカーを履いている。コンバース、ローカットのありふれたものである所まで同じ、違うのは色だけだ、彼の場合は黒。
「逆転したら破綻するんでしょう、じゃあ同じになるなら……」
往生際も悪くそう訴えかけたら、文字通り言論封殺、顎を掴まれて唇を重ねられる。いきなり舌を絡められて窒息しそうだった。
頭がぼうっとなるのは気持ちいい、と言うか、こんな状況になると、もう何もかもがどうでも良くなる。真上の鼻息が少し不機嫌そうな音色になった事は気にかかるが、結局思考を放棄し、エイデンも激しい口付けに没頭した。




