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粧いの無い生活

第45回 お題「女装」「ハイヒール」

 トレントと自分の父親が何をしていたか知らない訳でもあるまい。当時だってエイデンはもう、無垢な幼子とは言い難かった訳だし、何せあの男は特にケツヘものを咥え込んでいる最中、かなりうるさかったから。

 にも関わらずあの青年は、父親が羽目を外していた様子を知る事について、かなりの拒否感を持っている。それが父親の女性的な側面を露わにするエピソードとなると、ことさら強い嫌悪を抱くようだった。

 差別的だな、と笑えば、エイデンは僅かに強張った、剥きになっているような表情のまま首を振る。

「それが普通だよ。親の喘ぎ方の音階を知りたいなんて思わないのは」

 トレントも、その写真は今初めて見た。30手前位の若さ、もうレオンの母か、下手をすればその次の妻と結婚していたかも知れない。だがパーティー会場にひしめくのは、間違いなく同性愛者ばかり。エイデンの父以外にも、異性装をした人間がちらほら写っている。

 レオンは比較的父親の血を受け継いでいると思う。あくまでエイデンに比べてと言う意味だが。男性的で角張った輪郭は、80年代のマドンナみたいな金髪のカツラ、こってり塗られた白粉や、三重の付け睫、真っ赤な口紅を凌駕する。女性どころか女性的、と言う存在にすら程遠い、性別の概念から逸脱した存在に見えた。ドラァグクイーン程も完成度が高くないのは、技術の拙さと言うよりは逃げなのだろう。どんちゃん騒ぎで羽目を外しているだけなのですよ、これはおふざけで本気では無いのですよと言い訳する為の。銀色のラメドレスも、太い足首を何とか支える服と揃いのハイヒールも、明らかに浮かれ過ぎで安っぽく、いっそ自棄くそじみて見えた。

 エイデンが実家から持ってきたアルバムは和楽の家族を記録する為ではなく、そう言った個人的な写真を隠しておく為に使われていたのだろう。

 奴が期待していたような、トレントの写真が無かった事については、ご愁傷様という他ない。トレントがベッドへ引き込まれた頃には、つまりほんの数年前の事だから、スマートフォンで写真を撮るのが当たり前になっていたし、大体彼はあの男に警告していたのだ。写真なんか撮りやがったら2度と抱いてやらない。普段の地位が逆転し、粗野な若者から命じられると、あの男は涎を垂らしそうに表情を蕩けさせたっけ。

 エイデンにもあらかじめ伝えてはおいた。なのに「もしかしたらヌード写真の一枚くらい、こっそり撮ってたかも知れないよ?」と往生際も悪く挑戦したのを好きにさせたのが、この結果だった。自業自得だ。だが流石に、あんまり難しい顔をし続けるのを眺めるのにも、いい加減飽きてきた。ただでもエイデンは神経質で、眉間に皺を寄せる癖がある。可愛い顔立ちの中に、一本の縦皺が刻まれるのは余り良いとは言えなかった。

「裏のライフスタイルって奴だね。この頃からもう……レオが見たら失神するかも知れない」

「あいつはそんなガキじゃないさ」

 なら僕はガキなのとでも、不貞腐れた文句が返ってくるかと思いきや、エイデンは無言で考え込んでいた。

 トレントが2人分のコーヒーマグを片手に居間へ戻り、隣へ腰を下ろしてからも暫く、だんまりは続く。カウチが再び軋んだのは、テーブルからマグを取ろうとして手を伸ばした際、アルバムが滑り落ちるのを防ぐだった。膝の上に押さえ付ける為、ばしんと乱暴に手のひらを叩きつける音は鋭く響く。トレントは一瞬、エイデンが動きを止めようとしたのではなく、その物体を罰する為に打擲したのではないかと思った。

「このハイヒール、僕実物を見たことがあるよ。父さんの寝室のクローゼットに放り込んであった」

 自分の手で隠される形になった写真がまだ見えているかのように、俯いて凝視しているから、伸ばされた反対の指先は空を切る。トレントは黙ってマグを取り上げた。

「誰に見られても平気って感じで、ほんと無造作にね。てっきり、母さんよりも前の奥さんの持ち物だと思ってた……あの頃から嫌な気分にはなったけど、まさか父さん本人が履いてたなんて」

 熱くてすべすべする陶器が手のひらに押し付けられた時、エイデンはようやく、ゆっくりとした動きで顔を持ち上げた。煉瓦色の瞳に渦巻く暗い炎が、トレントをどれほど高揚させるか知らないなら、こいつはまだまだ只のガキだった。

「父さんは、僕がそれを引っ張り出して遊んでた時、笑ってたんだ。彼は温厚な人で、そんな風に感情を爆発させるなんて滅多にない事だったから、僕、何回もやって見せたよ。大きな靴を裸足で履いて、滑り台みたくずるっと滑るんだ。その度に父さんは腹を抱えて……」

 レイシズムではなく、単に好みの問題で、女の格好をして男を誘う連中にムラつくことは無い性質だと思っていた。けれどトレントは、今すぐ目の前の青年に無理やりハイヒールを履かせ、犯してしまいたいと考えた。嫌がって泣き叫ぶのを力尽くで抑え込むのは難しく無いだろう。

 ついでにドレスを着せてやってもいい。写真で彼の憎む父親が着ているような、悪趣味で安っぽいドレスを。どうせすぐに引き裂いてしまうのだから、こう言うぺらぺらの布地と粗雑な縫製は逆にうってつけだった。

 裾が捲れて下半身が露わになるほど、すんなりした脚がばたばた暴れ、身体中を蹴りまくってきても構うものか。相手を押し退け走って逃げる事は出来ない。踵の高い靴は動きを制限させる。

 平静ではなく、己よりか弱い存在を手にかけるのは簡単だ。なのに手を出さないのは単に怠惰なのか、それとも。

 アルバムを無造作に床へ放り出すと、エイデンはトレントの膝に乗り上げた。結局殆ど飲まずにテーブルへ戻されたマグカップの熱を残し、触れる手のひらは取ってつけたように熱い。頬に触れてくる時、一瞬身震いした己へ、トレントは内心舌打ちした。

「トレの前で、父さんはこういう真似をしなかった?」

「女装は俺の趣味じゃない」

「ふうん。貴方に合わせてたんだ」

 エイデンは笑った。鼻先で軽やかにやってのけようとしたのだろうが、結局失敗している。結局未熟者は、本気で取り組まないと完遂できない。冷たい怒りは特に制御が難しいと、トレントはよく知っていた。

「残念だけど、僕はあの人と違うよ。自分で変わったりはしない。僕をどうにかしたかったら、貴方がやって。捻じ曲げて、壊して、作り替えてよ」

「傲慢な坊ちゃんだな。お前、自分が人に愛される資格なんかあると思ってるのか?」

「トレは僕のこと愛してないの」

 答えの代わりに唇を与える。何度も交わされる口付けの合間「お前は着飾らなくても綺麗だよ」と囁いてやれば、それは本心だったのに。さっきまで望んでいた本気の反発が、掴んだ腰の捻れから感じ取れ、トレントは思わず喉の奥を機嫌良く震わせた。

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