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制限付きのデウス

第30回 お題「長袖」「秋の匂い」

動物虐待を示唆する描写がありますのでご注意下さい

「自分のことを全能で、完璧に規律から自由だと思ったことはある?」

 エイデンの問いかけに、トレントはごく僅かに肩を竦める事で、質疑の馬鹿らしさを教える。

「ない。そんな風に考えていたら、ミスった時にとんでもない頭の打ち方をする」

 久しぶりの帰省は、彼に無理矢理連れて来られる形で実現した。本当に、遠慮したのだ。「偶には帰ってこい、ここはお前の家なんだから」異母兄のリップサービスを鵜呑みにするほど、エイデンも子供ではなくなっていた。まあ実際、義兄は自らのことを嫌っていないのだろう。弟に然程迷惑をかけられては居ないから。父の死で予定よりもずっと早く会社を継ぎ、手にした権力を意気揚々と振りかざすのが、全く楽しくて仕方ないようだった。

 今日も呼びつけておいた癖、イェール・クラブの友人とスカッシュに行っているから夕方まで帰って来ないとか何とか。父の存命時から雇われているハウスキーパーが睨みを効かせる家は、来客のどちらにとっても居心地が悪い。

 当てどない庭の散策にバドの小瓶を携えていたところで、今日ばかりはめくじらを立てられなかった。肝臓の数値は端から正常だったし、精神的な依存も大いに軽減されている。そもそもトレントは、ビールをアルコールだと思っていない。

「とんでもない頭の打ち方をする」

 さくさくと踏みしめる厚い枯れ葉へうずめるよう、エイデンはそっと繰り返した。言っていることに理解や納得が出来ないけれど、したいと望む時は復唱しろ。望まない時は尚更のこと。そうすれば脳へ蓄積される。次に同じシチュエーションへ遭遇したら、その記憶を引っ張り出して真似をすればいい。保護観察処分になり、親族からお守り役を押し付けられたごく初期の頃、トレントがエイデンに課した基礎訓練の一つだった。早くも自らの中で習慣になりつつあることへ安堵するし、少し嬉しい。

「ただ、周りが馬鹿だと感じていたことはあった。案の定、とんでもないしっぺ返しを喰らった」

「どんな?」

「内部告発、査問会、懲戒免職、年金受給資格剥奪」

 まるでメアリー・ポピンズの唱える呪文のようだった。これはさすがに舌を噛みそう。乾いた唇を潤すように瓶を傾ける。実は彼が迎えに来る前、ブランデー・ジンジャー、と言うかヘネシーVOとカナダ・ドライを半々で割ったものを3杯くらい飲んでいるのだが、インパラの助手席へ収まっている時も、こうやって肩を並べて歩いている時もトレントは特に何も言って来なかった。まさか気付いていない筈はない……と、思う。

 自分の酒臭さは分からない。アルコールで充血した鼻の粘膜は敏感になり、湿り腐った土と木の匂いにちくちく刺激され続けているのに。一つくしゃみを零せば、未だTシャツで平然としているトレントは、大仰に眉を吊り上げてみせた。

「どんだけ寒がりなんだよ」

「もう10月だもの」

 ごく薄手のサマーセーターは確かに市街地にいた時は少し汗ばんだが、今は丁度いい。ひんやり頬を撫でる雑木林の中の空気に、思わずエイデンは目を細めた。

「警察の年金なんかどうせ雀の涙でしょう。僕が義兄さんに掛け合って、もっとお金を払わせるよ。そうすれば酒場やストリップバーで用心棒する必要も……」

「十分貰ってる。それに、仕事は好きでやってるからな」

 遮られる語調は有無を言わさない。何だか締め出されたような気分だ。胸が悪くなる。こめかみから眉間にかけてを圧を掛けるような、腐葉土の放つ臭気と同じくらいに。

 もう暫く歩いて、お気に入りのアカガシワの木まで辿り着く。秋晴れの空を隠してしまうほど広がる赤い葉は今が一番美しい色味。まん丸く艶々したどんぐりがぽろぽろと根元へ転がっている。もしかしたら芽吹くかも知れない。この辺りの土は肥沃だ。

「ここに少なくとも10匹は」

「猫か」

「うん。いや、アライグマもいた。あれは最初から死んでたけど」

 どれも相当深く埋めていたから、他の動物に掘り返される事もなかった。

「別に毎回金槌で叩いたりしてた訳じゃないよ。僕、牙が欲しかっただけなんだ。猫の牙って可愛いと思わない? 何だかツヤツヤしてて、綺麗だよ」

「思わない」

 これは譲れないので、素っ気ないトレントの言い草を繰り返す事はしない。

「猫は嫌いだっけ」

「そう言う悪戯はとっくに卒業した」

「悪戯?」

 思わず笑ってしまう。その昔、庭へフンをするし夜中ににゃあにゃあうるさいし子供を産まれたら困るしと父に言われ、腹の膨らんだ野良猫を捕まえてバケツの水に浸けていた事が、悪戯の範疇なのだろうか。

「猫を殺すのは簡単だったよ。何の抵抗もしないから、僕の自由に出来た」

「あーそう」

「今は僕が抵抗してる。自由でもない……それに、ちょっと難しい」

 袖を捲って見せつけた左の手首には、文字盤の大きなダニエルウェリントンと、太い輪ゴム。先程車の中でずっと弾いていた名残で、まだうっすらと赤い痕が残っている。カウンセラーが教えてくれたストレス・コーピングは、気休め位にはなった。

 まるで新しい船出を祝福する為舳先へぶつけるよう、空になったビール瓶を木の幹に投げ付ける。割れないかもと思ったが、幸い茶色いガラスは粉々に砕けた。これで一層、ここへ近付こうとする人間はいなくなるだろう。

「何でも出来るって信じたいな。未来ある若者としてさ」

「親父さんのベッドへ向けてコルトをぶっ放した時点で、お前の未来は閉ざされたんだよ。後は余生だ」

「閉ざされた……余生? そんなの寂しいよ」

 悲しいと言おうと思ったのに、何故かエイデンはちがう単語を舌に乗せていた。酩酊は既に醒めようとしているはずだが。秋は寂しい。人並みの感慨を持てることに感謝を。ぶるりと身を震わせれば、更に濃い湿り気を鼻が嗅ぎ当て、まとわりつく。

「何だか吐きそうになってきた」

 溜息をついたトレントはてっきり踵を返すものかと思った。だから背後から肩へ腕を回された時は、思わず身を跳ねさせてしまう。

「暫くここにいよう」

「帰ろうってば」

「俺がいたいんだよ」

「どうして」

「どうしてもさ……大丈夫、一緒にいてやるからな」

 彼がじっと、大木を見つめていると、触れ合う頬の当たり方で知る。無骨な指でニットの袖が引き下ろされ、少しだけ気分が落ち着いた。今夜のディナーでは良い子のふりをすると言う意味も含め、アルコールは一切断ろう。明日も、明後日も、暫くは。別に飲まずともやっていられるのだから。

 そう、己を自由にすることは、別に難しくも何ともないのだ。

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