ポットの中の嵐
第41回 お題「炬燵」「鍋パ」
登場人物が第三者と性的関係を持っていることを示唆する描写があります、ご注意下さい
「何かの映画でチーズ・フォンデュを性的な事の暗喩だと思い込む童貞の主人公って話があったよね。そう言うの僕嫌だな」
小さな鉄製の鍋を温めるシングルバーナーを見つめ、エイデンは鼻を啜っていた。ダウンジャケットを着ていたが、扉を全開にしたガレージは寒い。
目の前でチーズを溶かしながら食べる加熱調理器など、トレントは他に持っていない。わざわざ買いに行くのも面倒だとなった時、なら夕飯は他の料理にしようとならない辺りが、やはりこの青年の脳の回路に少しおかしなところがある証左に思えた。
彼に去年買った、新しい薄手のユニクロ製ジャケットを貸してしまったので、鍋をスプーンでかき混ぜるトレントは古びた山岳用のアノラックを身につけている。警官時代から愛用していたものだ、もしかしたらこちらの方が暖かったかも知れないと、先程からひっきりなしに踏み合わされているスニーカーの爪先を見て思う。だが自業自得だ、これがしたいと言い出したのは他ならぬエイデンなのだから。
「寒いなら、家からタオルケット取ってこいよ」
「いい」
フランスパンをちぎってバーベキュー用の串に突き刺し(これも代用品だった)エイデンは首を振る。
「食べ物をセクシャルに扱うなんて、あんまり良くないと思う。それに……それに……あれ、『キャプテン・アメリカ』だった。嫌いなんだ。ナチュラルに保守的だし。『アメリカ』じゃない外国の事は笑い物のネタにして良いと思ってる感じとか」
昨日からエイデンが家に泊まりに来て、屈指の長い台詞に思える。いや、きっと、彼はもっと己に沢山話しかけていたのだろうが、まともに聞いていなかった。
それに、彼の意見には同意しかねる面も多い。半分はヒスパニックの血が入っている金持ちのエイデンには虫が好かないのも理解できる。だが貧乏白人の家庭に生まれたトレントにとってキャプテン・アメリカは特に悪いものと考えられなかった。何となく、規範のようにすら感じられた。これは良い事、これは悪い事、あのキャップが言うなら間違いないのだろう。その手の識別法について兎角間違いがちだったトレントは、綺麗事を鼻で笑いつつも、ある程度の敬意を払っていた事は事実だった。
大体、溶けてぐつぐつと柔らかくなったチーズは、何か卑猥な物のように見えなくもない。細く糸状に伸びるのを、癪に障ったように指先で切った時、絡みつくのをしゃぶって歯でこそげ取るエイデンの懸命な仕草。彼はまだ稚気を帯びた膨れっ面で、上目遣いを作る。
「スパイダーマンが最近、白人じゃなくてヒスパニックになったのは救い」
「別にお前だって半分はホワイトなんだから、そんな臍を曲げなくても良いだろ」
「でも僕の顔を見て白人だと思う人はいない。みんな名前だけ聞けばアイルランド系だと思うから、実際見た時の衝撃が普通より強いみたいだ」
「俺はお前のその肌の色が好きだよ」
焼いて切り落としたステーキ肉をチーズに落とし、トレントは答えた。
「綺麗な小麦色じゃないか」
もう少し嬉しそうにしたり、照れるなりすれば可愛げがあるのに、エイデンは益々むっすりした表情を深める。
嘘は言っていない。眠っている彼の項に己の手で触れた時、薄暗がりの中で浮かび上がって見える二つの色の差は、トレントには酷く興味深く感じるのだ。有色人種と寝たことはこれまで数え切れない程あったが、エイデンは連中の誰とも違う。何が、とは上手く説明出来ないが。何なら、青年の服を引き剥がして、その肌の上に片っ端から己の手を置いて見たいと思う時すらある。
或いは逆でもいい。エイデンの子供っぽい造作をした手が、己の身体にぽとりと、遠慮がちに乗せられている様子。そう、きっと彼は躊躇うだろう。その穢れた初心を、トレントは好んでいた。もう一つ肉を鍋の中に落とす。チーズはもったりと波打ち、程良くウェルダンの一切れをとぷりと飲み込んで行く。
きっとあの教授は、そんな事を考えない。あれは多分、教え子に手を掛けると言うマウンティング行為の一種だ。或いはコレクションの一つとして扱っているのか。トレントが見ている事も知らず、車から降りざま、自らの師の頬にキスしていたエイデンの仕草。まるで幼い頃から洗脳されて、社会的規範に則った行為を強要されているとも知らないような、自然な行為。
見ていたと言っても、きっとエイデンは一通り気まずげな笑みを浮かべるだけで、然程響かないだろう。トレントも気にはしていない。別に他の奴と寝てはいけないなんてルールは2人の間になかった。
ただ、何となく想像したのだが、エイデンがあの男に捕まって標本にされ、書斎などと呼ばれる豪華な部屋に飾られている姿を。その時きっと、彼の肌の色はすっかり青白くなっているだろう。ホルマリンによって脱色される、綺麗な小麦色。
「違うってば、トレ」
不意にエイデンは、何も刺さない串を鍋に突っ込み、乱暴に掻き回す。
「あらかじめ入れるんじゃなくて、一回一回刺して、浸して絡めて食べるんだよ」
しばらくの奮闘の後、先程トレントが放り込んだ肉は、何とか探り当てられる事に成功する。茶色の肉へべったりとまみれる白いチーズ。熱そうに、だが一口で食べたエイデンの唇へも、うっすらと粘ってこびりつく。
「インターネットでは、キャンプ料理として最適ですって書いてあったけど、絶対間違ってる……家の中でやりたいな」
「またする気なら、自分で固形燃料でも買って来いよ」
「そうする……ああ、きっと炬燵と合わせれば最高だろうな」
「コ……何だって?」
「さっき話したじゃないか。テーブルに布団が付いてるんだ、東洋のどこかの家具だって。絶対温かいよ」
ああそう言えば。まともに聞いていなかった話題が、あぶくのように記憶の中から浮き上がってくる。確か己はあの時、こう言ったのではなかったか?「布で見えないなら、相手の足を蹴りそうだな」
本当は、絡み合せていちゃつきっ子するのかも、と言おうとしたのだが、何となく口にしなかった。
でも電熱器が付いているなら、暑苦しくてとてもそんな事する気分にはなれないか……何だ、意外と覚えている。新鮮な気分だった。口の中で独特の獣臭い味を強く感じる。
「ああ、落としちゃった」
目の前ではエイデンが、鍋の中で串から外れたトマトを探し回り、顔を顰めている。吹き込む北風に撫で切られ、ふっくらした頬はすっかり赤く染まっていた。




