Lying Is The Most Fun A Girl Can Have Without Taking Her Clothes Off
第40回 お題「スノードーム」「二人きり」
事後描写、登場人物が第三者と性的関係を持っていることを示唆する描写、並びに不倫描写があります、ご注意下さい。
教授にレポートを見て貰う。引用した『エコノミック・ジャーナル』誌に掲載の論文は古いので違う資料を探した方が良いとアドバイスされた。その後は大学から車で30分のトラットリアでサッカーの話をしながら夕食を食べる。彼の息子は小学生の頃とても良いMFだったらしい。腹もそこそこ膨れ、夜も9時を回った頃、家へ連れて行かれる。奥方は出かけていると言う。「今日も、昨日も、恐らくは明日も」。それがベッドルームでのほぼ唯一の会話。すぐ服を脱いでセックスする。まずは接吻から始まる、穏やかなセックス。
60を超えたら、そうしょっちゅう盛るのも億劫だと常日頃から公言している通り。教授にベッドへ誘われることは滅多にない。やるにしても何だかルーティンじみている。
エイデンとしては別に構わなかった。教授は快活で教養深く、話し上手なのに弁えているから、裸じゃない方が寧ろ楽しい。それに火遊びは心得た学生のみ、卒業式の日に笑顔で握手してお別れ式のレオナルド・ディカプリオ型の気軽さもまた魅力的だった。
終わった後、先にシャワーを借りて服を着るのはいつもエイデン。勉学へ向き合う姿勢はだらけているのに、ベッドではキビキビしてるんだなと笑われて、思わずこちらも薄笑いを返す。教え子が手袋を、まだシーツの中で欠伸していた教授がナイトテーブルに置いていた結婚指輪を、嵌めたのはほぼ同時だった。
ベッドから降りて以来、エイデンは一度も相手の方を振り返らず、壁に掛けられた額縁を眺めていた。この前来た時にはなかった絵だ。ディズニーの『白雪姫』に登場する7人の小人が森を抜け、家路へと向かっている。あの有名な「ハイホー」が歌われていた場面だ。
「息子さんの絵ですか」
「いいや、ジョン・ウェイン・ゲイシー」
また一つ大きな欠伸を零しながら、教授は答えた。
「本当は風景画が欲しかったんだが、近頃Netflixで底の浅い犯罪ドキュメンタリーが濫造されてるから、この前のサザビーズのオークションでも馬鹿みたいに高騰しててね」
「ゲイシーってピエロばっかり描いてたのかと」
「あれは露骨過ぎる」
露骨と言えば教授の態度もそうで、多分本当はまだ帰って欲しくないのだろう。何回か「妻に会わないか」と言われたが、毎回色々理由をつけて断っている。当然の話だが。そんなに嫌なら離婚すればいいのにと思うものの、話を聞いている限り両者とも非常に消極的な態度を取っているらしい。
「まだあるぞ。そのレコード・プレイヤーに掛かっているのはドロシア・プエンテの刺繍だし、本棚にある山の絵はハーバート・マリンが描いた」
「すいません、芸術にもシリアルキラーにも疎くて……」
「それが普通さ。家内には言うんじゃないぞ。全部救貧院ののチャリティーで手に入れた物だと思ってるんだ」
「僕、奥さんと顔すら合わせたこと無いんですよ」
青系統の色を塗り重ねて描かれた、抽象的なタッチの山嶺の隣には、至ってシンプルな木製の写真立てが数個並べられている。金髪の美しい女性と愛くるしい笑みを浮かべた子供達。皆スキーウェアを身につけて、健康そうだ。夫をこんな精神状態にしておくなんて、とても信じられない。
「個人的な意見ですけど、芸術は余り精神を癒す役には立ちませんよ。僕も昔、粘土を捏ねさせられたりクレヨンと画用紙を渡されたりした時は、退屈でしょうがなかった」
「それはお父上の事があった後?」
「前です、小学生位……6歳くらいまで夜尿症の気があったので、心配した母に週一回、発達心理学の先生のところへ連れて行かれてたんです」
背中に目がついている訳ではないが、やたらと視線を感じるので、思わず振り返る。案の定教授はこちらを見つめ、顎を撫でながら考え込んでいる。灰色の髭に埋もれているものの、彼が口元に笑みを浮かべていることは一目瞭然だった。
「成程、興味深いな」
薄気味悪いものに囲まれていると、何だか自分が紛い物になったような気がした。多分、たかが人を1人、しかも酒に酔った勢いで殺したような人間は、何十人もの青少年を家の床下に埋めていた狂人とは格が違うのだろう。別に「本物」になりたいとは朧げにも思えないが、酷い羞恥を覚える。思わず体の前で手の甲を、反対の手の指先の柔く擦る。茶色い安物の手袋は年季が入っている割に、手入れも碌に施されていないのだろう。合皮はすっかり乾燥して今にもボロボロ剥がれ落ちそうだった。週末に、トレントの家から勝手に持って帰ったものだ。無骨で分厚い造りの彼の手に伸ばされたのか、指周りも手も全体的に緩いような気がする。
「今週の土曜日、知人の遺品がオークションに掛けられるんだ。君も見物に来ないか」
「昼間なら……夕方からは知人に会う予定があるので」
「ああ、彼か」
きらりと、加齢によって水色に近くなった瞳が、暗がりの中で好奇心の輝きを帯びる。
「君は彼のことをとても愛しているんだな」
「ええ……」
「気にしないさ」
そうじゃないんです、と言おうと思ったが、先程喘ぎを抑えるのを我慢した喉は詰まったように感じる。握り拳に付随する手袋がきゅっと軋んだようた響きを上げる。散々尻を弄られ、好き放題身体を触られて、それでもまあこちらもちゃんと性欲を発散出来たのに、トレントへ会いたくなった。寧ろ、興奮が取り除かれたからだろうか。部屋の空気同様、頭の中は冷え冷えしている。
「奥さんは来ないんですよね」
「君が構わないなら連れてくる」
「やめて下さい」
冬の夜風が窓を叩き、恐ろしげな音を立てている。来週は雪になると言う。写真の群れの傍らに並べられた、カナダ土産らしいスノードームを取り上げ、くるりと回して吹雪を作る。ガラスの球体の中の水はそこまで冷たそうに見えなかった。雪だるまとサンタクロースの距離感は今にも肩を組みそうなものなのに、無表情が全てを台無しにする。それでも、彼らがドームの中から出て行きたがっているようには到底見えないのだ。
「またテキストしますね」
「泊まっていけば良いのに」
「奥さんの寝る場所が無くなるじゃありませんか」
心の底からの気遣いでそう口にしたにも関わらず、とうとう教授は吹き出した。
「君が居間のソファで寝るんだよ!」
その週末、教授とオークションに行った。教授はスクール・シューティングを起こした犯人が獄中で作った小さな作品を競り落とした。その後は中華料理屋で飲茶を洒落込む。何でもその「アート」を作ったのは台湾系移民だったらしい。落ち合う前に食べたビッグマックが腹に溜まって碌に箸を付けず、4時過ぎに63番通りのスターバックス前で降ろして貰う。「明後日の講義は遅刻しないように」。それが助手席のドアを閉める直前に教授と交わした会話。外套を脱いだだけで、セックスはしなかった。
25分後にインパラが店の前に滑り込む。車に乗り込んで、トレントに接吻される。まるでセックスを始めるような、荒々しい接吻。
外套を脱いだだけで、セックスはしなかった。




