血よりも濃くしてやる
第37回 お題「兄弟」「約束」
父親を撃ち殺して警察に連れて行かれ紆余曲折。治療を受ける事が決まった時、初回のカウンセリングにエイデンを連れて行ったのはレオンだった。弟の方は大学を休学して実家に戻っていたし、兄も故人からの業務の引き継ぎが漸くひと段落してきた頃だったから、息抜きがてらベンツでのドライブ。
「その時、義兄さんが言ったんだ。『今度はちゃんと、上手に人を愛するんだぞ。それさえ出来れば、お前は完璧なんだから』って」
半分しか血の繋がっていない兄の話をする時、エイデンはいまいち飲み込みきれていないような口調を作る。いや、最近はそこに、申し訳なさそうな音色も混じるようになったか。
愛され慣れているので、賞賛は素直に受け取る性質の青年だ。なのに同じものを相手に与えることが出来ない。そのまま鸚鵡返ししてりゃ良いんだと、これまでトレントは何度も言い聞かせたが、やはり分かったのか分かっていないのか判別出来ない表情で曖昧に頷かれるだけ。特に今は、短くも執拗に繰り返された接吻のせいで充血した唇がうっすら開き、目つきも気怠げにとろんと澱んでいるから、余計響くものがない。
これで2人の間に愛があるのだと思い込んでいるのだから、全く馬鹿げている。せめてもっと嬉しそうな顔しろよと言う代わりに、トレントはすべすべした相手の頬に指の背で触れた。すぐさま、エイデンは自ら擦り寄ってくる。不健康な火照りと、不自然な柔らかさ。まるで息苦しさを感じているかのように顰めた眉との不均衡が気味悪い。実際、エイデンの舌はもたつく動きで「きつい」と呟いた。
「上手にって何。レオだって女の人と付き合っても全然長続きしないのに」
「言葉の綾だ。これ以上、サリヴァンの名に泥を塗るなって意味さ。拳銃を振り回したりしてな」
「もうそんな事しないよ。部屋にはスタンガンすら置いてない」
無害な部屋へエイデンを送り届ける道すがら、立ち寄ったショッピングモールの屋外駐車場は暗い。だだっ広い空間を走り抜ける夜風は、ひび割れたアスファルトの隙間にまで浸透しそうな勢いで途絶えることがない。強く、弱く、先程交わしていた口付けのようだ。
2人の間にも吹き荒ぶものがあると確かに感じたのだろう。トレントが羽織るボマージャケットの中へ潜り込むようにして、エイデンは一層身を寄せてきた。インパラのボンネットに尻がぶつかって硬い音を立てるのは、ジーンズのポケットに入れたスマートフォンのせい。ショッピングカートを押して いる間にも何回かバイブレーションしていた。多分、レオンからの着信。ちゃんと弟を送り届けたか、我儘を聞いて家に泊めてやっていないか確認したいのだろう。全く過保護なことだ。
なるようにしかならないからそうさせているだけの話だった。明らかにサリヴァン家は、エイデンが父親の愛人を相続したのを喜んいない。レオンだって、まだ父が蒐集していた、宝石で象られた動物のオブジェについて争った方が幾分マシだと思っていることだろう(エイデンがこの高価なコレクションに関する権利を放棄する旨記載した書類に署名したのは、まだ結審の前だったと聞いている)
数週間に一度、実家に呼びつけたり、今日みたいにお高いレストランで飯を食ったりと、レオンは何かにつけて弟とコミュニケーションを図ろうとする。その度いけしゃあしゃあと同行するトレントを、最近はもう彼も、まるで置物の如く呈良くあしらったり、適当に無視したりするようになった。彼なりに順応しているのだ、真のハイライフという奴に。そういう意味で、エイデンやトレントの方が、この手の振る舞いには遥かに適性があった。
「だからね、僕はレオの言う事を聞くよって答えた」
顎の辺りをふっと滑るスパニッシュ・ワインの甘さ。生ぬるい吐息と共に提供された話題がどこから続いているのか、トレントはかなり記憶を手繰り寄せねばならなかった。
「その代わり、彼にお願いしたんだ」
「可愛い弟の特権をフルに活用したって訳だな」
「トレの人生を滅茶苦茶にしないでって。ちゃんと慰謝料も払って、脅したりなんかせずに、貴方が恙無く生活できるようにして、困らせないでって」
恙無く、なんて単語は大学で覚えてきたのだろうか。彼はここのところ、少しだが無気力を脱して、学ぼうとする意欲を見せている。今も見守るトレントの顎に自ら頬を擦り寄せ、媚び甘える仕草を作る。男のツボを心得ている。特に、相手へちょっとばかし興味を抱き、考えなければならない事が出来て気もそぞろになっている男の。
「義兄さんは受け入れてくれたよ」
「俺に恩を売ろうってのか」
「違う。ただ、保証が欲しかったんだ。だって、貴方を困らせる事になるのは、僕かも知れないんだから」
顎を摘んで仰けさせた時、エイデンは笑っていた。今にもがらがら音を立てて仮面が崩れ、泣き顔を露出しそうな顔で。本人はスマートに軽口を叩いたつもりでいるのだから、余計に惨めだった。
青くなり震える唇に、寒いのかと尋ねる事をトレントはしなかった。そんな事教えてないだろう、と呆れ返りたいのも山々だったが、それすら飲み込む。
「馬鹿だな、お前」
笑うとは、こうするのだ。痩せているが案外骨格のしっかりしているエイデンの身体をぐっと抱き寄せ、教え込む。これだけ至近距離なのだから、喉の震えを、文字通り肌で感じ取ることが出来るだろう。
「お前は頑張ってるじゃないか。そんな事する訳ない」
「分からない……」
「お前如きが、俺を困らせるなんて100年早いって言ってんだよ」
指の間で、ふにっと柔らかい肌が動く。本当かな? と訝しげに小首を傾げられると、少し心が揺れる。忌々しさで無理矢理塗りつぶし、トレントは夜気を吸い込んだ茶色い髪越しに、エイデンのこめかみに鼻先を押し付けた。
「大体、お前の兄貴が俺達をどうこう出来るかよ。一年前だって右往左往して、結局全部の手続きを伯父さんにやってもらってただろうが」
うーん、と低い呻きはむずかり半分、同意半分。自分は彼のことを「少し頼りない」と明言する癖、他人が貶すと気分を害するのだ。気に食わない、全くもって。
「お前が頑張って努力してる限り、俺はお前と一緒にいてやるよ」
「ほんと?」
「ああ。だから俺の言うことをちゃんと聞け」
言質を取ることで、ようやく安心したのだろう。エイデンの手が背中に周り、縋ってくる感触。別にこれまで寒気は感じていなかったのに、温もりは思いの外心地よい。
このまま学校まで送り返すのが惜しくなってきた。Uターンして己の家に連れ帰ろうか。レオンには、適当に嘘をついておけばいい。これまで何度もやってきたことなのだから。
悪いなあ義兄さん。自分でも酷い形をしていると分かる表情でほくそ笑むことに、トレントはいっそ快感を覚えながら、エイデンの唇にかぶりついた。




