タイレノール・タイクーン
第11回 お題「憂鬱」「夕暮れ」
ここのところ気分が優れないと話していたのはノックス医師から聞いていた。だが彼女は処方箋に、まるで気休めみたいな抗不安薬の名前のみを記入して渡したという。「こう言う時はタイレノールを飲んで寝れば、そのうち治るんです」なんて本人の主張を尊重して。ちゃんと用法を守って、長引くようなら連絡してね、と毎度の如く親切な助言と共に。
エイデンの家庭において、あの市販鎮痛剤は大いなる万能物として信仰されているらしかった。歯痛に1錠、発熱に2錠。エイデンの父親など、朝の二日酔いを誤魔化す目的ですら、アルカセルツァーと一緒に錠剤を飲み下していた。
珍しいことではない。実際あれはよく効くから。ただ、アルコールと併用するとかなり強い回り方をする事があるのが難点といえば難点、当然といえば当然の話。
最初から居眠りするつもりで、なんとエイデンは外出にアイマスクを携えて来た。飛行機で貰える安っぽい化繊のそれを装着し、倒した助手席のシートに横たわる姿態は微動だにしない。いや、よく見れば薄い胸が僅かに上下していると分かるのだが、窓越しに一瞥しただけのフランクが気付いたはずもなかった。
「死んでるみたいに見えるぞ。少なくとも、拉致して来たみたいには」
「置いていっても勝手についてくるんじゃねえか」
面白みの欠片もない冗談へ返してやった軽口は真顔で迎えられる。「もしかして、惚気たのか」もうヤッてるんだろ。そう畳み掛けられれば、今度はトレントが暗澹とした表情で呟く番だった。「いいや」
昔の同僚であるフランクは、まるで警察官募集のポスターへ起用されそうな程端正な顔立ちをしている。日も落ちようとしているショッピングモールの駐車場なんてしけた場所で相対しても尚、苦み走って徹底的に男性的な顔立ちは目立った。中身は別だ。制服から着替えてロッカールームを出た後、付き合いをこなしてやっていた人間は、恐らくトレントを含めて数人いれば御の字だろう。その彼も今や職を辞し、一方の奴はまだここで紙ファイルを片手に立っているという事は、上手くやっているらしい。何も気にしていないと言うべきか。
人は彼らをよく似ていると言うが、とんでもない。少なくともトレントは、己の戦い方を心得ていると自負していた。とにかく何でもかんでもごり押しすれば良いと言うものではないと、誰も目の前の男へ教えなかったに違いない。見かけが良いと、大抵のことは有耶無耶にされる。
「珍しいな」
「ガキなんだよ。見かけも中身も」
「ガキなら力づくでどうにでも出来る」
平然と言ってのけられるのへ溜息を被せ、トレントは首を振った。
「まあそのうちな……こんな話しに来たんじゃ無いだろ」
「お前を雇ってる、そのガラス製造事業会社のCEO」
突き出した角の取れたファイルの中身をトレントが改めるまで、フランクは話の続きを口にしようとはしなかった。こう言う変に人をコントロールしようとするところも、どうにも好きになれない。
「つまり、あそこで寝てるガキの兄貴になるのか」
「いや、伯父だよ。あいつは子会社を任されてる分家筋の方」
しかも余り出来が良くない筋だと付け足すことは、雇用者の名誉の為にしなかった。もっとも、フランクはとっくに察していたに違いない。
「どっちにしろ、トップに忠告する権限位は持ってるだろう。エルディング・ヴィルにある区立病院の競争入札に手を回してるよな」
「知らん、そうなのか」
「手を引くよう社長に言え。州議会議員の1人が、知人の会社を推してる。敵にするのは間違ってる相手だし、そこまでして取るほど旨味のある仕事じゃない」
「エルディング・ヴィル? 精神病院のことか」
なおざりに確認していたトレントの疑問にも、軽く肩を竦める以上の反応は戻ってこない。
「俺やお前が挙げた奴でも、あそこに収容されたのが何人かいたな。赤ん坊の腹からスマホのバイブレーション音がするって、魚の内臓を取る用のナイフでかっ捌いたヤク中野郎とか……生きてやがるのか死んでやがるのか」
「言うのか、言わないのか」
「まあ伝えるだけはする。結果は保証しないぞ」
資料の内容を一読だけで、大まかに頭へ叩き込む技術は、まだ衰えていない。その事に少しほっとしつつ、トレントはファイルを相手に返した。
「州議会議員たぁ、お前も出世したな」
「一度世話になっただけだ。妻が書類の手違いで本国へ送還されそうになった」
「妻ねえ……丸くなったじゃないか。そんな面倒な女、とっとと切っちまえよ」
「もう過去の話さ」
郊外らしい古びた中層ビルの群れへ半分ほど身を隠した太陽は、ただでも不機嫌で張り詰めているフランクの横顔を血でも浴びたような色に変えている。これは自らも似たり寄ったりなのだろう。
一方インパラの中には、光も入ってこない。望み通りの闇を手に入れたエイデンは、相変わらずスヤスヤと眠りこけるばかり。マスクで目元を隠されていても、幼げな面立ちにはうっすらとした苦痛が蔓延していることは一目瞭然だった。
これこそ満ち足りた生活だ、とトレントは思いたかった。波長の合う相手といるのが。そして、その中己の力を存分に発揮し、ひたすら有利に立ち回ると言うことが。
「お前こそ、今からでも労組に訴えれば」
「それこそもう、過去の話だ」
ひらりと手を振り、車に乗り込んだトレントの後ろ姿を、フランクは凄い顔で睨み付けていた、ような気がする。あいつは基本的にいつでも不機嫌だ。勿体ない、ハンサムが台無しになる。
まあ、そんな事こちらの知ったことでは無いが。
馴染みのダイナーへ近付いた頃、乱暴に揺り起こされて目を覚ましたエイデンに、精神病院についてどう思うと聞いてみた。
「どう思うって、僕が入ってるのがお似合いってこと?」
「いや、最近レオンから何か話は無かったかと。あいつも一応、会社の経営に関わってるだろう」
「知らない」
意地汚くもまだうとうとするつもりらしい。親指でめい一杯伸ばしたアイマスクのゴムをぱちんと言わせて目元に戻し、エイデンは深い溜息をついた。やはり酷く、疲れ切った声音をしている。
「でも、精神病院を顧客にすると儲かるって言うのは聞く。あそこ、すぐガラスが割られるから」
成程、と合点する解を寄越したことに免じて、トレントはそのまま、目的地へ着くまでエイデンを寝かせておいてやることにした。




