事実
皆、絶句してその男を見つめた。
とはいえ、あの時見たほど美しいという様ではなく、確かに凛々しい様でハンサムと言われる容姿だったが、あそこまで圧倒される美しさではなかったし、髪も短かった。
歳は、40代後半から50代ぐらいだろうか。
「お父さん。」
識が、立ち上がって軽く頭を下げた。
その男は、それに軽く返した。
「よくやったと言いたいが、あんなに手を出しては過保護だぞ。あのシナリオはよく出来ている。あまりに貢献し過ぎたヤツは、最後の肝心なところで参加できないのだ。それでも、まあよくやったと思う。皆がな。」
識は、言った。
「はい。ですがまさか、お父さんがキーパーソンだとは思いもしませんでした。」
識の父は、クックと笑った。
「私は昔からどういうわけかあの邪神の役をさせられるのだ。ぴったりだとか言われて心外だったのだがな。」と、皆を見回した。「夜にはコックに力を入れさせた料理を振る舞うので、皆楽しみにしておくといい。私達は五階で寛いでいるので、気にせずゆっくり過ごしてくれ。では妻が待っているので、これで。」
と、もう足を出口へと向けた。
識が、慌てて言った。
「お父さん、お母さんも来てるんですか?」
識の父は、頷いた。
「私が来ているのに母が来ていないなどということがあるはずがないだろう。上に居る。上のモニターで、しっかり見ていたよ。」
ジョアンが、言った。
「あの、ジョン?」識の父が、そちらを向く。ジョアンは赤い顔をしながら、言った。「あの、研究のことでお話があるんですが、お時間いいでしょうか。」
識と同じようにジョンと呼ばれた父は、苦笑した。
「…もう私は退いているから、本来はあまり個人的に話は聞かないのだが、仕方がない。君の事は驚かせてしまったしな。来るといい。妻も紹介しよう。」
ジョアンは、パアッと明るい顔をして、それについて歩いて行く。
会話を聞いて思ったのだが、前に聞いていた、確か異常なほど奥さんを愛してる父というのが、あれなのだ。
呆然と二人を見送った後、博が言った。
「…じゃ、まあ背景を説明しようか?終わった後の説明があってな。どういうことだったのか、そこに書いてあるんだ。」
皆が、何度も頷く。
モニターでは、まだ探索している様子が映し出されていた。
スタイン・バーナーはエジンバラの名家の生まれで、祖父から継いだ事業を営んでいた。
だが、世の中は移り変わり、手工業から機械工業へと移る波に飲まれて、事業は低迷していた。
息子のクリスチャン・バーナーが若いこともあり、何とか事業を立て直してから譲りたいと思い、必死に新しい機械を導入し、軌道に乗せようと頑張ったが、他より一歩遅かったため、顧客はライバル会社にどんどん取られてしまい、事業は低迷するばかりだった。
いよいよたち行かなくなって来て.山のような請求書を前に、スタインは狂い出した。
おかしな古い本を読み漁り、部屋に籠ってわけの分からないことをブツブツと呟くようになって行った。
そんなある日、スタインは忽然と姿を消した。
借金の山に耐えられなくなったので出奔したのだとか、狂った末にどこかで死んだのだとかさ囁かれたが、実際は召喚したニョグタと共に屋敷の同じ場所の異界に居て、そこで絶命していた。
しかし、一度呼び出したニョグタは退散させない限りそこに現れ続け、餌を求めた。
バーナー邸を訪れた者の中には、幾人も行方不明者が出ていて、それはいつも屋敷の四階に泊まった時に起こっていた。
なので四階は閉鎖され、今では手入れの者以外が入る事もなく、穏やかに暮らしていた。
遺跡の石板は、古代にニョグタを呼び出し信仰していた狂信者が作り出した物で、スタインもそれを見つけて手に入れ、召喚に使っていた。
なので同じ物を持つイアン、サミュエル、マシューが引き込まれて、餌にされたということだった。
ライアン他生徒たちもそうなるはずだったが、今回ニョグタの退散に成功し、帰ってくることができたということだった。
事業の方は、スタイン出奔の後息子のクリスチャンが頑張って持ち直したそうだ。
スタインは、無駄なことをしてしまって自滅したという筋書きだった。
それを聞き終わった、邦典が言った。
「…邪神に頼っちゃダメってことだよな。」と、モニターを見た。「こんな場所にたった一人って、そのスタインに同情するよ。」
乙矢が言った。
「確かに、実際に行ってみたら分かるけどそれは心に来るぞ?暗いしさあ。みんな懐中電灯を持って行ってたから良かったけど、識さんなんかライターと手袋だけだったから、困ったんじゃないか?」
識は、答えた。
「まあ、何かの時はライターで何とかしようと思っていたし、みんなが持っているんだから誰かが照らすだろうと思ってな。実際、大丈夫だったし、書庫にランプがあった上、食堂と居間は電気が点いた。なので、そう困りはしなかったな。」
「でも、死体の指を開いたり、実際大変だったですよね?」日向が言う。「あんなこと、どうして平気で出来るんですか。」
識は、フッと口元を弛めた。
「あれは、死体ではない。」皆が驚いていると、識は続けた。「本物の死体を知っているから、違うと分かる。ゴムだろうなと思っていた。恐らく、映像はそんな細かい所までは作っていなかったので、触れたらすぐに分かったし、あれぐらい時間が経った物の様子ではなかったからな。だから別に平気だった。」
知ってるのかよ。
皆がドン引きしていたが、識はそれに気付いていない。
「血は?」章夫が言う。「触るのが嫌だから手袋してたんでしょ?」
識は、ククと笑った。
「君達はあれが本当の血液だと思っていたのか?」皆が目を丸くすると、識は続けた。「本物はあんなにサラサラしていない。特に時間が経っているのに、分離した成分があってもおかしくないのに全部一定だった。ただ赤黒いだけ。あれが血液でない事など、私でなくとも医師なら分かる。ただ、何で色を付けているのか分からないし、それが映像なのかどうかも判断がつかないので、万が一皮膚に色がついて落ちなかったら面倒だから手袋をしていただけだ。臭いにしても、あんなものではない。人が腐ったらあの程度の臭いではすまないぞ。鼻の中まで臭いが数日取れないものだ。皆同じ服でここに座っているのに、誰にもあの臭いが残っていないではないか。つまりは、その程度なのだ。だから私は、初見は驚くものの君達ほどSAN値を失わなかったのだ。」
知識の勝利なのか。
とはいえそんな知識は要らないが。
皆がやっぱりドン引きしたままそれを聞いていると、博が言った。
「さあさあ、じゃあ映像を見て、気になったことがあったら聞いてくれないか。オレもキーパーやってて、そこはまずいぞーっとか思ってたんだけど言えないからなあ。SAN値がガンガン減ってるのに聞かないから言えないしさあ。落ち着いて見て、知りたい事とか出て来るかもしれないだろ?さあ、一回目の情報共有ターンが終わって二回目探索ターンが始まったぞ。みんなで感想戦やろうや。」
皆は頷いて、モニターに目をやった。
画面の中では、それぞれの探索の映像が別々に流れている。
ここではこんな風に観戦していたのか、と思いながら、参加していた者達も、自分達の動きをハラハラしながら見返したのだった。
夜になって、皆が運び込まれた背の低いテーブルの上に並ぶ、数々の料理を前に舌鼓を打っていると、ジョアンが戻って来た。
だが一人ではなく、その横には梓乃が立っていた。
「え…」妃織が、言った。「梓乃さん!もう大丈夫?」
梓乃は、少しぼうっとしているようだったが、皆を見回してから、頷いた。
「ええっと、ごめんね、まだよく分からなくて。頭がぼうっとするの…寝て起きた時みたい。」
「ほんとに寝て起きたからね。」ジョアンが言った。「カウンセリングじゃ無理だったから、ちょっと薬を使って。大分落ち着いたと思うけど。」
梓乃は、それには頷いた。
「なんか、おかしくなってたんだってね。ごめんなさい、ご迷惑をかけて。ゲームの事はよく覚えていないんだけど、人狼ゲームをしたのよね?章夫と一緒にここに来て、やろうと思ってたのは覚えてるんだけど…あんまり詳しい事は思い出せなくてね。とにかく、今は平気。お正月だから御馳走が出るって上で教えてもらって、ジョアンさんに連れて来てもらったの。」
妃織が、頷いて梓乃を呼んだ。
「じゃあ、ここが空いてるわ。ほら、大皿盛りでこんなに御馳走が出たのよ。みんなで食べてたところなの。今食べ始めたばかりだから、座って。」
梓乃は微笑んで、妃織の横へと歩いた。
「ありがとう。ほんと、凄くおいしそう!」
章夫の事は、見ることも無い。
いつも章夫章夫と黙って傍に居た梓乃の姿は、そこには無かった。
東吾が、小声で隣りの章夫に言った。
「…なあ。上手く行った感じだな?」
章夫は、むっつりと頷いた。
「だったらいいけど。まだ分からないよ、帰ってからかな。」
識が、隣りで同じく小声で言う。
「問題ないと思うぞ。しくじった所を見たことが無いから、恐らく上手くやったはずだ。そんなに面倒な症例でもなかったし。」
あれが面倒じゃなかったのか?
とは思ったが、梓乃が章夫に目もくれずに、隣りに座っている妃織と、反対側の隣りの日向と楽し気に話しながら御馳走を食べているのを見ていると、確かにそうかもと思えて来る。
あれほど狂っているようだったのに、もう全く章夫に執着など感じなかった。
そのまま、普通に談笑しながら食事を続けていると、ふと敏弘が言った。
「…最初はどうなるのかと思ったけど、もう明日帰るのかあ。そう思うと、なんか寂しいなって思うよ。」
皆が、その言葉に敏弘を見た。
浩介が、言った。
「…オレも。」一番口数が少ない浩介が言うのに、驚いてそちらを見ると、浩介は続けた。「みんな親切で。オレ、正直陰キャって言われて回りにあんまり友達も居なかったから。今回、思い切ってこれに参加してみたら、みんないい人で楽しかった。SNSもフォローしてくれるって言うし、オレも頑張れるなあって。」
頑張った甲斐があったってことだろうか。
久隆が、言った。
「そうだな。オレも最初ほんとに死ぬかもと思った時、ほんとに後悔したもんだけど、こうして終わってみると楽しかったよ。誰も死んでないんだし、本気でゲームができたのも良かったのかもしれないな。」
哲弥が、頷いた。
「いろいろ、自分の本性みたいのも見えた気がするよ。命の危機が迫って来ると、判断って変わるんだなって。澄香とも、もう駄目かなって思ってたけど、結局ここでカウンセリングしてもらって良い方向になったし。」と、澄香を見た。「オレも、もっとちゃんと本音で向き合おうって思うようになった。」
澄香は、苦笑した。
「そうね。私も我慢させてるのに気付いてなかったのが悪かったし、それに気付いて自分を省みることができて良かったわ。クトゥルフは怖かったけど、終わってみたら面白かったなあって思う。英語、もっと勉強しようって思えたし。」
乙矢が、頷いた。
「そうだよな。でも、あの電子辞書凄いよな。拙い英語でもきっちり翻訳してくれたし。一個欲しいぐらいだよ。」
識が、言った。
「あれは一台税込32万9780円だ。七か国語を問題なく通訳も翻訳もできる優れもので、AIが高度な解析でスラングなども理解して、言葉の雰囲気までそのままに訳すことができるのだ。買うか?」
乙矢は、値段を聞いて仰天した顔をした。
「え。マジで!パソコンが買えるじゃないか…ちょっと無理かな。」
「賞金で買えるよ!」章夫が、東吾に言った。「買う?」
東吾は、苦笑して首を振った。
「オレはいい。海外旅行する予定もないし。だったらゲーミングパソコンでも新調するかなー。」
佐織が、恨めしそうに言った。
「いいなー!百万円かあ。帯附がついてる札束初めて見たかもしれない。」
章夫は、顔をしかめた。
「でも、あれは生活費にしようって思ってるよ。大学は一人暮らしになるから、バイトしようと思ってたしね。しばらくは慣れるまで、これで凌いで楽させてもらおうかなって。うちのお母さんが東京の大学に行くの、反対だったからねー。生活費とか、一切出してもらえないの。行くなら勝手にしろって言われた。」
それには、皆驚いた顔をした。
「え、反対押し切って行く感じ?」幸次が言う。「大丈夫なのかよ、光熱費とか家賃とか結構かかるんじゃないのか?」
章夫は、ハハと笑った。
「まあそうなんだけど、仕方ないよね。寮が満員だったからさあ、ちょっと遠くのワンルームを契約しようと思ってるんだ。ちょうど入れ替わりの時期だから、そろそろ空いて来るんじゃないかって。」
識が、ピクと顔を上げた。
「ほう。君はどの学部かまだ聞いていなかったな。何を専攻するつもりなのだ?」
章夫は答えた。
「僕は理工学部だよ。応用化学科。」
識は、興味を持ったようで背を背もたれから離した。
「それは、そういう研究室へ就職するつもりで?」
章夫は頷いて、急に険しい顔をした。
「…僕、どうしても許せないモノがあるんだよね。ここには居ないみたいだけど、古い家屋には特によく見る黒いてかてか光ってるアレ。時々飛ぶ。」
女子達が、う、という顔をした。
それは、もしかしたらゴキブリでは。
識が、あっさりと頷いた。
「Blattodea(ゴキブリ目)だな。ここには居ない。強力な駆除剤で毎年駆除しているし、それでも居た試しがないのだ。何しろ、バリア機能がある薬剤でも消毒しているからな。だが…昨今は周りの生態系への影響も考えて、アシダカグモで対応することも考えているのだ。」
ブラットデアってなに?
皆が思ったが、とにかくアレがここには居ないという事は分かった。
章夫が、顔をしかめた。
「いや、確かにそうなんだよね。最近、そんな風にも思うようになってたんだけど、アレを殲滅する方法ばっか考えてたら、そっちを専門にしようかって決めて勉強して来たから…今さら、変えられないんだよ。」
識は、フーンと考えた。
「…いつでも変更などきくものだ。他の方面に向かう事を考えるのなら、これからでもいけると思うぞ。科学関係の職場なら、私が知っている場所もあるから、紹介しようか。学生のアルバイトの話だがな。」
章夫は、食い気味に言った。
「え。ほんとに?!紹介して欲しい!アルバイトでも勉強できるってことだよね?行きたい!」
ジョアンが言った。
「え、どこに紹介するつもりですか、ジョン。」
識は、言った。
「いや、うちで使う消毒薬とか手袋なんかを作っている会社があるだろう。あそこが人手が欲しいといつも言っているから、だったら章夫が行けばいいんじゃないかと思っただけだ。」
章夫は、何度も頷いた。
「医療関係の用品とか消耗品を作ってる会社ってことだね。行きたいよ。」
識は、頷いた。
「君は土壇場の底力があるし、責任感もあると分かったからな。君なら紹介しても、私に迷惑をかけることはないだろう。話を通しておこう。また連絡する。」
章夫は、識に認められた気がして、嬉しくて顔が赤くなるのを感じながら、照れ隠しに笑って頷いたのだった。




