探索ターン・三回目2
澄香と佐織は、いきなり落ちて来た何かに押し潰されるかと二人して頭を抱えて床にしゃがみ込んでいたが、乙矢が言った。
「駄目だ!」その声に顔を上げると、乙矢が青白い光の中で、鉄格子を掴んで叫んでいた。「閉じ込められた!」
佐織と澄香が顔を上げると、自分達三人は、天井のどこかから落ちて来た大きな鉄製の檻の中で、身動き取れないようになっていた。
「え…!」と、鉄の格子を手で押した。「駄目だわ、重過ぎる!」
そこへ、識が飛び込んで来た。
「どうした?!君達は9の部屋に居たんじゃなかったのか。」
乙矢が、必死に叫んだ。
「隣りは、扉を開いたらめちゃくちゃ嫌な臭いがしたから後にしようってこっちへ来たんだ!部屋の真ん中に来たら、急にこんなことに!」と、急に格子から手を放した。「うわ!」
「どうした?!」
後ろから来たジョアンが言う。
乙矢は、言った。
「…格子から棘みたいなのが出て来てて…」と、じっと観察して、怯えたような目になった。「…なんか伸びて来てる!」
佐織と澄香も、悲鳴を上げて後ろへと飛び退り、後ろの格子からも棘が伸びて来ているのを見て慌てて中央へと戻った。
「どうしたらいいの…?!」
識は、檻へと寄って中を見た。
「そこに何がある?」
乙矢は、ブルブルと震えながら、言った。
「averageって書いてあって、床に1から9までの数字が書いてあるんだ!助けてくれ、探索ターンももう、あんまり残ってない!棘が伸びて来なくても、時間が無くなる…!!」
「分かっている!」
識は言って、回りの壁を見た。
そこには、青白い光で壁いっぱいに数式が浮き出ていて、それは三面の壁、全てだった。
マシューと章夫も、駆け付けて来たのが入り口に見えた。
識は、壁の数式を睨むと、視線を上下に動かして数式を流れるように見始めた。
「…まさか…この数の数式を解いて、その平均値ってことなの…?!」
佐織が、絶望的な顔をする。
何しろ、左右と正面の壁全体にびっしりと青白く浮き出ているのだ。
それを全て間違えずに計算した後、その数字を足して数で割るわけなのだ。
そんなことが、後数分で出来るはずがない。
識は、ひたすらに壁を見て視線を動かしている。
マシューが、それを見てフフン、と鼻で笑った。
『まあ、間に合うだろう。まだ10分あるぞ?私なら2分で解ける。ダメなら代わってやろう。時間はあるしな。』
まじで?!
と章夫は驚いて振り返ったが、マシューは当然という顔をしている。
嘘を言っているようにも見えない。
というか、マシューというのはこういうキャラなのか。
そのまま、識はじっと固まって視線を動かしていたのが、いきなり弾かれたように乙矢を見ると、言った。
「…89!乙矢、足元のタイルを8、9と押すんだ!」
乙矢と澄香と佐織は、檻の中央で迫って来る棘から逃れようと身をよじっていたが、頷いてタイルへと屈みこんだ。
そして、言われた通りに8、9とタイルを押した。
すると、カチという音がして、オオーンという残念そうなうめき声のような獣の泣き声のようなものが聴こえて来た後、フッと掻き消すように檻が消え去り、壁の青い文字も消えて、真っ暗になった。
「乙矢?!」
識が呼びかけると、乙矢は佐織と澄香と共に、フラフラと懐中電灯を振り回しながらこちらへ寄って来た。
「助かった。目の前で檻は消えて行ったよ。あの数の数式の答えの平均値を、あの短時間で出したのか。」
識は、頷いた。
「別にそう多いわけではない。ただ、焦ってしまったので時間が掛かってしまった。まだ時間があるが、ここは出た方が良さそうだ。他に何も無いようだしな。」
乙矢は、頷いた。
「ありがとう。オレ達では死ぬしかなかったよ。ほんとに助かった。」
マシューが廊下で立っていて、言った。
『SAN値が心配だ。少し休ませた方がいいのではないか?まだ8分ある。君は読書に戻るか?私がどこかを調べて来るが。』
識は、頷いた。
『では、この隣りの9の部屋が臭気が酷いとかで見ていないようなので、お願いしたいですね。』と、ポケットからラバー手袋を出して、一組渡した。『もしかしたら、必要な状態かもしれません。』
マシューは、それを受け取って頷いた。
『マスクも欲しい所だな。』と、顔をしかめて、頷いた。『分かった。では行って来よう。とはいえ、時間がない。急げ。』
識は頷いて、乙矢を見た。
「君達は戻った方がいい。情報共有の時に集まる居間の前の廊下で待っていてくれ。私達はギリギリまで出来ることをする。」
乙矢は、バツが悪そうな顔をしながら頷く。
結局、役に立っていないのだ。
だが、もうこの出来事で精神的にフラフラだった。
章夫が、戻って行く乙矢達の背を恨めしげに見送って、言った。
『…僕もその部屋に入らなければいけません?』
マシューは、チラと章夫を振り返って言った。
『別に構わないが、君は、君からしたら知らない男に任せて外で居るのか?そこまで信じて良いのかどうか、己で判断するといい。』
言われてみたら、知らない男なのだ。
信じるにたるのかどうかもゲーム上で判断が付かなかった。
それを本人に言われる不甲斐なさに、章夫はため息をついて、マシューの後ろについて扉が開かれるのを待った。
9の部屋は、異様な臭いを周囲へ撒き散らしながら開いた。
さすがのマシューも顔をしかめて、着ていた服の巻いていた襟を立ち上げて鼻まですっぽりと覆う。
章夫にはそれが無いので、袖で口元と鼻を押さえながら言った。
『めちゃ臭い!早く探索しましょう!』
なんか心臓がバクバクする臭いだ。
章夫が思いながら言うと、マシューは言った。
『…君は見ない方が良いかもしれないぞ。』
『え?』
そう言われると見たくなる。
懐中電灯を中へと向けると、そこは壁と言わず床と言わず、とにかく全てがどす黒い血のような液体で覆われた、地獄のような場所だった。
『うわ…!』
章夫は、声を上げた。
天井から、人のようなそうでないような物が、所狭しとぶら下がっているのが見えたのだ。
『背を向けて、呼吸を整えろ。』マシューは言った。『私が見てくる。』
行くの?!
章夫は、仰天したが言われるままに背を向けた。
呼吸を整えて少し落ち着くと、よく考えたらマシューが信じられるかどうかと考えたところだったのだ。
絶対、何をしているのか見ておいた方がいい。
章夫は思って、意を決して振り返った。
すると、マシューはその惨状の中へ歩いて行っていて、床に屈んで何かを拾い上げていた。
そして、天井からぶら下がる死体らしき物を調べるように角度を変えて見ている。
…あの人は、平気なのか。
章夫は、ブルブル震えながら思った。
この中で、平常心を保てる神経が逆に分からない。
だが、マシューはその死体を指差して、こちらを見た。
『これはサミュエルだ。』
マジで!?
章夫は、友の死体を見付けてその反応なのがやはり信じられなかった。
もしかしたら、既にマシューは発狂状態なのだろうか。
それでもマシューの物でも扱うような態度に、段々冷静になって来た。
『…そういえば左腕がありませんね。』章夫は、自分でも驚くほど冷静な声で言った。『何かありますか?』
マシューは、手袋をした手で、死体を掴んであちこちひねった。
『…メモは落ちてたんだが…』と、右手を見た。『お?ここに何か…?』
そこで、例の震動が始まった。
…時間切れ…!
章夫は、焦って叫んだ。
『マシューさん!もういいです、早く外へ!』
しかしマシューは、焦る様子もなくサミュエルの右手をこじ開けようとしていた。
『待て、もう…、』と、こちらを向いた。『よし!行け!走れ!』
章夫は、その声に入り口の真上に居たのだが、走り出した。
マシューが飛んで出て来て、その後バタン!と音を立てて扉は勝手に閉じた。
章夫が呆然としていると、マシューはふうとため息をついて、言った。
『危なかったな。』と、血まみれの手袋の手で紙と金属の何かを握って見せた。『見つけたぞ。』
嬉しそうだが、血まみれでとても一緒に喜ぶ気持ちになれない。
『とにかく手を洗いましょう!食堂に行きますよ!』
マシューは、ハイハイと呆れたように言った。
『せっかく見つけたのに、君は面白くない奴だな。全く。』
こっちが呆れたいよ!
章夫は思ったが、マシューと共にまだ震動している部屋の間を抜けて、皆の居る場所へと向かったのだった。




