クトゥルフ開始
次の日、艶々の肌の一団に見送られて、これまた艶々の肌の章夫、乙矢、佐織、澄香と識は、四階へと足を踏み入れた。
そこは薄暗くて、とても昨日までの明るい洋館とは思えない雰囲気になっている。
そこでは、ジョアンがその雰囲気にそぐわないウキウキした様子で立って、皆を迎えた。
「ああ、来ましたか。ジョン、どうです完璧でしょう?昨日徹夜でチェックして完璧です。」
識は、頷いた。
「アーロンは?」
ジョアンは、頷く。
「はい、問題ありません。四階にはA7758が充満してますので、そろそろ影響が出て来たんじゃないですか?」
識は、黙って息を吸い込んで、回りを見回した。
ワケが分からないながら、他の四人もそれに倣って周囲を見回す。
すると、薄暗い通路がより一層オドロオドロしく見えて来て、しかもあれだけ綺麗に掃除されて新しい家具があったのに、全てが古く廃れた様子になっていた。
しかも、見通しが良く真っ直ぐの廊下で、薄暗くてもしっかりと先まで見えてたのに、少し先が薄紫の靄が掛かったようになっていて、全く見えなかった。
驚いたことに、背後に確かにあったはずの、階段も無くなっていた。
「え、階段がない!」
章夫が叫ぶ。
皆も振り返って驚愕の表情になったが、確かめようと確かにそこにあったはずの階段の場所の、壁に触れた。
確かな質感がある、すべすべとした壁紙の感触が指先に伝わって来た。
「…壁だ。降りられないな。」
乙矢が言う。
佐織が、さすがに閉じ込められたと不安そうな顔をした。
「ゲームが終わらないと、逃げる事もできないのね。」
そう呟くと、識が言った。
「そこには壁などないと、強く思わないと無理だろうな。思い込みなのだよ。実際はそこに壁などない。存在していると、脳が認識しているからそうなるのだ。だが、本格的に楽しむにはこれが一番だろう?」
言われたらそうなのだが、これが幻覚なのだと思う方が難しい様子だった。
ジョアンが、言った。
「では始めましょう。私はライアン・カーチスという名の考古学者の設定です。後は博に任せて進めてもらいます。」
すると、腕時計から声がした。
『じゃあ始めよう。君達六人は、同じ大学の考古学研究室の生徒だ。ライアンは君達の先生で、太古の宗教施設を発掘してからその宗教などを研究している。君達もそれを学んでいるってわけだな。ある日、研究室で居た君達は、気を失って気が付くとここだった。持って居たのはたまたまポケットに入っていた二つの物だけだ。ちなみに君達全員のSAN値は昨夜、転がしてもらったダイスによって決まっている。識、68、乙矢67、章夫59、澄香63、佐織70。まあ、総じて高めだから、そこまで心配はないかな。』
「僕、一番低い。」章夫は、顔をしかめた。「あのダイス、そういう事だったのか。」
博は続けた。
『ちなみにSAN値減少は、こっちで心拍数とか血圧とかモニターしてるから、その値で減るからな。その都度ダイス転がす必要はないから大丈夫だ。とはいえ一定時間以上上がったままだとどんどん減るから、早いとこ落ち着けるように各自頑張ってくれ。』
「途中でSAN値を聞くことはできるの?」澄香が言ったを「ヤバいとか知りたいし。」
博は答えた。
『できる。いつでも聞いてくれ。キーパーって呼び掛けてくれたら、そこで時間を止めてオレと会話できる。じゃあ、説明を続けるぞ?』皆が、無言で頷く。博は続けた。『…ええっと、どこまで説明したっけ。そうそう、目が覚めたらその場所だった。で、脱出しなきゃならないので、そこがどういう場所なのか、出口はどこなのか調べるために移動することになる。地図を送信する。そこの間取りだ。』
すると、腕時計の液晶画面に簡単な図が現れた。
博の声が続けた。
『見ての通り、十個の部屋と居間、食堂がある。食堂の横にはトイレとバスルーム。これは普通に使ってもらって大丈夫だ。カメラもない。ここには仕掛けはないから、必要な時は行ってくれ。』
皆は、ウンウンのと頷いた。人狼ゲームで追放された者達は、皆一度は使ったことのある場所だった。
博は淡々と先を続けた。
『君達が倒れていたのは今居る場所、居間の前の廊下だ。ここから脱出を目指して探索を開始してもらうのだが、一度の探索に20分の時間が与えられる。その後、ここへ戻って来なければならない。どうして戻ることになるかは、その時分かる。そして、それが5回続くので、合計1時間40分の探索時間が与えられる。間には、情報共有のため15分間ずつ時間が与えられる。全ての探索が終わるまでに、謎を解き明かして脱出方法を探らねばならない。キーパーとして忠告できることは、手に入れられるアイテムはできるだけ手に入れて置いた方がいいということだ。但し一人で持てるアイテムは、元々持っていた物は別として二個まで。取捨選択が必要だ。この探索ターンが終わった後、情報整理時間が20分あり、その後脱出ターンがやって来る。脱出の制限時間はたったの5分なので、探索ターンの間に考えながらの方がいいだろう。もちろん、不要な情報や誤った情報もあるので、注意が必要だ。』
情報量が多いんだ。
皆、思って顔を見合わせる。
しかも、一人につき二つしか持てないので、しっかり選んで行かなければならない。
博は、一呼吸おいて、続けた。
『…まずは、プロローグターンだ。この後探索の前に、どう進めるのか話し合うための時間が15分与えられる。その後、探索ターンが始まる。じゃあ頑張って生徒を演じてくれ。マジもんの脱出をするつもりでな。きちんとロールプレイするんだぞ?』
澄香が、言った。
「キーパーはいつでも呼べるのね?」
博は答えた。
『いつでも呼べる。その間時計は止まるが、他の班の探索もそこで止まる。班分けしていて同時に呼んだ時は順番だから待ってくれ。他に質問は?』
「お手洗いは?」佐織がいう。「お手洗いの時も時間は止まるの?」
博はそれにも辛抱強く答えた。
『止まる。もちろんのこと、探索もその間は他の人達もできない。もう、いいか?』
皆は顔を見合わせる。
今は特に何もない。
ただ、この場所に居るということが、なにやら緊張させられて胸がドキドキした。
『…みんな落ち着け。まだ始まる前だぞ?心拍数が上がってる。これ以上になると始まった途端にSAN値が減少するぞ。ほら、深呼吸だ。』
本当にモニターされてる。
識以外の全員が深呼吸をする中、博は慌てて言った。
『あ、忘れてた。探索中、腕時計でそれぞれの位置が間取り図上に黄色い光の点で表示されるからな。異常事態になった人の光は発狂で赤、ロストで青になる。精神分析と治療のスキルはNPCのライアンだけが持ってるから、何かあったらライアンに。以上だ。』
大事なことなのに。
佐織は思って隣の澄香を見たが、澄香も同感なのか顔をしかめていた。
『じゃあ、プロローグターンを始めるぞ。準備はいいか?残り時間は腕時計の表示で確認できるからな。』
皆が頷くと、博の声は言った。
『では、プロローグターンを始めます。どうぞ。』
腕時計の表示が、15分から減り始める。
ジョアンが言った。
「ここはどこだ?」
え、と皆ジョアンを見た。そういえば、ロールプレイをしないといけないのだった。
「先生、さっきまで研究室に居たんじゃありませんか?」澄香が、慌てて言った。「どうしてこんな所に居るんでしょう。」
「とにかく、ここを出て帰る方法を見付けねばなるまい。」識が言う。「何やら不穏な様子の場所だ。」
ジョアンは、頷いた。
「その通りだ。とにかくここがどんな場所なのか知らないことには、何も始まらないだろう。出口を探そう。」と、回りを見回した。「とはいえ、全く見通せないな。みんなで固まって移動するか。」
章夫が、言った。
「どんな場所なのか分からないしね。僕は懐中電灯を持ってるんだけど。真っ暗でもないから、まだ使わなくてもいいかな。」
「電池を大切にしよう。」乙矢が言う。「とりあえず、みんなで固まって調べるということだな?」
識が言った。
「早くここから抜け出そうと思うのなら、手分けした方がいいとは思うが、しかし何があるのか分からないし、最初はざっとどんな場所なのか把握するのがいいのではないか。その後で、問題無さそうだったら誰がどこを調べるのか決めて、手分けしたらいいのではないかな。」
章夫が、言った。
「ええっと…ちょっとメタい言い方だけど、じゃ最初の探索はみんなで大まかな様子を調べに行くってことでいいね?危ない所がないかどうか。」
識は、頷いた。
「それがいいだろう。いきなり分かれて行って何か障害があったらまずい。少人数では無理な所があったら、一気に皆ロストとかなるかもしれないからな。ざっと様子を見に行って、戻ってからまた作戦を練ろう。情報共有の15分がある。」
乙矢が、頷く。
「そうだな。全く向こうが見えないし、何が出て来るか分からないしな。」
ジョアンが、えへんと咳払いした。
「さあ、じゃあ六人で一緒に歩いて行こうか。懐中電灯とか、持っている人は一応、いつでも付けられるように出しておいてくれ。」
章夫が、頷いて、懐中電灯を出す。
すると、博の声が言った。
『はい、ではプロローグターン終わりです。探索ターン、一回目を開始します。制限時間は20分です。それでは、どうぞ。』
六人は、顔を見合わせて頷き合うと、そろそろと紫の靄の向こうへと、足を進めて行ったのだった。




