バックルーム2
そのまま、梓乃が抜けた18人は居間でいろいろなアルコール飲料を飲んで0時を迎えた。
そして、それを見届けてから識が立ち上がり、博がそれを追って立ち上がった。
「もう部屋へ帰るのか?」
識は、頷く。
「寝ておきたいからな。その前に少し、五階へ行って様子だけは見て来る。君はどうする?」
博は、伸びをした。
「お前が帰るならオレも行くよ。もう疲れたよーそろそろ解放してくれや、ジョナサン。」
識は、歩き出しながら眉を寄せた。
「これが君の務めだろうが。ちょっとは我慢しないか。」
識はそう言うと、さっさと博を待つ様子もなく歩いて行く。
博が、面倒そうにその後を追おうとしているのを見て、東吾が慌てて言った。
「博さん、あの、ジョンとかジョナサンとかなに?」
博は、え、と振り返った。
見ると、皆がその疑問を持っていたようで、博を見ている。
博は、ああ、とこちらへ向き直った。
「そうか、知らねぇもんな。オレ達の職場はな、多国籍の人達が働いてるから、公用語は英語でな。とはいえ、日本だし日本語だって話せるから、別に大丈夫なんだけど。あいつら、簡単に言語なんか習得しちまうからなあ。で、国籍を意識しなくていいように、自分で名前を決められるんだよ。みんな、英語で発音しやすいように英語名が多い。識は、職場ではジョナサンって呼称を使ってて、みんなはその愛称のジョンって呼ぶんだよ。オレは、他のジョンを知ってるからややこしいしジョナサンって呼んでるけどな。」
みんな他に名前を持ってるのか。
東吾が驚いていると、日向が言った。
「へーいいなあ。私もアナスターシアとかで呼んでもらおうかな。ここに居る間だけでも。」
それには、貞行がハハと笑った。
「えー日向さんはアナスターシアって感じじゃないよなー、そうだな、デイジー?」
日向は、え、と貞行を見た。
「え、私ってあのゲームのキャラみたいな感じ?」
貞行は、首をひねった。
「分からない。なんか浮かんだ名前言っただけ。」
「いい加減ねぇ。」
佐織が笑う。
久隆が、言った。
「オレももう寝よ。美容に悪いだろ?」
章夫が、そんな久隆に顔をしかめた。
「えー、急に美容とか言い出して気持ち悪ーい。久隆さん、そんなタイプじゃなかったじゃないか。どっちかって言うと、僕みたいなタイプが言うセリフじゃない?」
言われて見ると、確かに章夫はかわいらしい感じの顔立ちで、若いからでもあるのだが、美容には気を遣っていそうだった。東吾は言った。
「オレは、エステはただなら受けてみたいけど、そこまではな。久隆さんは、肌が綺麗になって目覚めたんだろ?いいじゃないか別に。」
久隆は立ち上がりながら言った。
「もうあきらめてたのに、急に綺麗になっちまったからなあ。この肌を維持したいし、これからも美容には気を付けようと思ってさ。オレでもまだまだおじさんにならずにすみそうだろ?」
確かに肌が綺麗なだけで、かなりの若さに見える。
邦典が、頷いた。
「良かったじゃないか。オレも明日やってもらえるように頼もう。クトゥルフは、そうだなあ、早めに追放されて元気な奴らが出たらいいんじゃないか?」
章夫が、不貞腐れた顔をした。
「えー!オレやりたい!くじだよくじ!絶対くじ引き!」
この様子だと、やっぱりクジかなあ。
東吾は思いながら、皆の後について部屋へと戻るために歩き出したのだった。
博は、一足先に居間を出て、識を追い掛けて玄関ホールの向こうにある、裏に隠れたエレベーターへと向かった。
識は、博が来るのを知っていたのか、そこでエレベーターを止めて待っていた。
「遅い。」と、エレベーターに乗り込んで、扉を閉めた。「何を話していたのだ。」
博は答えた。
「お前の名前だっての。ジョナサン。あいつら、何も知らねぇだろう?そもそも識って名前ですら偽名なのに。」
識は、フンと鼻を鳴らした。
「お母さんの名前の字を変えただけだからな。別にどうでもいいのだ、どうせ皆検体で、これが終われば会う事もない。それより、細胞の若返りはどの程度効果があったのか気に掛かる。颯にデータを見せてもらおうと思っているのだ。見たところ、久隆には顕著に出ていたように見えたがな。十年以上は若返ったように見えたが、実際どの程度だろうと。」
博は、息をついた。
「なんだ、お前は全く。親父のジョンだってそんな風じゃなかったぞ?ちょっとは人付き合いってのも覚えなきゃって、今でも交流がある人達だって居るんだ。みんな最初は検体だったが、それからも集まって人狼ゲームをやると言って来たら、出向いてやってるぐらいだ。紫貴さんだってお前の事を心配してるんだから、みんなと楽しむように努力しろよ、新。」
新と呼ばれて、識は、下を向いた。
「…お母さんの気持ちは知っている。だが、私は別にその必要を感じていないのだ。人付き合いといって、研究所には君達も居るし、不自由はしていない。それよりも、私にはお父さんとお母さんの命の期限の間に、何としても研究を進めねばならないのだ。これからも、検体達とは会う事もあるかもしれないが、親しくするつもりはない。協力してくれ、博正。」
博は、ため息をついた。
「…お前はそればっかりだ。ちょっとは親離れしな。結局お前は、あいつらの中年に生まれてもう晩年だから、別れが怖いんだろう。だがな、あいつらは幸せに生きてる。だから、お前にも幸せに生きて欲しいんだよ。研究の合間に、ちょっとでいいから同年代の奴らと楽しもうとしてみな。何か分かる事があるってジョンも言ってただろう?それを探してみても、いいんじゃないか。もちろんオレは協力するが、若返りばかりでなく、人としての事も紫貴さんから頼まれてるから。自分は死ぬかもだけど、あなたは生きてあの子を助けてあげて欲しい、ってな。」
エレベーターが止まって、そこから降りて行きながら、識は軽く博を睨んだ。
「…前から気になっていたんだが、君はやたらとうちのお母さんの事を話すな。まさかお母さんと何かあるんじゃないだろうな。」
その目が驚くほど鋭くて、博は驚いて目を丸くした。
「は?オレが紫貴さんと?おいおい、ジョンに殺されるわ。あのなあ、お前は知らねぇだろうが、あの人は普通の人なのに、ジョンなんかに見染められてほんと最初は大変だったんだぞ?居酒屋で隣り合っただけなのに、ひと目惚れしてアルバートに紫貴さんの鞄からDNAが取れそうな物を盗ませた上、手帳まで抜き取ってな。SNSで繋がって、家のパソコンハッキングして好みとか調べて。無理やり人狼ゲームするのに自分の別荘に呼び出してさあ。そこで押して押して押し倒した形で婚約したんだ。最後には金のためでもいいって言ってたって見てた要が言ってた。なりふり構わず押されてこんな世界に引きずり込まれてちまって、気の毒だからいろいろ気にかけてたんでぇ。紫貴さんは犬も猫も好きだし、オレが狼になれるから親しみを持ってくれてな。大きな犬が好きだって、よく首に抱き着いてたよ、狼だけど。そこでいろいろ話してたんだけどな。」
識は、足を止めた。
「抱き着く?!お母さんが君にか?!まさか二人きりなんじゃないだろうな?!」
博は、語気を荒げる識に、慌てて言った。
「いやだから、そんな関係じゃねぇ!落ち着け、お前がマザコンなのは知ってるが、嫉妬するのは親父に任せとけっての!」
識は、博を睨みつけた。
「マザコンとはなんだ。私はお父さんとお母さんの平和を守りたいだけだ。それより、その事はお父さんは知ってるんだろうな?!隠れてコソコソするなんて…美沙は何も言わないのか。」
美沙とは、博の嫁だ。
博は、ため息をついた。
「美沙は知ってるよ。うちの嫁はそこまでおかしな嫉妬をするヤツじゃねぇし、お前もオレ達の歳を知ってるだろうが。もう60越えてるんだぞ。いろいろ悟っちまってそんな気持ちにならねぇよ。確かに紫貴さんはいい人だし好きだが、そういう好きじゃねぇの。美沙もオレも、好きで人狼になったんじゃねぇ。お前の親父に勝手にされたんだ。ちょっとは紫貴さんの気持ちが分かるから、それでオレ達は寄り添ってるだけだ。お前はオレ達が、好きで人狼になったと思ってんじゃねぇだろうな?」
識は、ぐ、と黙った。
…確かに若い頃は無茶な事をやっていた、と、父から聞いている。
人狼になった者達の中には、狂って精神科に入院して出て来れなくなっていた者達も居たのだと…。
博は、黙り込んだ識の頭を、ぽんぽんと叩いた。
「…ま、いいさ。オレ達もオレ達で、ヒトに戻れる方法が見つかった時にはもう、ヒトには戻れなくなってたからな。なんだかんだ人狼は便利だ。戻りたい奴らは戻ったし、もうそれはいい。つまり、オレには変な気持ちはないってことさ。」
識は、黙って頷いてすたすたと歩き出した。
博は、その背中を見ながら、どこまでも親父に似て偏屈で、困ったヤツだとため息をついていた。




