日常から
退屈な毎日だった。
何か面白い事はないかと常にSNSをチェックするが、投稿者は確かに楽しげなのだが自分が楽しいわけではない。
バーチャルの世界もそれなりに楽しいのだが、いまいちインパクトがない。
だが、自分で何かを作り出して人を集めて楽しもうという気力もない。
そんな感じで、いつかは何かをしようと思いつつ、毎日は仕事と家の行き来で終わって今年もあとひと月で終わる。それなりに平穏な年が暮れようとしていた。
東吾は、今日も仕事を終えてアパートへと帰って来た。
仕事は問題ない。
職場の上司は良くも悪くもないし、同僚も先輩も、確かに面倒な人も居たが皆、当たり障りのない範囲の付き合いだ。
そうやって問題なく働いているし、生活は回るし僅かながらも貯蓄もして、何かに困っているというわけでもなかった。
欲しい物は働き始めた時に買い漁り、全て揃っていて元々あまり物欲がある方でもないので、他に欲しい物もない。
最近ちょっと電子ピアノを買ってみたが、時々弾くぐらいでそこまでのめり込むこともなかった。
表向き、彼女が欲しいなどと言ってはみるものの、本当はそんな面倒を抱え込むほどの覚悟もなく、週末は自分のために時間を使いたいので誰かと出逢おうという努力もして来なかった。
そんなわけで、東吾はまさに当たり障りのない毎日を、無難に生きていた。
…動画でも見るか。
パソコンをつけて、服を着替える。
夕飯は今夜は面倒なので外で済ませて来たし、後は風呂に入ってダラダラして寝るだけだ。
明日は休みだし、少しゆっくりしよう、と、キッチンで温かいココアを入れて持って来た。
パソコンの前に座ると、パスワードを入れて開く。
通知が山ほど来ていて、いきなりピロピロと着信音が連続して鳴った。
「はいはい、またかよ。」
登録している動画サイトのチャンネルからの通知や、SNSの通知だ。
それらをサクサクさばいて消そうとしていると、ふと、目に留まる字があって手が止まった。
『リアル人狼を楽しむクラブを立ち上げました』
そんなSNSのオススメ通知の一つだった。
少し興味を持ってそれをクリックしてみると、『初回限定、五千円払うだけで、滞在中の衣食住は保証。勝利陣営にはサプライズプレゼントあり。先着順DM受付中。定員に達した時点で締め切り。退屈な毎日に刺激を与えてみませんか。衝撃的なゲームにつき、心臓の悪い方はご遠慮ください。』とあった。
東吾は、フフと鼻で笑った。
たかが人狼なのに、心臓が悪いとダメなのか?
恐らく、参加させるための煽り文句なのだろうが、東吾は興味を持った。
続いて投稿されている文章を見ると、どうやら年末年始を人狼ゲームで過ごす企画らしく、二十六日から明けて三日までがっつり滞在の予定だ。
ただし、ゲームの進行によって早期に終了する可能性があると注意書きがあった。
…実家にも今年は喪中で帰らないしなあ。
東吾は、思った。
祖母が今年始めに亡くなっているので、正月は何もしないと母親から連絡があったのだ。
たった五千円で、衣食住が賄えるし、何よりボーッと過ごす予定だった東吾には、暇潰しに参加してもいいかも知れない、と思えた。
これまで何もして来なかったが、そろそろ外の世界で何かに参加してもいいんじゃないだろうか。
東吾は、いつもならスルーするのに、その投稿に釘付けになっていた。
…そうだ、一度何かやってみてもいいんじゃないか。
面白いかもしれない…たかが人狼だが、職場以外の誰かと話す、いい機会だ。
東吾は、思いきってDMを送ってみた。
定員オーバーなら仕方がない。
そして、DMを送った後でやっぱりめんどくさいかもと少し後悔したのだが、そのまま動画のチェックを始めたら、もうその事は忘れていたのだった。
次の日の朝、気が付くと風呂に入るのも忘れてライブ配信を見ている最中に寝てしまった東吾は、目が覚めて急いでシャワーを浴びた。
そして、スマホのチェックをすると、今朝になってあの、昨日送ったDMに返事が来ているのを見つけた。
…定員オーバーかな?
何しろ、あの投稿は昨日の朝にされていて、自分がチェックしたのは夜の9時頃だったからだ。
だが、開いて見ると、そこには参加に当たっての連絡事項が送られて来ていた。
「え、間に合ったのか?」
東吾は、思わず声を出した。
だが、考えてみたら見てすぐに参加しようとDMを送る人も少ないかもしれない。普通なら、ちょっと考えて他に誰か誘おうかとか、休みは大丈夫かだとか確認してしっかり考えてから応募するものだが、昨日の東吾は何かに憑りつかれたように、さっさとDMを送ってしまっていた。
もしかしてめんどくさかったらどうしようと朝になって思って顔をしかめたが、こうして詳細な内容を送って来たという事は、決定事項になっているのだ。
ここでやっぱりやめたと断ってしまって、これが楽しかったと評判になった時に、もう参加できないというのも避けたかった。
曰く、最寄り駅までは自力で来て欲しいとのことだった。
そんなに遠い場所ではなくて、ちょっと郊外に行っただけの恐らくは多くの人が通り過ぎるだろう、主要駅と主要駅の間の駅で、そこなら人が集まるのに抵抗は無さげだった。
そこに、バスで迎えに来てくれて、貸し切りの洋館に集まって人狼ゲームをリアルタイムでやるとのこと。
食べ物も飲み物も食べ放題飲み放題で、元旦には正月料理も準備されるとのことだった。
しかも、一人に一部屋振り分けられて、バストイレ完備。
ちょっとした、旅行気分だった。
「へえ。」
たった、五千円で。
少し怪しい気もしたが、初回限定で次のゲームからは一人参加費12万9800円になるらしい。
もちろん、次回の参加は強制ではなく、参加したい人だけ参加してください、ということらしかった。
ようは、今回はPRのための特別な回なのだ。
…最悪、面倒だったらさっさと吊ってもらって部屋に籠ってるのもありかもな。
東吾は、そんな事を考えていた。そもそも知らない者達の集まりだし、合わなかったりしたら堪らない。
もしうるさい人なんかが居たら、さっさとゲームから離脱して一人でスマホのゲームでもして過ごしてもいいかもしれなかった。
東吾は、了承の返事を送り、誰か誘ったら良かったかと思いながら、当日どんなメンツが集まるのかと、不安半分、期待半分でその日を心待にするようになったのだった。
当日、指定された駅には13時集合なのでゆっくりと準備をして、ボストンバッグに9日分の着替えを詰めてアパートを出た。
途中で洗濯すればいいか、と、服はそんなに入れなかった。
そもそもそんなに服装にこだわりがある方でもないのだ。
ジーンズにクルーネックのカットソー、セーターという普段着の上に一枚だけ持っているいつものコートを来て、ボストンバッグを肩にスニーカーを履いて、東吾は駅へと向かった。
世間は休みに入っているところも多いので、空いているかと思ったが電車はそこそこ混んでいた。
途中で各停に乗り換えて、降りたことのないローカルな駅に降り立つと、駅のロータリーは閑散としていた。
ここで降りる人は少ないようで、回りはあっさりとした山家の風景で駅前という感じではなく、何やらとんでもない所に来たような気がする。
だが、申し訳程度のロータリーには、マイクロバスが一台止まっていて、扉は開いたままで中に人がちらほら見えた。
…あれか。
東吾がそちらへ歩いて行くと、マイクロバスの中から背の高い三十代ぐらいの男が愛想良く降りて来た。
「リアル人狼ツアーのご参加ですか?」
東吾は、にわかに緊張しながら頷いた。
「はい。田島東吾です。」
相手は、頷いた。
「フルネームは個人情報になるので他の皆さんには開示しないことになっています。ではこれを」と、『1東吾』と書かれたネームプレートを手渡された。「胸にお願いします。先着順なので応募順に番号が振り分けられています。それから、あちらは山の中の屋敷ですので、迷子対策で皆様に、外れないGPSの腕時計を着けて頂く事になっています。これを左腕に装着してください。仮に迷子になっても、こちらで位置を探って見つけられるようになっていますので。」
そう言って渡された銀色の腕時計は、ステンレスのような材質で、その四角い部分に『1』と彫ってあった。
そこを開くと、中に液晶画面があって、時間がデジタル表示されている。
東吾がそれを言われた通りに腕にはめると、それは自動的に腕に吸い付くように密着し、全くずれもしなくなった。
「…え?これ、外れるのか?」
東吾が思わず漏らすと、相手は苦笑した。
「大丈夫です。リモートで外れるように操作すると簡単に外れますので。何かあった時にどこかに引っかけたりして外れてしまったら、意味がありませんからね。」
言われて、確かに、と東吾は納得した。
山で遭難でもして滑落し、そこで外れていたらもともこもないからだ。
「では、どうぞお席に。あとニ人ですので、揃い次第ご説明致します。バックは網棚に乗せてください。」
東吾が頷いて中へと入ると、既に男女様々な人達が席に座って待っていた。
皆と視線が合ったので、誰にともなく軽く会釈すると、皆も会釈を返してくれる。
東吾は、そのまま席について、出発を待った。