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真夏の雪 (月星雪✻③✻)  作者: YUQARI
第三章 月見草と領布
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「さぁてと。どこから見ていこうか?」


 (ゆかり)と名乗ったその人物は、わたしの手を引いて、京の都へと連れ出してくれました。



 今は夜。


 真っ暗で何も見えない。


『あ、あのぅ……』

 わたしは少し心配になって、(ゆかり)に声をかけました。


「ん? どうしたと? 暗いから心細くなったと?」

 そう言って、わたしを覗き込む。



 (ゆかり)の目の色は、深い緑色をしている。


 常磐(ときわ)色……というのでしょうか?

 針葉樹を思わせる鮮やかな緑色は、暗闇にも関わらず、魅惑的に輝いていて、とても綺麗……。



 わたしは小さく頷く。


 暗い夜道など、()()()以外、歩いたことがない。

 そんなわたしを見て、(ゆかり)はくすりと笑いました。


「ふふ。大丈夫、大丈夫。ウチがおるけん、危なかこつにはならんよ?」


『……はい』



 別に、信用していないわけじゃありません。

 (ゆかり)は、わたしを連れ出してくれました。


 暗くて冷たくて、悲しい気持ちになる()()()()よりも、ここはまだ自由であったかくて、いいところ……だと思います。



『……』


 けれど狭いあの空間よりも、広く自由のあるこの場所は、不安になるのです。

 何をすればいいのか分からない。

 じわじわ、じわじわと余計な不安も頭をもたげて来るのです。


 暗闇に何かが、潜んでいるんじゃないかしら……?

 どこかで誰が、私たちのことを覗いている……?




 ── …………は、どこ…………か…………。





『!』


 どこからか、低い唸り声と共に、強い視線を感じました。


 わたしはゾッとする。

 ゴクリと唾を飲んだ。


 い……いいえ。


 そんなことはありません……。

 きっと、きっと気のせいですわ……。


 わけの分からない恐ろしさに、心なしか体が震えてしまう……。



 記憶が曖昧なわたしには、この夜の暗闇はとても心細い。

 まるで底の見えない暗くて深い水底に、引き摺り込まれているような、


 そんな感じ……。




 ──ぞく……っ。




『……っ、』


 わたしは怖くなって、自分を抱きしめる。


 暗くても、冷たくても……それから寂しくても、あの狭い空間の中、わたしは()()()()()()のではないかしら……?


 本当は、出て来てはいけなかったのでは、ないかしら……?



 思わず、そんな風に思ってしまう……。





「ほら! 見てごらん。()()()は光りがついとるよ!」


『っ!』


 (ゆかり)の言葉に、思わずわたしの体が揺れる……!


 驚いたわたしを見て、(ゆかり)も目を丸くしました。


 あ。……あぁ。怖がりすぎですよね……。

 わたしは驚いている(ゆかり)に、小さく微笑み返す。

 ……なんだか、恥ずかしいです。


 (ゆかり)が指さしたその先は、篝火(かがりび)がいくつか灯された、とても大きなお屋敷で、(ゆかり)が言うように、まるで昼間のように明るかった。

 わたしはホッと胸を撫で下ろす。


 たった今感じた不安は、きっときのせいなのでしょう。

 篝火は、暗闇の中から見ると、とっても明るくって綺麗でした。




『まぁ……。凄く立派なお屋敷……』


 建物はいくつも連なっていて、その一つ一つは目を見張るほど巧妙(こうみょう)に造られています。


 先程は、あんなに不安に思えていた外の世界に、いつの間にか魅了されてしまう。

 あぁ、やっぱり出て来て良かった……。



 建築物には、良い木材を使用しているようで、欄干はツヤツヤとしていて、美しい。とても木材には見えません。

 まるで甘い蜂蜜のように、トロリとした質感の手すりは、触れてさえみたくなる。


 壁や柱に施された細工は、緻密(ちみつ)で美しく、篝火に照らされたそれらは、幻想的な紋様を浮かび上がらせていました。


 思わずわたしは駆け出して、敷地の中に入り込む。

 本当に、大きなお屋敷……。いったい幾つの建物があるのかしら?


 わたしは辺りをぐるりと見渡します。

 少し離れた場所には、池があるようで、チョロチョロと水の音が小さく聞こえました。

 あれは、橋の欄干かしら? 朱塗りのなにかが暗闇の中で、微かに見ることが出来ました。

 もしかしたら、鯉がいるかも!

 思わず走り出しそうになって、私はハッとする。


『あ! わたしったら、勝手に入って、良かったのかしら……?』

 入り込んでしまった今になって、私は気づく。

 ……ここは誰のおうちなのかしら? 勝手に入って良かったのかしら? そんなわけ、ないですよね……。


 恐る恐る後ろを振り返る。

 そう言えばいつも姉さまたちに、叱られた。




 ──もう少し、大人しくなさいませ? 本当に、姫さまらしくないのですから……!




『……』

 呆れたような、そんな姉さまたちの声が聞こえてきそう……。


 確か門番の前を、通り過ぎたように思います。

 もしかしたら、ものすごく怖い顔で、追いかけて来ているかも知れない。そしたらきちんと謝りましょう。

 そんな事を思いながら、顔を上げました。


『……あ。』


 けれど、そんな心配はしなくてよかったようです。

 わたしの後から、(ゆかり)がゆっくりと歩いて来ていました。

 (ゆかり)は、勿忘草(わすれなぐさ)色の涼やかな水干(すいかん)の下に露草(つゆくさ)色の袴をはいています。

 前にも思ったけれど、(ゆかり)は男の人……? それとも女性かしら……?


 着物だけ見れば、男性にも見える。けれど漆黒のサラサラとした線の細いその髪は、男性にしては長く、後ろでくるりと緩く束ねていました。

 顔は中性的で、声も高くもなければ低くもない。

 どちら……なのかしら?


 そう思いながら、わたしは自分の髪を見てみる。

 ……んー。私の方が少し、短いかも……?


 だったら、女性かしら?

 でも、本人に聞くのは、失礼な気もします……。

 尋ねようかどうしようかと悩んで、結局私は聞かないことにしました。必要な時が来たら、その時嫌でも分かりますもの。


 男性にしろ、女性にしろ、(ゆかり)は魅力的な容姿をしています。

 勝気なその顔はとても整っていて、夏だと言うのに汗ひとつかいてはいないのです。風をその身に纏い、涼やかに歩く姿は颯爽としていて、思わずほぉっと溜め息が漏れました。


 そうして、門の前に立っている門番に、(ゆかり)はヒラヒラとその細い手を振って、バカにしたように薄く笑うのです。




 ──……バカにしたように……?




 何故、そんな風に思ったのかは分からない。

 けれどその時わたしは、そう思ってしまって、歩みを止めました。


 ほんの少しわたしは、その事が気になったけれど、それよりも目の前の素晴らしい建物が見たくって、すぐにその事は頭から消えていく。


 門番は、追いかけてなど来ませんでした。

 じっと人形のように立っていて、ピクリともしない。


 そうか……(ゆかり)はきっと、このお屋敷の人なのかも知れない。

 だから、門番は追いかけては来ないのでしょう。

 わたしは、そんな風に思いました。



 (ゆかり)はわたしに追いつくと、屋敷の中を見てみないかと持ちかけてきました。

 わたしは嬉しくって、すぐさま頷きます。


『見てみたいです! こんな素晴らしいお屋敷、見たことないもの!』

「ふふ。喜んでもらえて良かった。ほら、こっちに来てみてん(来てごらん)?」


 草履(ぞうり)(きざはし)の下に脱ぎ捨てて、わたしたちは足音も軽く、建物の中に入り込む。


 床はいつも丁寧に拭きあげられるのでしょう。(ちり)ひとつなくて、歩くと少しキシキシと(きし)みました。




 ──「誰ぞ!?」




 急にあがった誰何(すいか)の声に、わたしはビクッと肩を震わせる。


 誰かがいる!

 怒られるかもしれない……。

 思わず身を強ばらせる。


 そんなわたしの肩に、(ゆかり)は手を置いて、耳元で囁きます。

「ふふ。大丈夫。心配せんでよかとよ……」

 言って、(ゆかり)は声の主に呼びかけました。


ウチやけん(私だよ)、大丈夫とよ? ちょっとお邪魔するけんね……」

 すると中から声がしました。


「あぁ……(わたくし)は、気にしすぎていけませんわね……」

「ふふふ。君は、少し神経質過ぎるよ……?」


 言いながら(ゆかり)は、御簾(みす)の間から体を滑り込ませます。

 わたしもそれに(なら)って中へ入りました。




『あ、いい匂い……』


 部屋には伽羅(きゃら)の匂いが漂っていました。

 今、香は焚かれてはいない。匂いは残り香なのでしょうか……。


 わたしはふと思います。

 高価な伽羅を、残り香がするほど焚けるのは、余程高貴な人に違いない……。その知人である(ゆかり)も、きっと高貴な人なのでしょう。


 几帳(きちょう)の隙間から、(あで)やかな十二単の着物が垣間見えました。

 先程の声の主なのに違いありません。


 わたしは緊張しつつ、挨拶をしました。

『あ、あの……。お邪魔致します』

「……」

 けれど相手からの返事はありませんでした。


 困って(ゆかり)を見ると、(ゆかり)は唇の前に人差し指をあてて、面白そうに笑っています。


「しー。家主は今、書き物をしとるけん。邪魔したらいかんとよ」

『あ……っ』

 慌てて両手で口許を覆います。


「ほら、こっちこっち……」

 (ゆかり)が別室から手招きする。

 わたしは几帳に向かって、軽くお辞儀をすると、(ゆかり)の後を追いかけました。



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