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真夏の雪 (月星雪✻③✻)  作者: YUQARI
第二章 発端
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弘徽殿の女御

蒼人(あおと)。お前は、弘徽殿(こきでん)女御(にょうご)さまを、存じておるかのぉ?」

 年配の陰陽師が口を開く。


 言われて内裏の配置を思い出した。弘徽殿は比較的西側に建てられた建物だ。

 確か今の女御さまは、太政大臣(だいじょうだいじん)さまの長女であられたはず……。


「確か、義子(よしこ)さま……で、ございますよね? お顔を拝見することなど当然ありませんが、お噂はかねがね……」

 言葉を選びつつ、返事をした。


 と言うのも、この弘徽殿の女御……かなり気弱な方だという話を聞いている。

 噂によると、同じ女御の元子(もとこ)さまがご懐妊のおり、手酷い詰りを受けて、それ以来心を閉ざされ、誰とも会っていないという。

 当然、未だに懐妊の兆しはない。


 まぁ、……帝の妃ともなれば、子どもを産むことが前提にはあるから、懐妊できない重圧は相当なものかもしれない。

 自分の親兄弟……はたまた、親戚の昇進に関わることだからなぁ……。


 私は眉を寄せる。

 内裏での生活は、満たされたものだろうと思う。

 しかし、ここまで精神的に追いやられると、哀れにもなる。静かな女の争いほど怖いものはない。


 その中で、今帝の寵愛を一身に受けておられる彰子(あきこ)さまは、我が子ではない敦康(あつやす)さまをお育てになられた。

 身分としては、中宮。弘徽殿の女御である義子(よしこ)さまより当然上にあたる。

 しかもこの彰子(あきこ)さま。自分の子どもが帝になる可能性を蹴って、亡き皇后の忘れ形見……敦康(あつやす)さまを、次の帝へと推してもいるのだそうだ。


 当然、親族からの叱責を買っているようだが、それにもめげず、逆に彰子(あきこ)さまの方が、お怒りをあらわにしているのだと言う。

 欲にまみれないそのご気性ゆえ、帝は彰子(あきこ)さまをお傍に置いておくのだろうと、私は思っている。


 ……帝としての重圧もあるうえに私生活でも、争う妻たちを見たら、確かに辟易するだろうよ……。


 そんな事を考えていると、おもむろに先程の年配の陰陽師が、険しい顔でそろそろと歩み寄ってきた。

「……?」

 コソコソと小さい声で話し出す。

 大きな声では、話せない内容なのだろう。


「その義子(よしこ)さまの部屋の一部がな、夜な夜な()()……のだそうだ……」

 しんみりと話すその声は、シーンとなった陰陽寮の室内で異様に響き、私は半ば焦る。


 確か、知られてはいけないのではなかったか?


 けれど、そんな私の心配をよそに、周りの陰陽師たちはそうだそうだと言わんばかりに、何人も頷いている。

 どうやらみんな知っている、噂話のようだった。


「……」

 声をひそめる必要などあるのか……?

 言ってはダメだと言いつつ、そこここで言っているんだろ……。

 半ば呆れつつ、言葉の意味を咀嚼する。


「凍る……」

 しかし部屋の一部が……凍る? この真夏に!?

 よく考えなくても異様な話だ。

 思わず目を見張り、言葉を返す。


「えっと……、凍るのですか? それはカビとかではなく……?」

「……ぶっ」

 私の言葉に、近くにいた若い陰陽師が吹き出す。


「バカ! 女御さまの部屋だぞ? そんな部屋がカビる分けないだろ!? 氷だよ! 氷! 凍るのは決まって西側の藤壺の宮の方らしいのだ。しかもそこに置いていた花瓶が、花ごと凍るくらい凄い冷気らしい……」

「花ごと……」

 思わず呟く。


 いやしかし、問題はそこじゃない。

「藤壺の宮……?」

 そうだ、分かったか? と言わんばかりに、陰陽師たちは一様に満面の笑みで頷く。


 《藤壺の宮》……その言葉に、嫌な予感しかしない。恐らくここにいる誰もが、()()()()()いるのに違いない。


 藤壺の宮には春の終わりに、澄真(すみざね)さまが狐丸と共に招かれた場所だ。

 狐丸が、帝の嫡男である敦康(あつやす)の命を助けたお礼だと言って、藤見の宴へ呼ばれた。その宴があったのが《藤壺の宮》。


 しかし、あの宴では何もなかったはず……。そう澄真(すみざね)さまからも聞いている。

 ……。

 そこまで考えて、私は目を細めた。

 まさか……狐丸と澄真(すみざね)さま……が、疑われているのか……?


「……」

 しかし……冷静になって考えれば、新たな面も見えて来た。

 なぜ、この話が()()()()()()()()()()なのか。なぜこれだけの陰陽師が、当たり前のように知っているのにも関わらず、澄真(すみざね)さまと私の耳に入らなかったのか……。

 それが意味するもの……。


 おそらく巷では、澄真(すみざね)さまが犯人なのだと、噂でもされているのだろう。


 けれど帝の奥方たちが関わる事なだけに、誰であろうと滅多なことは口に出来ない。

 恐らくは、この怪異の事を知る者も少ないと思われるが、その少ない者たちの中で、澄真(すみざね)さまを疑う者がいるのだろう。

 その事を知っている陰陽師の者たちは、私たちに気を使って黙っていた……とそういうことだ。



 少しだけほんわかとしたあたたかいものが、心の中に生まれる。

 みんなに恐れられていると思われていた澄真(すみざね)さまだが、その立場は、思っていたよりも情にあふれたものなのかも知れない。


 けれど、この陰陽寮で……陰陽寮()()で庇われたとして、何になる? 世間は思いのほか厳しいはずだ。

 庇われて知らないままで、あの澄真(すみざね)さまを護れるとは、到底思えない。

 しかし、知らないままで終わらずに良かった……と、私はホッと溜め息をつく。



「春にあっただろ? 澄真(すみざね)と妖狐が呼ばれた藤見の宴。あの時いた妖狐……確か、白狐だったか……?あれは、()()黒狐寺(こくこじ)の九尾とは、知り合いになるのだろう?」

 若い陰陽師は、嫌そうに……しかし面白がっているのがありありと分かる顔で、こちらを見る。


 ……やっぱり。疑われているのか……。


「確か、黒狐寺には澄真(すみざね)も出入りしていたではないのかい?」

 年配の陰陽師も、話に加わる。こちらは少し、心配した様な顔だ。


 確かに、出入りはしている。

 最近は狐丸に会うためも含まれてはいるが、その大半は仕事。

 九尾……瑠璃姫の状態調査に出向いているだけだ。なんの不備もない。現にその都度調書を書き、上へと報告している。


 しかし、世間はそう思わないのだろう。

 若い陰陽師は続ける。


「しかもその黒狐寺の九尾は、氷を操ると言うではないか? 弘徽殿の女御側では、澄真(すみざね)彰子(あきこ)さまと結託して……」

 そこまで言ったところで私は、思わず叫んだ。

「それはない!」


「……うわっ! あ、蒼人(あおと)……急に叫ぶと、驚くだろ……っ!」

 いつの間にか隣にいた私と同じ陰陽生……時定(ときさだ)が軽く跳ね上がりながら唸った。


 ……雨の中、余程走り回ったのだろう。一人びしょ濡れだ。非難がましく私を見る。

 ……いや、嫌いだとは知っていたが、あんなにも()()()を怖がるとは思ってもみなかった。

「ご、ごめん……」

 一応謝っておく。色んな意味で……。


 周りに集まって来ていた陰陽師たちも、突然叫んだ私に驚いて、私を凝視した。


 まあ、無理もない。小声で話していたのだから。

 急に大きな声を出されれば、誰だって、目を丸くする。


 しかし、今の話を容認するわけにもいかない。

 澄真(すみざね)と中宮さまが結託? あまりにも飛躍しすぎた話に、笑いさえ込み上げて来そうだ。


 私は鼻息荒く、口を開く。


「そもそも、澄真(すみざね)さまが、彰子(あきこ)さまと結託したとして、なんの利になりましょうか! 彰子(あきこ)さまに至ってもそれは同じこと。既に男児を挙げられているのですよ? それもお二人も! 今更、懐妊の兆しさえ見せない義子(よしこ)さまを呪詛し、なんの得がありましょうや!?」

 一気にまくし立て、ハァハァと肩で息をする。


 中宮、女御で争うのであれば、好きにすればいい。

 しかし、関係のない澄真(すみざね)さまを引き合いに出すなど、相手がやんごとなき存在だとしても、腹に据えかねた。

 私はまだ言い足りない! とばかりに、口を開く。


「皆さまも先程、見ましたよね!?」


 言って、手に持った例の氷袋を、ずいっと前に出した。

 中の水が、じゃぷんと音を立てた。

澄真(すみざね)さまは、氷にすら触れられないほど、極度の寒がりなのですよ……!」

 それは誰もが知る、周知の事実だ。

 今今始まった事ではない。子どもの頃からの、呆れるほどの寒がりだ。それなのに、呪詛に氷……冷気を使うなど有り得ない。

 それを見て、陰陽師たちも黙り込む。


「……」

「……」

「……そうであったな」

 小さな沈黙が流れた。


「言われてみれば、それもそうだな……」

 顎に手をあて、様々にしきりと頷く陰陽師たち。

 ……よかった。分かってくれた。

 私はホッと、安堵の息を吐く。


「……でもよぉ。蒼人(あおと)

 暫くなにか考えていた時定(ときさだ)が、おもむろに口を開く。


()()、知ってるのは俺たちだけじゃね? お偉いさんの……ましてや御簾(みす)の向こうから、けして出て来ない女御さまが、知るわけないだろ?」


時定(ときさだ)……」

 思わず情けない声を出した。


 そうなのだ。

 そこ! そこなんだ。


 例え、動機がなくとも、()()()さえあれば疑われる。疑った者の身分が高ければ高いほど、思い込みを(くつがえ)すのが難しい。


 しかも尻拭いは大抵、低い身分の者が切り落とされて幕を閉じる。

 下手をすれば澄真(すみざね)さまが処分を受けて終わる……そんな事になりかねない。

 考えて、血の気が引いていく。


 明らかにこの件に関して、身分が低いのは澄真(すみざね)さま……。公的に裁かれれば、助かる見込みはない。

 私はグッと歯をくいしばる。

「わ、私は澄真(すみざね)さまの所へ、行ってきます……!」


「あ! こら、待て! 蒼人(あおと)!!」

 飛び出して行こうとした私を、時定(ときさだ)がグイッと引っ張る。

「ぐえ……っ! ちょ、時定(ときさだ)……苦しいだろっ!」


 ちょうど首の所を引っ張られ、死ぬかと思う。今はそんなことやってる場合じゃない。

 ガッ! と(ころも)を引き、非難の声をあげた。

 目が涙で潤む。


「まぁ、待て。相手はあの澄真(すみざね)さまなのだろ? 一筋縄でいくわけがない。弘徽殿の者か誰かの策略かは知らないが、何を狙っているのか見極めたほうがいいぞ。お前まで標的にされれば、澄真(すみざね)さまは困るんじゃないのか? それに、そう簡単にそちらのご当主さまとやらは、やられる玉なんですかね……?」

 ニヤリと笑う。


 くそっ! そんなんで、ヤられる訳ないだろ!?

 ギリっと時定(ときさだ)を睨む。

 すると時定(ときさだ)は、私の言いたいことを察したのだろう。嬉しそうに目を細めると、口を開く。


「じゃ、大丈夫だろ? 今日の雨を予知した澄真(すみざね)さまが鎮魂の舞を踊りさえすれば、悪霊も退散するだろうからさ。一応舞わせてみれば。」

 クククと喉で笑った。


「……っ!」

 結局、そこに戻るのか!

 私はふるふると身をふるわせる。

 だから、それが嫌なんだろ!?


 そりゃ、悪霊の仕業なら退散もするだろうよ!

 でもその分、変な虫が近づくかも知れないだろ?


 いや、それよりも、()()()()の策略がサッパリ分からない今、澄真(すみざね)さまを一人にする訳にはいかない。

 何としてでも、護り抜かなければならない。


「……ふふ」

 時定(ときさだ)は小さく笑うと、私の頭をポンポンと叩く。

「ま、何にせよ相手の企みを暴かなくちゃな。まずはそこからだ」

 言われてハッとする。

 コイツは考えているのか、考えていないのか、よく分からない時がある。

 けれど、時定(ときさだ)の言うことは最もで、私は小さく頷いた。


「……そんな事、分かってるよ」

 まずは敵の腹を探らなければ……。



(さて、これからどうしてくれよう……)


 私はそう心に決めて、空を見上げる。

 先程から降り始めた雨は、勢いを弱めはしたが、まだまだ止みそうになかった。

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