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真夏の雪 (月星雪✻③✻)  作者: YUQARI
第二章 発端
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陰陽寮

澄真(すみざね)さま。氷……もらってきましたよ」


 同じ陰陽師であり、うちの分家の跡取りでもある蒼人(あおと)が、そんな事を言いながら、小袋に入れた氷を持って来た。


「……」

 私は受け取らず、黙ってその袋を見る。

 こいつは、何がしたいんだ? 氷など、私は頼んだ覚えがない。


 すると蒼人(あおと)は、明らかに困った顔をして、私の顔を覗き込んだ。

澄真(すみざね)さま……。知っておられますか? 今は夏です」


「……そだな、暑いからな。……知ってる」


 こいつは……、何が言いたい……?

 眉を寄せつつ、蒼人(あおと)を睨んだ。


 ただでさえ、盂蘭盆(うらぼん)の準備で忙しいのだ。出来ることなら、話しかけないで欲しい。

 あからさまに、嫌そうな顔でもすれば、どこかへ行くだろうと思い、思いっきり睨んでやった。

 しかし蒼人(あおと)は怯まず、それどころか、呆れたように溜め息をついて、口を開く。


「このように暑い中、キッチリと狩衣(かりぎぬ)を着て出仕するのは、澄真(すみざね)さまくらいです……! まわり、見えていますよね!?」

 言われて、私は辺りを見廻す。


 現在、陰陽師たちは書類の整理に追われている。


 数多くある寺院で行われる儀式の詳細をまとめることから、内裏で行われる盂蘭盆会(うらぼんえ)に使われる道具の覚え書きなど、多彩な書類が所狭しと並べられ、その間を縫うように、陰陽師たちが点在している。


 今の陰陽師たちを、一言で表現するなら《ボロ雑巾》。

 そんな言葉がピッタリだ。


 ……いや、蒼人(あおと)が言いたいのは、そんな事ではない。

 そんな事は分かっている。

「……」


 確かに、狩衣を着ているのは私だけだ。


 他の者は、手軽な水干(すいかん)を着ており、どうかすると前をはだけて、氷を首に当てつつ、一心不乱に書き物をしている。

 正直、忙し過ぎて、着るものなどに構ってなどいられない。

 実際、仕事内容によっては、それこそ泊まり込みで仕事をする者もいる。



 ここ陰陽寮では、繁忙期(はんぼうき)に入ると、衣服の簡素化が認められる。

 ついでに言うと、涼むための氷も他より多く支給される。


 氷は貴重品ではあるが、京には多くの山々が点在していて、そこここに氷室が設置され、冬に切り出した大量の氷を保管している。

 さすがに、一般には出回らないが、内裏や中務省(なかつかさしょう)では、思いのほか容易に氷は手に入った。



 ……。


 しかし、私は氷があまり好きではない。

 氷よりも、湯。

 出来れば温泉などあると、言うことない。


 暑い日には、氷にしがみつくよりも、温かい温泉に浸かった方が、涼めると思うのだが……。



 そんなわけで、私は氷を使わないのだが、それが蒼人(あおと)には気に食わないのだろう。これみよがしに、氷を私に渡そうとする。


 親切心からかも知れないが、余計なお世話だ。

 私は目を細め、口を開く。


「……では何か? お前は私に水干を着て、前をはだけつつ仕事をしろと?」

「……そこまで、言っていません」

 心なしか、蒼人(あおと)は赤くなる。


 私は溜め息をつくと、筆を置き、蒼人(あおと)に向き直る。

 言いたいことは分かっている。

 この繁忙期に倒れる陰陽師は、少なくない。

 熱にやられて、そのままポックリ逝ってしまう者もいる。


 蒼人(あおと)は、それを心配しているのだろう……。

 はぁ……と溜め息をついて、私は口を開く。


「私は、このままで平気だ。こまめに水も飲んでいる。今のところ、倒れる予定はない……」

 言って、蒼人(あおと)が手にしている氷を、横目で見る。


「……だから、()()はいらない。私が冷たい物を苦手にしていることは、知っているだろう……?」

 呆れたように蒼人(あおと)を見る。

 あからさまに悲しげな目を向けられ、うっとなる。


「けれど、せっかく持ってきたのだ。蒼人(あおと)、それはお前が使うといいよ」

 言って、私は早々に背を向けた。蒼人(あおと)の哀れな顔など見たくない。



 そもそも私は、幼い頃より冷たい物……寒いものが苦手だ。


 貴族が一般的に過ごす寝殿造では、風通しが良すぎて体調を崩しやすく、よく寝込んだ。

 寝込む度に、母上や絢子(あやこ)が心配して、一睡もせずに、私についていてくれた。


 私の容姿は、普通とは違う。


 灰青(はいあお)色の髪と目を持ち、おまけに人とそうでないモノの区別がつかなかった私は、よく妖怪や怨霊たちと一緒にいた。


 物心ついた時から、そんな調子だった私に、人々が近づくわけもない。

 当然敬遠もされやすく、本来看病ともなると、その家に仕える女房あたりが対応するのだろうが、誰も近寄りたがらなかった。


 だから母上と絢子(あやこ)が交代で、看病してくれたのだ。


 その事が、悲しくなるほど申し訳なくて、いっそ自分など死んでしまえば良いのに……と幼心にも、そう思った。


 だからこそ、こんなに寒さや冷たさを、毛嫌いしているのかも知れない。

 触れず、近づきさえしなければ、体調をこわすこともないのだから……。


 正直自分でも、ここまで冷たい物や寒さを毛嫌いするのは、おかしいとさえ思う。

 ……思うが、今更どうする事も出来ない。

 おそらく、意識の奥深くまで、刷り込まれてしまったのだろう。


 しかし、せっかく持って来てくれたものを、無下に断るのも非情であった……。

「……」

 少し反省して蒼人(あおと)を見る。


 蒼人(あおと)は、しゅんとして、下を向いていた。

「あ、蒼人(あおと)……? そう落ち込むな。そんなつもりでは、なかったのだ。私が悪かった……」

 言って傍に寄った途端。




 ──ペタ。




 まさかの氷袋を、私の首筋に押し付けて来た。

 キーンと脳髄まで響くような、冷たい刺激に一瞬思考が止まる……。

 ……。


 いくらかの間を開けて、全ての神経を逆撫でするような、ひどく攻撃的な冷たさが全身を駆け巡る。


「あぐ……っ」

 微かな悲鳴が口をついて出る。

 一瞬体が硬直し、体が傾く。咄嗟に右手で体を支えた。

 その途端、ズキズキと頭が痛み出す。


()っ……、」

 思わず頭を押さえ、堪らずその場にうずくまった。

  ……っ、頭が……割れそうに、痛い……。


「す、澄真(すみざね)さまっ!? いかがなされました? 申し訳ありません……こ、この様なことになるとは……」

 オロオロとした蒼人(あおと)の声が、頭上から降ってくる。


 顔を覗かれたが、ひどい痛みで目線を合わせることが出来ない。

 言葉すら……思うように、出ない……。


「あお……と……」

 小さく名前を呼ぶのが、精一杯だった。


「こら! お前たち、うるさいぞ! 喋る暇があったら、手を動かせ……! それに蒼人(あおと)澄真(すみざね)は、お前の本家の主にあたるのだろ? 主人の苦手なものくらい、把握しておけっ!」

 不意に、近くにいた陰陽師から、叱責が飛ぶ。


「も、申し訳ありません……。あぁ、澄真(すみざね)さま……大丈夫ですか……?」

 肩に触れた蒼人(あおと)の手が、哀れな程に震えている。


 おもしろい事に、蒼人(あおと)のその震えのおかげで、私の心が落ち着いていく。

(……私も……なかなかの、《鬼》かも……知れぬ……)

 少しずつ、痛みが引き始め、私は溜め息をついた。




 ──あぁ、それにしても、ここまでとは……。




 いつも冷たい物は、避けていた。

 だから今、氷に触れたらどうなるのかなど、考えもしなかった。


 荒く息をつきながら、私は出来るだけ蒼人(あおと)に微笑みかける。


 蒼人(あおと)は図体はデカいのだが、こういう時には、ひどく動揺し後々まで引きずる。

 だから、あまり心配を掛けたくなかった。


「だい……じょう、ぶ……だから……」

 一生懸命、言葉を綴った。

 けれど、発した声は思いのほか、掠れている……。


澄真(すみざね)さま……」

 あぁ、かえって心配させてるじゃないか……。


 私は後悔しつつも、大きく溜め息をついて、息を整える。

 普通の声が出るように、心を落ち着かせた。


蒼人(あおと)……。本当に、大丈夫だ。……心配かけて、済まない」

「……いえ」

 ちゃんと受け答え出来たが、蒼人(あおと)は解せないようだ。

 眉根を寄せ、今にも泣き出しそうな顔をしている。


 ……。

 大の大人が泣くなよ……?

 心の中で、蒼人(あおと)に言い聞かせる。

 涙を出しているわけではなかったが、私には蒼人(あおと)が泣いているように見えた。

 思わず、その頬撫でる。


「!」

 ピクっと蒼人(あおと)の肩が跳ねた。

 パシッと撫でた手を掴まれる。


 子ども扱いし過ぎたか……。

 苦笑いしつつ、私は手を引く。


 手を引いた事に、蒼人(あおと)は再び動揺し、青くなって顔を伏せた。

「……」

 私は出来るだけ、優しく語るように気をつけつつ、蒼人(あおと)に言葉を掛ける。


「本当に、もう大丈夫だ。それに、氷はいらないんだよ。もうすぐ()()()()()()。涼しくはなると思う……」

 そう言った途端、その場の雰囲気が、ピシッと音を立てて変化する……。


 ……え?


 書類に埋もれていた陰陽師たちが、一斉にこちらを向く。

 陰陽師の一人が、ポツリと尋ねる。

「……澄真(すみざね)。それは、確かな情報か……?」


 十分に眠っていないのだろう。

 腫れぼったい充血した目。

 その下に深いクマを作った陰陽師が、首筋だけをカタカタ揺らし、こちらを見る。




 ──まるで露店のカラクリ人形のようだ……。




 そう思った途端、相手の眉が鋭く釣り上がる。

「う……!」

 思っていた事が、バレたのではと、一瞬息を呑んだ。

 陰陽師といえども、さすがに他人の思考は読めないだろう……と冷や汗をかきつつ私は低く唸りながら、カクカクと首を振った。


「え、えぇ……。外で風の精霊が騒いでおりましたから……」


「し、しかし、今日は降らないと、占いで!」

 違う陰陽師が叫ぶ。


 彼は確か、天文の方で仕事をしていた者だ。私は陰陽全般なので、そこまでの専門性は持ち合わせていない。


「あ……っと、占いはあまりしないので分からないのですが、確かに精霊たちは申しておりまして……。あ、あと……セミが……」

「セミ……?」

「はい……。セミが鳴きやんでおりますし……」

「……」

 その場にいたものが、一斉に耳をそばだてる。


 朝からうるさい程に鳴いていたセミが、今はピタリととまっている。


「……確かに、鳴いていない。……しかし、それがなんだと言うのだ!」

 例の天文専門の陰陽師が叫ぶ。

 疲れがピークに達しているのか、機嫌が悪い。

 私は身の危険を感じ、少し身を引く。


 蒼人(あおと)がそれを見て取り、護ろうとしてくれているのか、自分の背に私を隠してくれた。


 ……けれど、それでは火に油を注ぐものだ。

 私はそんな蒼人(あおと)の肩を押しのける。押しのけられて、(すが)るような蒼人(あおと)の視線を感じたが、知ったことか。

 今は、構ってる暇などない。


「はい。……セミは雨の日には、鳴きませぬゆえ……」

 その言葉に、にわかに場が、殺気立つ。

 ザワザワと騒ぎ出す陰陽師たちの様子に、私は蒼くなる。


「……しまった。私は余計なことを……」

 そのつもりはなかったが、逆らったと思われたかもしれない。ハッとして、袖の先で口を押さえた。

 誰にも気づかれないように呟いたつもりだったが、近くにいた蒼人(あおと)には聞こえたようだった。

 耳元で、蒼人(あおと)が、説明してくれる。


「違うのですよ。今、外で迎え火と送り火に使う生木を乾燥させているのです。湿らせば、余計な仕事が増えます。……言ってはいけない事ではなくて、言ってもらって助かりました……っ!」

 言いながら、蒼人(あおと)が立ち上がる。


「生木を片付けるのですよね? 近くの陰陽生(おんみょうのしょう)にも、声を掛けてきます……! 澄真(すみざね)さまは、体調を崩しているのですから、そこで大人しくしていて下さいよ……!」

 言って飛び出して行った。


「あ! 我々も……!」

 その後を追いかけるように、数人の陰陽師が駆けていく。

 バタバタと足音が遠のいていき、再び陰陽寮は静かになった。


 少し風が出てきた。

 数枚の書類が飛んでいき、私はそれを追いかける。

 急に立ったからか、ひどい目眩(めまい)を起こす。


「……」

 書類すら、まともに拾えない……。

 やはり私が、外で人と一緒に働くなど、無理があったのだ。


 自分の不甲斐なさに呆れながら、私はその場に倒れ込んだ。

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