時定
「ふふ。くくくく、あははははは……!」
あぁ、なんて愉快なんだ。
なんて愚かなんだろう。
もう、可笑しくて可笑しくて、どうにかなりそうだった。
それにあの白狐!
最近見ないと思ったら、あんな所にいるなんて。
山で見かけた時は驚いて、思わず声を掛けそうになった。
いやいや、あいつに関わると、ろくな事がない。最後にチラッと目線を合わせたが、何だか様子がおかしかった。
前のような、毒々しい気配はどこへ行った?
「……まぁ、どうでも良いけど」
俺は目を細める。
気配でちゃんと分かるんだぞ。
俺に抜け駆けして、仮契約を勝ち取るなんて!
「ふふ。ふふふふふ……」
でも、その勝ち取った仮契約をむざむざ手放すとか! よほど、あの澄真とか言う人間が気に入っていたと見える。
「人間ねぇ……」
正直、もう飽きてしまった。
前は俺も惹かれはしたけどね。
「……」
込み上げてくる笑いがおさまり始め、俺は唇に指をあて、考える。
でもまぁ、俺の計画はそっちじゃないんだよね。
狙っていたのは、白狐じゃない。人間の方。
例の澄真かって?
違う違う。
仮契約をする人間なんて、物珍しくはあるけれど、俺の狙いは人類の全て。
妖怪たちをないがしろにした人間どもに、報復するのが、そもそもの狙い。
人って残酷なんだよね。
妖怪たちは何もしていないのに、式鬼として、駆り出された。
何もしていないのに、祓われた。
何もしていないのに、同士討ちをさせる。
ふふふ。まぁ、同士討ちに至っては、悦んで参加するやつもいるけどな。だけどまぁ、人を襲う理由なんていらない。人が妖怪を襲う理由が、《目についたから》なら、俺だって、その理由で十分。
アイツら、俺たちの人形のくせに、年々対抗手段を考えてるきやがる。うざいったらありゃしない。
だから狙ってた。
国の中枢を狙えば、すぐに機能は停止する。
停止すれば後は簡単だ。好きなように狩ればいい。
「ふふふふ……」
俺は懐からあるものを出す。
鬼姫からもらったあれ。
「……。しかし、こっちも驚く程に、上手くいったなぁ」
呟きながら手に持った髪紐を持ち上げる。
髪紐には少し金糸が縫い込められて、キラキラと篝火に照らされて、使い古しには到底見えなかった。
だけど、本当に危なかった。まさか見破られそうになるとはね。さすがは鬼姫と言ったところかな。
俺は内裏から出て来た時のことを思い出す。
あいつ、いきなり怯え始めるんだもんな。もうダメかと思って、危うく殺しかけた。
……いやいや、アレは思念だから、殺しても死なないけど、警戒されるのは得策じゃない。呪物が集まるまでは、大人しくしとかなくっちゃ。
あぁ、だけどアレは上手くいったな。内裏での受け答え!
「ぶふふふふ」
思い出しても笑いが込み上げる。
どの道、人間には俺たちの姿は見えなかったのに、上手い具合に、すり抜けた。
まさか、あの女御が話しかけて来るとか思わなかったから、焦ったが、上手くかわせたのも、一重に俺の行いが良いからに違いない。
俺はほくそ笑む。
「本当は後、もう一つ、欲しいんだけどね」
餌としての呪物は三つ必要だ。
一つ目は、既に置いてきた蘇芳色の領布。
二つ目は、このみかん色の髪紐。
三つ目は……さて、どうしよう?
「まぁ、コレを置きに行ってから考えるか」
俺はご機嫌になって、宣陽門を見た。
「今晩は」
言って俺は手をヒラヒラさせながら、門をくぐる。
「お? 今日はお前が当番か? こないだもじゃなかったか? 廻りが早いな? そんなに人員が少ないのか?」
宣陽門は左兵衛の陣とも言う。泊まりの兵衛の詰め所だ。当然門番が四六時中待機している。
「ふふ。何言ってんの。お前だってそうだろ? この前、会ったばかりじゃん」
俺は気さくに答える。
すると目の前の兵衛が、ハハハと笑った。
「違いない。確か、陰陽寮の人たちは、弘徽殿の氷祓いを始めたんだろ?」
兵衛が尋ねる。
俺は頷く。
「よく知ってるな? 極秘に進めてると聞いたのに……」
「ふふ。門番の情報網は半端じゃないぞ? 確か吉昌さまと澄真さまがお入りになられて、澄真さまが呪われたのだとか……」
神妙に言う兵衛の姿が可笑しくて、俺は吹き出しそうになり、慌てて手で口を押さえ、下を向く。
「ふぐ……。す、澄真さまは、……未だ意識が……戻ら……ぐふ……」
顔をあげてさえいなければ、笑い声など泣き声とさほど変わらない。
案の定兵衛は、俺の背中を擦り、なだめにかかった。
チョロいもんだ。
「あ、あぁ、もういい。もういい。やはり、みんな澄真さまのお屋敷に行かれたのだろう? お前も大変だな? お前のようなヒヨっ子でも駆り出されてるくらいだからな」
言われて顔を上げる。
笑いを堪えすぎて、目の端に涙が溜まった。
まぁ、それもちょうどいい。しかし、顔を上げるなら、微笑みを見せてはいけない。これがなかなか、骨が折れる。
「い、いいのだ。この位しか、お役には立てぬからな。……まぁ、何かあれば、上のものを呼ぶしか、脳がない……ほとんど役には立たんよ……」
涙を拭く。
あぁ。笑いすぎて、腹が痛い。落ち着け、俺……。
「まぁ、お互い頑張ろうや!」
「おう!」
「じゃあな、時定」
「おう!」
俺はおうおう言いつつ、後ろ手で髪紐を持って、ヒラヒラと手を振った。本当にチョロい。
髪紐は、《人》の目には視えない。
視えるのは、《鬼》以上の者だけだ。もしくは、特殊な妖怪のみ。《人》には……まぁ、ほとんど視える者はいないし、視えなければ触れることも出来ない。
「……」
だから、おかしい。
澄真には視えるはずはないのだ。しかし視えた。
視えたからこそ、あの領布に触れたのだろう。
触れなければ、氷鬼が攻撃してくるわけがない。氷鬼は至って友好的なやつらだからな。
「……。まぁ、いいか。早く、コレを置きに行こう」
俺は廻りを点検している風を見せつつ、目的の場所……温明殿へと向かった。
◆◇
温明殿は静かなものだった。
ここには、賢所といって八咫鏡が祀られている。
三つの部屋からなるこの場所は、帝に通じるものしか入れない。しかも最奥の内内陣に至っては、帝すら入れない神聖な場所だ。
しかし、それも俺なら入り込める。
《人》の姿になっていれば見つかってしまうが、元の姿になれば、誰にも見えない。
入っては行けない場所でも、見えないのであれば、入り放題だ。
ついでに、他の者が入れなければ、呪物も容易には排除出来まい。
「くふふふふふ」
俺は忍び笑いをしつつ、辺りを確かめる。
誰もいないことをじっくり確かめた後、元の姿へと戻った。
──ポンッ。
軽い音を立てて、元に戻る。
そのままするり……と温明殿の階を上り、内部へと侵入した。
建物の廻りには、警護の者もいるが、俺を止める者は誰もいなかった。
目指す賢所には、警護の者すらいない。
下陣、内陣と進み、内内陣へと入る。何ともチョロいものだ。チョロすぎて、欠伸が出る。
こんなだったら、何も陰陽寮に忍び込む必要もなかったな……。
様々な結界を危惧して、陰陽寮に入り込み様子をうかがったが、時期も良かったのだろう。陰陽師たちは、盂蘭盆の準備でてんてこ舞い。突然の奇襲には、対応出来なかった。
『……』
都合は良かったが、とんだ肩透かしだ。もう少し、骨があるかと期待もしたが……。
俺は祠の中を覗く。
立派な祠の中には、天照大御神の御神体として、八咫鏡が鎮座していた。
『ふふふふ。コレで二個目……』
髪紐を八咫鏡の下へ置く。
置いた途端にそこから、冷気が発せられる。
『ふふっ、さぁ、かくれんぼだよ。隠れるのは鬼さん。見つけるのは陰陽師……さてさて、無事に視つけられるかな……。ふふ。くふふふふ』
──もういいかい?
──もういいよ……。
言うやいなや、氷鬼たちが現れる。
──キン……ッ。
『!?』
不測の事態が起きた。
『フン。やっぱり反応するか……』
八咫鏡が氷鬼に反応し、排除にかかったんだ。これは如何ともし難い。
せっかく現れた氷鬼は、キーキーと哀れな声を出し、消えていく。
しかし、氷鬼も負けてはいない。
消されても消されても、姿を現す氷鬼に、俺は感心する。
『ふーん。あの姫さま、好かれているって事なのかな……? だけど、困るよね? 邪魔されちゃ……』
言って俺は鏡に触れた。
鏡は黒く染まっていき、その力を弱めた。
『そうそう、静かに眠ってて下さいよー』
そう言って、手を離す。
再び現れた氷鬼は、少し怒っていた。数も多い
消された腹いせだろう。仲間を大勢呼んで、さきほどよりも強い力で氷を吐き出した。
俺の術でなりをひそめた八咫鏡だったが、更に追い打ちをかけるように、氷鬼に氷漬けにされてしまった。哀れなものだ。
如何せん、防御反応が良かった為に、氷鬼がムキになった。こちらはすぐに凍りつくだろう。
さて後一つ。
あと一つは……。鬼姫の首でも置いててやろうか……? ふふふふふ。それはそれは、氷鬼共が泣いて喜ぶだろう。
もうすぐ術は完成する。
さてさて人間さま? あなたたちはどう立ち向かって来る気だい?
それともそのまま、凍ってしまうかな……?
俺は愉しくて仕方がない。
来た通りの道をそのまま戻り、俺は陰陽寮へと戻った。
さてさて、そろそろ隠れた鬼姫が、見つかる頃だろうか?
それとも見つけられぬまま、滅びるか……。
とくと高みの見物と、洒落こもうかな。
俺は薄く笑って空を見上げた。
八咫鏡が曇ったせいだろうか?
こちらの雲行きも、随分怪しかった。




