狐丸の憂鬱
ミーンミンミンミン。
ミーンミンミンミンミ──ン。
ジュワジュワジュワジュワ──……。
『ああ"ー! あ"つ"い"ぃいぃぃー……。すごく暑い、そしてうるさいぃー……』
ミンミンとセミがうるさい。
もう、本当に、うるさい!
ほんっっっとに鬱陶しいほどに、うるさい!!
セミの鳴き声にイライラしている上に、僕はめちゃくちゃ怒っていた。
だって、澄真が、……澄真が……っ!
あぁ、思い出しても腹が立つ!
ガリガリ……と地面を引っ掻いた。
地面どころか、傍にあったでっかい石ころも、僕の鋭い爪にかかればスパッと切れた。
『グルルルルル……』
唸っても、石に八つ当たりしても、気は晴れない。
余計にイライラして、今度は前足を振りかぶった!
しゅっ……!
手から鋭い空気の塊が離れ、ひゅんひゅんと唸りながら飛んでいく……!
──バリバリバリ……ドドドドド……!
近くに生えていた、大きな梶の木が真っ二つに裂け、地面に倒れた。
モウモウと土煙が上がる。
『うわっ! ゴホゴホゴホ……』
ペッペッと唾を吐く。
イライラの原因……それは昨日の夕方に起こった。
その日僕は久々に、澄真の家に僕は行った。
すっごくいい事思いついて!
この夏の暑さを吹き飛ばすような、とっても画期的な策だったんだよ?
でもそれには、どう考えても澄真の力が必要で、……。
本当なら、僕だけで出来たら良かったんだろうけど、僕……まだ力加減が上手くなくって……。
……あ、言い忘れていたけど、僕は白狐なんだ。妖怪の。
妖怪って言うと、人は嫌がるものなんだけど、澄真は、ちょっと違った。
澄真は、陰陽師をやっていて、僕のことをそんなには怖がらない。
──人っていうものはね、自分と違うものには、敏感なものなのですよ。
頭の中で、声がした。
……誰が、そう言ったんだっけ?
ずっと……、ずっと前に、誰かがそう言われたような気がする。黒狐寺にいる九尾の瑠璃姫さま……?
ううん。……違うような気がする。
瑠璃姫さまも、色々なことを教えてくれるけれど、そんな事は言わなかったような気がする。
でも人は自分と違うと、ひどく怖くなるのは確かだ。だって人間は、僕たちを妖怪と知ると、それだけで祓おうとするから。僕たちの言い分なんて、聞いてくれない。
妖怪は、そこに在るだけで、排除対象。
人ではない生き物を、人間はすぐ排除しようとする。
けれど、澄真は違う。
確かに僕は、澄真に攻撃された。痛い思いもたくさんした。だけどそれは、仕事だったから仕方がなかったんだ。
澄真は陰陽師だもの。
だけど僕が悪い妖怪じゃないって事が分かると、傷の手当てをしてくれた。色んなことを教えてくれたり、たまに、……本当にごくたまになんだけれど、一緒に遊んでくれたりもする。
だから僕は、澄真の事が嫌いじゃない。
……でも、最近僕は思うんだ。
澄真が僕を怖がらないのも、優しくしてくれるのも、どれもこれもみんな、澄真が陰陽師だからじゃないのかなって……。
少し前に、僕は帝の子どもを助けたことがあって、陰陽師である澄真は、白狐の僕を《祓うな》と命じられた。
その時、澄真がどう思ったのか、今どう思っているのかは知らない。でも、このとき命じられた澄真は、僕がびっくりするほど忠実に、その命令を遂行している。
人の世の中で、この《帝》って言う人は絶対的な存在で、だからこそ澄真は、僕を大事にしてくれるのだろう。
──……その事実が、時々ひどく悲しくなる時がある。
僕は妖怪として生まれたけれど、そんなに日がたっていない。
人の住む町の決まり事なんて、さっぱり分からなくて、常識ハズレなのだそうだ。
力加減がおかしくて、嫌なことがあってちょっと暴れたり、うかれて踊ってたりすると、人の造ったものなんか直ぐに壊れてしまう。
そもそも人が作るものって、貧弱だからいけないんだよ! もっと頑丈に作れば、僕が暴れても踊っても、壊れないはずなんだから……!
だいたい、なんであんなに脆いの? 爪が当たっただけで、スッパリ切れちゃうんだよ?
石より硬い物で作ったら、多少はもつと思うんだ。
そう、前に聞いた《鉄鉱石》とか……!?
『……』
でも現実は、そうはいかない。
現に鉄鉱石なんか、海の向こうの物だしね。京の都では手に入らないし。しかもそんなモノで家を作ったら、夏場凄く暑そうだ。
……、正直これ以上暑くなるのは、お断りだ。だから材木で造った建物で、正解なのかもしれない。
けれどそんなだから脆い。人間たちの作った物は、凄く脆いから、つい壊してしまう。
そうすると、この澄真が青い顔してやって来て、僕を怒るんだ……。
──《山で静かにしてろっ!》って。
怒られると、やっぱり怖い。
《祓うな》って命令されたかも知れないけれど、程度ってものがある。そこんところは、ちゃんと覚えたよ? 妖怪仲間に教えてもらったからね。
……だから、僕があんまり勝手なことをするのなら、澄真は迷わず僕を祓うかも知れないんだ……。
そう思うと、凄く悲しくなる。
だって、澄真はやっぱり、僕より仲間の人間の方が大切だって事なんだから……。
──人間は非力なのですよ……!
そう言えば、その誰だか分からないその人は、そんな事も言っていたような気がする。
確かに陰陽師ではない、いわゆる妖怪が視えない者たちは、ひどく弱い。
例えば疫病を司る妖怪がいたとして、そいつが人に向かってひと吹きするだけで、その人間たちは死んでしまう。
でも、澄真は、非力なんかじゃない。
多分僕のことも、すごく簡単に祓ってしまえるくらいの、すっごい力を持ってる。
あからさまに力を見せないから、分からないだけで、まだ何か隠しているんじゃないかと僕は思ってるんだ。
だから、簡単には手が出せない。
妖が視えない弱い人たちを、陰陽師である澄真たちが護ってる。悪いことをする妖怪とそれを祓う陰陽師。
どうあがいても妖怪の僕と、陰陽師の澄真は、敵同士。
『敵かぁ……』
僕は溜め息をつきながら、呟いてみる。
澄真の仕事は、面倒くさい。
例えばさっきも言ったけど、僕が京の都で暴れたら澄真は血相抱えて飛んでくる。
で、万一僕が何かを壊しでもしたら、澄真は後片付けをしてくれて、それから《ちょーしょ》ってヤツを書く。
それが澄真の仕事だ。
そしてそのちょーしょってヤツを出す相手が、澄真の上司の吉昌っていう陰陽師だ。
この陰陽師がまた曲者で、何をされたのか妖怪にひどい恨みを持っている。片っ端から妖怪を根絶やしにしようと企んでいるみたいなんだ。
力がある上に、頭がいい。妖怪にとっては、迷惑この上ない存在。
けれど、澄真にとっては、大切な仲間なんだ。
僕には、仲間がいない。
だから僕は、澄真や吉昌……それから、同じ陰陽師仲間の蒼人が羨ましい。
いくら僕が羨ましいと思っても、仲間なんて、そう簡単に手に入るものじゃない。
『陰陽師なのに、妖怪が仲間なんて、笑えるだろ……?』
僕はそう呟いて、ふふふと笑う。
僕は、澄真の仲間にはなれない。
だけど変に力を使って、《やっぱり狐丸はいらない奴!》なんて思われたくもない。
だから今回も、力加減が上手くできない僕よりも、細かい力配分が出来る澄真に頼んだ方がいいと思って、会いに来たんだ。
だけど──。
「ねぇ、澄真。暑いから風式神出してくれないかなぁ? ほら。風の力でピューっとすると涼しくなると思うんだよね。ほら、護符で、ぺぺぺ〜っと!」
とびっきりの笑顔で言ってみた。
……そしたらさ、澄真、なんて言ったと思う?
しばらく僕のこと、じーっと見てさ、ふぅ……って溜め息まで吐いて、
「……暑いと思うから暑いのだ。気にしなければ、さほど暑くはないぞ……?」
……とか言うんだ。
ひどいよね?
僕が暑さに弱いって、澄真は、知ってるんだよ!?
もう、毎日死にそうなほど、暑いんだ。
暑さが弱点だってことを澄真は、確実に知ってるはずなんだ!
だって僕、澄真に妖怪紋っていうのを、見せちゃったんだもん。
澄真の家に泊まった時だって、《あついのは苦手》だからって、ちゃんと言ったんだよ?
だから絶対、知らないわけがない!
そりゃ、妖怪紋を見せた時は、僕もバカなことをしたと思うよ?
でもあの時は、仕方なかったんだ。
陰陽師は、僕たちの敵だとずっと言われてきた。だから初めて澄真に会った時も、僕は必死で逃げた。
自分がやってない罪をきせられて、ムッとなって陰陽師ともやり合った。
それなのに、何故だか従う羽目になっちゃって、面白くなかった……。
だから……ちょっとムカッときて、見せちゃった。
妖怪紋──。
それは妖怪の体には、必ず刻みつけられている、弱点を表す紋の事。
妖怪の弱点を表しているから、それをそのまんま晒すということは、弱点を知られるということにもなり、とっても危険なんだ。
だから、普段は見えないように隠しておく。
紋を見せるという事は、《服従》の意思表示でもある。
もしくは《お前なんか、弱点知られても勝てるもんね!》という意思表示になる。
たいていは、ケンカ相手に使うんだ。
だからこそ僕は、澄真に見せた。見せてしまった。
服従の意思なんかじゃない。
お前なんかに負けるか! という意思表示だった。
要は、澄真をバカにしたんだ……。
……あの時、僕は本気でそう思っていた。
僕はぼんやりと空を見る。
空は信じられないほど真っ青で、木々の濃い緑色が、良く映えていた。
すごく色がハッキリしている。
季節はすっかり夏だ。
『あ〜ぁ』
僕は溜め息をつく。
耳をつくセミの声が、何だか僕の悲鳴のようにも聞こえた。