かくれんぼ
《"氣にあてられる"……?》
意味がわからず、目を泳がせる。
《ついて来なければよかった……》
わたしは少し後悔してしまう。
確かに紫は、閉じ込められた空間から出してくれた。
けれど、何故わたしがあそこにいた事を知っていたのでしょう?
わたしはあの時、声が出せなかった。
たから、助けを呼ぶことも出来なかったのです。
暗く狭いあの場所では、人の気配など少しも感じませんでした。
だからもし、声が出ていたとしても、きっと誰も気づいてくれなかったに違いない。
わたしは出かける時に、行き先を告げなかった。
だから姉さまたちも、わたしがいないことに、直ぐには気づかなかっただろうし、時間が過ぎてしまえば、私を見つける手段も少なくなる。
だから見つけられないでいるのかも知れません。
けれど紫は、わたしを見つけることが出来た。
……たまたまかしら?
それとも……
あぁ……そう、だ。
わたしはふと、たくさんの姉さまたちがいたのを思い出す。
その姉さまたちとは、よく……かくれんぼ遊びをした。
何故だかわたしは、いつもすぐに見つかってしまって、姉さまたちは笑ってわたしを抱き上げるのです。
隠れ方が下手なのかと、決まりを破って、遠くに隠れたこともありました。
けれどそれでも見つかるのです。
──『何故、分かるのですか?』
わたしが聞くと、姉さまたちはクスクスと笑います。
『だって……は、大切な妹ですもの』
『……は、大切な姫さまですもの』
『……がいるところに、わたくしたちはあり続けるモノだから』
──『だから必ず見つけ出せるのよ……!』
けれど今回、姉さまたちは、来てはくれませんでした。
何故、……見つけられない、のか……?
それは少し、不思議でもありますが、見つけられないのは、わたしにとっても好都合で、あまり深くは考えていなかった。
けれど、あの姉さまたちですら、見つけられないんですもの。
紫が私を見つけられたのは、少し、……変な気もするのです。
いつも不思議な力で、わたしを見つけていた姉さまたち……。今は何をしているのかしら?
わたしがいなくなって、心配しているの……かしら……?
わたしは紫を見る。
──何故、わたしは紫に見つかったのかしら……?
目の前にいるあなたは、いったい何者……?
ゴクリと唾を飲み込みます。
震えながら口を開いてみる。
『ねぇ、……ねぇ、あなたは、だぁれ?』
──ギリッ……!
言った途端、紫の視線がわたしを射抜く……!
『ふぐ……っ、』
音がするかと思うほどの視線と、何か分からない気の塊のようなものを投げ掛けられ、わたしは困惑してその場に座り込んだ……!
困惑……いいえ違う。
息が出来なくなったのです。
思わぬ苦しさに、わたしは喉を掻きむしる。
ひどい恐怖が、わたしを襲う……!
苦……し、い……。助け……、
「……」
苦しむわたしを、紫は静かに見下ろしている。
──助け……て……。
手を伸ばそうとするのだけれど、力が入らないのです。
あげることが叶わないまま、私の腕は、ガクガクと震える……。
わたしの問に、紫の緑色に輝くその目を細める。
くすりと笑って、口を開く。
ひどく形のいいその唇は、朱を掃いたように恐ろしい紅……!
──「ウチは……紫。だよ……?」
『!』
……そんなことは、知っている……。
わたしが知りたいのは、そんなことではない。
……そうではなくて……!
紫の手が伸びてきて、わたしに触れる。
ビクッとわたしの肩が跳ねました。
繊細な感じのする、細い腕。
その手には血の気がない、青白く長い指……。
そっとその細い指は移動して紫は、わたしの頬を撫であげる。
『ひぐ……っ』
ひどく冷たい指でした。
再びビクッと、肩が揺れる。
恐ろしくて、苦しくてわたしの頭は混乱する……。
《助けて……! 助けてっ》
頭に浮かぶのは、大好きなあの人。
名前、……名前はそう──。
──秋久さま……!
途端に涙が溢れてくる……。
逢いたい。
逢いたい……!
思い出した途端、全ての息を吐いてしまい、わたしはもがいた……!
『……っ、』
もう、息が……もたな、い……!
苦しくて、目の端から涙は後から後から、こぼれ出す。
「……ひどい汗。今……楽に、してやる……」
指先が、首筋を這う。
《やめ……て……!》
──パリン……ッ。
紫のその冷たい指先が、喉に触れた瞬間! 何かが弾ける音がした。
『!?』
一気に空気が、体の中に流れ込んで来る……!
『か、は……っ、はぁはぁはぁ……ゴホゴホゴホ……』
激しく咳き込むわたしの背を、紫が撫でてくれました。
『……っ!』
撫でられた場所から、ゾクゾクとした悪寒が走る……。
何かが、体の中から出ていく感触に、わたしは身震いした。
《な、……んなの? ……これは……》
ガクガクと再び震えが来る。
怯えながら、紫を見ると、紫はさきほどの別人のような怖い顔ではなくて、無邪気で可愛らしい笑顔に戻っていた。
《……え?》
「ごめん。怖がらせてしまったとかな? もう、冗談だって! おまじないとか、冗談に決まっとったい?」
『じょ、……冗談……?』
紫は笑う。
暗く寂しい空気は消え去り、明るい雰囲気が漂う……。
「そうと! 冗談と! 寒くないおまじないとかじゃ、なかとだけん。風が吹く外より、中の方が暑いに決まっとったい!」
言って、小さく笑います。
《あ……、その事……》
わたしは顔を少し伏せます。
恐ろしかったあの感覚は、少しずつおさまっていきました。
けれどその感覚は記憶となって、わたしの体の中に残り、ゾワゾワと痺れ続けるのです。
わたしは震えるように、溜め息をつく。
《あれは、いったい何だったのかしら……?》
不思議なことに、不安は消えていく。
ただ恐ろしかったその記憶だけが、体にこびりついて、拭いきれない。
「なに? 驚いたと? 君は面白かね」
紫は口許に両手をあて、クスクス笑う。
「あの《月見草》のあった部屋はね、塗り籠めって言ってね、土壁で出来とっとたい」
『土、壁……?』
わたしの言葉に、紫は目を細め、頷きます。
「そうと。土壁。神聖な場所……とか言うけどね、壁がしっかりしてるから、調度品を保管するとに丁度よかとよ。だけどあそこは特に風が通らんけん、暑かとじゃなかかなーって思ったと。だけん、領布ば、脱がんねって聞いたとよ」
少しバツが悪そうに。
それでも紫は、可愛らしく笑って、舌を出した。
『……あ』
わたしもよく、姉さまに向かって、舌を出して笑っていました……。
そんな事を、今の紫を見ながら、わたしは思い出す。
ほんの少しだけ近親感を覚えて、わたしは少しホッと胸を撫で下ろす。
『……』
まだ体はガクガクと震えて、立ち上がることが出来ませんが、相変わらず無邪気な紫の姿を見ることが出来て、わたしは嬉しくなりました。
そうか。
そう……ですよね。
…………。
そっと目をつぶる。
確かに紫は恐ろしい。
どんなに無邪気な笑顔を振りまかれても、優しい言葉を掛けられても、あの、深い悲しみをたたえた冷たい瞳は忘れることは出来ません。
きっと紫も、何かを背負って生きているのでしょう。
けれど今のわたしは、何処にも行くあてがないのです。
大好きなあの人の名前を思い出した今、唯一知り合えた紫の助けが必要なのです……。
『……』
わたしは軽く目を閉じ、息を吐く。
……大丈夫。危なくなったら、今度は素早く逃げればいいのですから……。
わたしはそう言い聞かせる。
油断していた時はいざ知らず、今は心構えが出来ましたもの。
だからこれからは……きっと。きっと、大丈夫。
「あぁー! だけど、夜が開けちゃった! 君、疲れとるよね?」
『!』
いきなり叫んだ紫の声に、わたしは驚いて身を強ばらせる。
紫は、くすりと笑ってそんなわたしを覗き込みました。
あぁ、そうか、……もうそんな時間なっていたのですね……。
『い、いいえ。疲れてはいませんわ』
首を振って言ったけれど、紫は顔を膨らませる。
「んー! ダメダメ。さっき真っ青だったとよ? 貧血じゃなかと? 疲れてないはずないとだけん! ちゃんと休まんとね! でも、まだ家までちょっとあるけん、歩いてもらわんといかんけど……よかかな?」
言って可愛らしくわたしを覗き込む。
『は、はい。まだまだ平気です……!』
「ふふ、よかった。じゃ、行こうか……!」
言って手を差し伸べました。
『……』
わたしは少し悩んだけれど、正直、行くところはないのですもの。
そっと、その手に自分の手を重ねました。
紫は、にっこり笑う。
朝日を浴びて、常磐色の細められた瞳は、不思議な色を醸し出していました。
重ねたその手はひどく冷たくて、まるで死人のようだと、失礼にもわたしは、そう思ってしまったのでした。




