月見草
紫が案内してくれたのは、いわゆる塗り籠めという場所で、寝殿の中でも最も神聖な場所だと言われています。
本当は主以外入ってはいけない場所なのではないかしら?
わたしはそんな風に思ったけれど、そこに飾られた調度品に目を奪われ、思わず歓声をあげてしまいました。慌てて両手で口をふさぎます。
ドキドキと、辺りを見廻します。
けれど、先程の女性からの叱責はなく、わたしはホッとしました。
大丈夫……だったかしら? 上目遣いで紫を見ると、紫は横を向いて、必死に笑いを堪えています。
余程わたしが、おかしかったのでしょうね?
紫は背中を向け、くくく……と静かに笑っていました。
もう! そんなに笑わなくったっていいでしょう!?
わたしは、ぷりぷりと怒りつつも、辺りを見廻します。
部屋に飾られている物は、どれもこれも本当に美しい装飾品ばかり。
珠飾りのついた簪に、べっ甲で作られた帯留め。見たことのない置物に、可愛らしいお人形まであるんだもの。
『わぁ……!』
また歓声をあげてしまう。
……本当にわたしったら……。
私は軽く頭を抱えました。姉さまたちが言っていた《姫さま》とやらには到底なれっこないのではないかしら?
……。
でも、ここまで来たら、楽しんだ方がいいと思うのです。
もしかしたらわたしは見つかって、もうじき姉さまたちに捕まえにやって来るのでは、と思うのです……。
『……』
捕まれば、もうここには戻れない。
姉さまたちは凄く優しいけれど、多分そう。……そういうところは、厳しいから……。
だから。だから、今! たくさん楽しんでおきましょう!
物珍しいものに目を奪われながら、わたしは外の世界の素晴らしさに酔いしれました。
この世はなんて、色々なものを生み出したのでしょう。
わたしは大きく深呼吸をして、目を輝かせながら部屋の中を見て廻りました。
塗り籠めの中は、壁にそってたくさんの着物がかけられていて、わたしは目を奪われます。
……全くわたしときたら、本当に何も知らない子どもだったのですね。様々な発見に、心動かされます。
燭台の炎は弱めで、少し暗めの中央部分には、黒塗りの長持ちが置かれ、よく使う物なのでしょうか? その台の上には簪や香の道具などが出されています。もっと良くその細工が見たくって、わたしは思わず身を乗り出してしまいます。
「君も、こぎゃんとが好きと?」
夢中になって見ていたら、紫が突然そんな事を言うのです。言われてわたしは、赤くなりました。
かなり……はしたなかったですよね……。
『う、ごめんなさい……! あまりに綺麗だったものだから。それに珍しいのです。色々な見たこともない花や動物や虫たち。色んな細工で、この世の世界が凝縮しているのですもの……!』
「そう? 喜んでもらえて、ウチも嬉しかよ?」
不意に紫は、笑ってわたしの手をとる。
『!?』
その手は、連れ出してくれた時に触れた手とは違い、ひどく冷たい手でした。
冷えたのでしょうか……?
いいえ、……そんなわけはありません。今は夏……だもの。
私は少し驚いたけれど、気にしないようにしました。
手の温かさなんて、変わるものですから。
「ふふ。どれも珍しくはあるけど、こっちはもっと珍しかよ?」
紫は無邪気にわたしの手を引きました。
『珍しい?』
その言葉に、紫は小さく頷きます。
「そう。……君は海を知っとる?」
尋ねられてわたしは頷きます。
以前姉さまたちに海の話を聞いたことがありましたから。
『見たことはないけれど、とっても大きな湖だとは聞いております』
「湖ね……。まぁ、そんなとこかな。その海の向こうから来た花でね、月見草って言うとよ」
紫は部屋の隅に飾られた、小さな白い花を指さしました。とても可愛らしい花でした。
わたしは思わず、微笑みます。
『月見草……?』
「そう。夏の夜にしか咲かん花と……」
わたしは花を見る。
可愛らしいその花は、四枚の大きな花びらをつけて、静かにそこに佇んでおりました。
『夜にしか、咲かない花……』
「うん。ウチ、これ見せたくてここに来たと。……あ、そう言えば、暑くはない?」
言われてわたしは考えます。
『……少し、暑い……かな?』
ずっと寒いところにいたせいか、少し汗ばんでいることに気がつく。
気がついてしまうと気になって、わたしはどうしようかと途方に暮れてしまいます。
紫は、『そうだと思った!』と無邪気に言って、わたしが肩に掛けていた領布に手をかけました。
あまりに突然な出来事に、わたしは少し驚いて身を引きましたが、紫は意に介さないようでした。
「だったら、領布だけ脱いで、ここに置いとくといいよ。また取りに来ればよかとだけん」
『え? でも……』
「ここ以外に置くとこなかもん。どうせここ、あんまり人来んし。……それとも着とく?」
顔を覗き込まれて、尋ねられ、わたしは少し困ってしまう。
『う、うーん。……ここで脱いで行ってもいいのですか……?』
「もちろん! ここに置いていた方が安全とよ? そこら辺だったら盗られちゃうかも知れんし」
考えてみれば、わたしは記憶があやふやで、戻る場所すら……それどころか、名前すら覚えていないのです……。当然、着物を保管できる場所など、あるわけはなくて……。
わたしは紫の好意に甘えて、するりと領布を脱ぎました。
蘇芳色のその領布は、フワリと紫の手の上で広がって、まるで蝶の羽根のように見えました。
紫は丁寧にその領布を畳んでくれて、そっと月見草の傍へと置きました。
前からそこにあったかのように、わたしの領布はその場に収まります。
『さ、これで準備出来たと! 心置きなくあの人を探しに行けるけんね!』
「は、はい……っ!」
紫の勢いに押されて、わたしは駆け出します。
目の端で、さきほどの十二単の女主人の顔がちらりと見えました。ちらりと見たその女性は、心なしか怯えているようにも見えました。
《あれ? ……気のせい……でしょうか?》
少し気になり戻ろうとしましたけれど、わたしの手を握る紫の手は、思っていたよりも強くて、戻ることは出来ませんでした。
わたしは仕方なくそのまま紫について行くことにしました。
その時わたしは、露ほども考えてはいなかったのです。
ずっと着ていたわたしの領布。
まさかわたしのその領布が、事件を起こすとも知らずに……。




