もう少し検討してみようとして
朝そんなに時間があるはずがない。
僕は項目が増えたことに驚いてしまったのだけど、細かくそれを検討してみるような暇はなかった。
僕は朝食の硬いパンを、少し野菜の浮いた塩味のスープにふやかして食べながら、
「今日は素早く柴刈りを終えたら、戻って来てゆっくり検討してみるぞ」
と決心した。
僕は朝食後、大急ぎでいつもの様に、背負子と紐とそして僕だけなのだが竹で作った槍を持って、林へと駆けて行った。
こういう時は1人だと、誰かを待ったりする必要がなくて楽ちんだ。
僕は早く柴刈りを終わらせてしまいたいと気が急いていたのだけど、前の失敗は繰り返さないぞ、と慎重に辺りの気配を伺い、スライムなんかがいないことを確かめて、林に入った。
あとはあまり木の枝を拾うのに集中し過ぎて、周りを気にするのを忘れないようにしないとな。
僕は拾った枝を背負子を置いた位置にとりあえず持って行った時ごとに、必ず周りの気配を探ろうと決めた。
そうしないと気が急いていて、周りの気配を探るのを忘れてしまいそうだからだ。
幸いなことにその日は近くにスライムも現れず、僕は目論見通り、素早く柴刈りを済ますことが出来た。
僕は孤児院にまたすぐに駆けて戻ると、人気がなくて、ちょっかいを受けないような場所で、ゆっくりと自分のことを見てみて、考えてみようと思っていた。
そう思っていたのだが、急に他のことが気になった。
僕は大急ぎで、走って林に行って柴刈りをして、また走って戻ったので、暑くなって汗まみれになっていた。
それに体に土汚れも付いていたし、着ている物も汚れていた。
今ままで、そんなことを気にしたこともないのだけど、何だかその体の汚さがとても気になるのだ。
自分でもなんでと思ったのだが、僕は自分のことを見てみる前に、とにかく体を洗って、着替えをすることにした。
僕は採ってきた落ち枝を、決められた場所に置いて、背負子や槍を片付けると、自分の寝床に行った。
寝床の脇には少しだけだけど、自分の私物を入れた箱がある。
その中から着替えを出したのだが、その時、もう一つ気になることが出来てしまった。
寝床が気になるのだ。
僕たちの寝床は、ごく簡単な木の枠に干し草を盛って、その干し草を木の枠より大きな布で覆ってあるだけだ。
それと上にかける布もある。
朝、その布をきちんと折り畳んでおかないと、シスターに怒られるのだ。
僕はその寝床が気になって、月に一度シスターにやらされていることもやろうと思った。
何かというと、その干し草を外に持って行って日に晒すのである。
めんどくさいだけで、やらされるのが嫌だったのだが、無性に言われなくてもそれをしたくなったのだ。
僕は着替えを持つだけでなく、寝床を覆っている布を外し、その上に寝床の干し草を移して、持って出た。
子供の僕にとってはなかなかの重労働になってしまうので、嫌な作業だったのだけど、今回は楽々とこなすことが出来た。
僕は洗濯場兼体洗い場となっている水場に行って、裸になって体を洗っていると、シスターが泥んこになった子を連れてやってきた。
「あら、ちょうど良いわ。 ナリート君、体を洗っているの」
「はい、ちょっと汚れてしまったので」
「それじゃあ、ついでにこの子のことも洗ってあげてちょうだい。
さっき野菜の洗い場のところで、あそこの脇に1箇所水が溜まって泥んこになっちゃう場所があるの知っているでしょ、そこでこの子転んじゃって、泥だらけになっちゃったのよ。
私は着替えを取ってくるから、洗ってやってね、お願いするわ」
「はい、わかりました」
シスターに頼まれて拒否できる訳もなく、僕はその泥だらけの子を洗ったやることになってしまった。
「ほら、こっちにおいで。 まずは着ている物を脱がないとな」
髪を少し長くしているから、そうだと思っていたけど、その泥だらけの子は女の子だった。
ついさっきまで泣いていたようで、まだちょっとしゃくりあげていたりする。
「大丈夫。 水で洗えばすぐに綺麗になるから。
ちょっと前屈みになってごらん、少し冷たいかもしれないぞ、頭に付いている泥を落とすために上から水をかけるからな」
僕は片手で水を掛けながら、もう一方の手でその子の頭を洗ってやった。
何も意識しないでやったことだけど、ふと片手で水を入れて桶を扱えるような力が自分にあったっけと思った。
何もしゃべらないと、いつまたこの子が泣き出すか分からないと思って、僕は少し話をした。
「お前なんて名前なんだ?
僕はさっきシスターが呼んだように、ナリートっていうんだ。 本当はナリヒトなんだけどな」
「なりいと?」
「あ、ごめんごめん、ナリートでいいよ、それなら言える?」
「ナリート?」
「うん、そう。 それでお前の名前は?」
「ルーミエ」
「ルーミエか。 なんとなくかっこいい名前だな」
「わかんない」
後から僕はこの時のことを思い出して、女の子に向かって「かっこいい名前」はなかったなと思った。
「かわいい名前だな」と言えば良かったと反省した。
ルーミエの髪や体を拭いてやりながら、僕はルーミエに言った。
「体をちゃんと洗ったり、きちんと洗って綺麗な服を着るのは大事なことなんだぞ。
清潔にしないと病気になりやすいからな。
清潔にしていれば、多くの病気は防ぐことが出来るんだ」
その時シスターがルーミエの着替えを持って戻ってきた。
シスターはルーミエに服を着せながら僕に言った。
「ナリート君ももう早く服を着なさい。
それにしてもナリート君はどこで『清潔』なんて難しい言葉を覚えたの?
『それに清潔にしていれば、多くの病気は防げる』なんて、誰に教えてもらったのかしら?」
どうやらシスターにルーミエに話していた言葉を聞かれていたらしい。
問われてみても、なんで自分がそんなことを言ったのか自分でも分からない。
言ったことは間違っていないと思うのだけど、どこで覚えたかとか、どこで聞いたのかなんて、全く記憶にないのだ。
僕は困った顔をしてシスターに答えた。
「うーん、どこで覚えたかも、どこで聞いたのかも全く思い出せない。
シスターも知っている言葉なんですよね。
だとしたらシスターから、何かの時に聞いたんじゃないかな」
「私は確かに、『清潔』という言葉は知っていたけど、『清潔にしていれば、多くの病気は防げる』というのは知らないわ。
だから私ではないと思うわよ」
「そうなんですか、じゃあ、誰だったんだろう?」
「まあ、それはいいわ。
ところでナリート君、その大荷物は何?」
「あ、寝床の干し草を日に晒そうと思って持ってきたんです」
「それは良い心がけね。 脱いだ物はちゃんと洗って干すのよ」
「はい、もちろんです」
「あたしも、洗って干す」
ルーミエが僕の手を引っ張って、そう言った。
「あらあら、ナリート君はルーミエちゃんに気に入られちゃったかな。
それじゃあ、そっちもお願いしようかな。
私は用があるから、もう行かなくちゃならないから」
シスターは僕の返事を聞かずに立ち去ってしまった。
僕は否応なく、ルーミエと一緒に洗濯をすることになってしまった。
ルーミエはさっきまでの泣き顔はどこに行ったのか、今はとても上機嫌だ。
僕はルーミエと並んで洗濯をしたのだが、ルーミエの洗濯物は酷く汚してしまった物の上、小さいルーミエでは力が足りず、ルーミエの作業ではあまり汚れが取れなかった。
結局僕は自分の着ていた物と、ルーミエの着ていた物と両方を洗うことになってしまった。
こうなることをきっとシスターは予測していたのだろうなと思った。
僕たちは洗濯物を持って、いや僕は寝床の干し草も一緒に持って、物干し場へと行った。
ルーミエを手伝いながら、紐に洗濯物を干して、それから僕は日がよく当たっている隅に、寝床の干し草を広げて、その近くに腰を下ろした。
ルーミエは洗濯物を干し終わっても僕にくっついていたのだが、僕の前に立って言った。
「あたしも、寝床の草、干す。
今、取ってくるから待ってて」
取ってくるから待っててと言われても、ルーミエの体格だと無理だと思って言った。
「まだルーミエは小さいから自分では無理だよ。
みんながする時に、一緒にやれば大丈夫だよ」
ルーミエは泣きそうな顔をして言った。
「やだ、ナリートと一緒に干す」
僕は仕方なしにルーミエと一緒にルーミエの寝床のある部屋に行って、ルーミエの寝床の干し草を、自分のと同じようにして持ってきた。
うーん、何だか今日は2人分働いている気分だ。
ルーミエの寝床の干し草を、僕のの横に同じように日に晒してやると、ルーミエはとても満足そうな顔をして、僕が座る横に座ってきた。
ルーミエは満足かもしれないけど、これって後で寝床に戻すのもやってやらなければならないんだな、と僕はちょっと面倒くさいなと考えていた。
そんなことを僕が考えているうちに、ルーミエは僕の横に座ったばかりなのに、僕に寄りかかって眠ってしまった。
気候はもう日が差しているところは暖かいを通り越して暑いくらいなのだが、ルーミエにとっては短い時間の中に沢山の事が起こった訳で、疲れたのかもしれないし、少し緊張が緩んだのかもしれない。
僕にとってはルーミエが寝てしまったことは、寄りかかられて少し重いけど、都合が良かった。
ルーミエが起きていると、この状況だと相手をしない訳にはいかない感じだけど、寝ているのならば、当初の計画の自分を見てみることを誰にも邪魔されず、ゆっくりと見ることが出来るからだ。
予定外の事態で少し遅くなったけど、まあそれはルーミエだけでなく、自分が何故かやり始めてしまったことが最初のきっかけではあるのだけど、まだこの物干し場に他の人が来るまでには十分時間があるはずだ。
洗濯物を入れる時間にならなければ、きっと他には誰も来ないだろう。
僕は朝の続きで、自分を見てみた。
項目の数字が増えているのが何故なのかは、やはり僕には理由が分からない。
自分で決心して増やした数字は分かるけど、それ以外が増えたのもあれば増えないのもある理由がどこにあるのかが分からないのだ。
でも今日、林まで走っている時に、全然疲れたり苦しいと思わなかったし、今もちっとも疲れた気分がしないのは、[体力]が3になっていたからではないだろうかと思った。
あと上がっていた、[健康]は何に影響しているのか分からないし、今日はスライム討伐はしなかったから槍を使っていないので、[槍術]に関しても昨日までとの違いが分からない。
あと上がったのは[魔力]と特別らしい[空間認識]だけど、この2つも僕にはまだ何なのか全く分かっていない。
結局数字が増えて、違いが少しでも分かるのは[体力]だけしかない気がする。
[槍術]は槍を使ってみれば分かるのだろうか。
今のところスライムを突き刺しただけでは、少しも違いが分からなのだけど。
それから今回の[全体レベル]が上がったことで増えていた項目、[敏捷][筋力][物理攻撃耐性][治癒魔法][石工][木工]を考えてみる。
[敏捷]は、きっとスライム討伐の時にスライムに飛びかかられることを想定して、逃げる練習をしたからだと思う。
一番最初にまぐれでスライムを討伐した時は、飛びかかってきたスライムに、反射的に突き出した木の枝が、うまい具合に核を突き刺したのだが、もし核に当たらなければ僕はまたスライムに他の場所を溶かされてしまうかもしれなかったのだ。
だから、スライム討伐をしようと考えた時に、一番最初に飛びかかられた時に逃げる練習をしたのだ。
きっと、その成果だと思った。
[筋力]も同じだ。
スライムに突き刺した槍が、力がなくて核を突き刺せなかったら、逆にやられると思って、出来る限り力を付けようと思って訓練してたのだ。 それの成果だ。
この2つは何だか自分の努力によって得られた項目のようで嬉しい。
でも次の[物理攻撃耐性]は、ちょっと考えてしまう。
「これって、どう考えても、リーダーにいじめられていた時、殴られたのを我慢してたからだよ」
僕はつい独り言を言ってしまうくらい、複雑な気分だった。
実際のことを言うと、殴られたのを我慢するのは、僕はそんなに大変ではなかったのだ。
スライムに足を溶かされた時の痛みに比べたら、リーダーに殴られた痛みなんて、比べようがないくらい小さな痛みだったからだ。
このくらいの痛みなんともないや、と僕は思っていた。
周りの友達は殴られて痛いだろうと心配して、シスターに僕のことを話してくれたみたいだけど、僕はただ単に理由もなく殴られるのが腹立たしくて、やり返そうかどうしようか迷っていただけだったのだ。
次の[治癒魔法]。 これって殴られた傷痕にシスターがヒールを使ってくれた時、前の時とは違って、じっくりと観察してたというか感じていたからだろうか。
それしか思い浮かばない。
でも、この項目があって、[魔力]という項目もあるならば、もしかしたら僕は魔力があって、治癒魔法が使えるということなのだろうか。
もしそうなら、使ってみたい。
僕は俄然興奮してきた。
ヒールっていう魔法は、傷を治す魔法だよね。
どこかに傷がないかな、流石に他人に試してみる訳にいかないから、自分に試してみるしかないよね。
傷、どこかになかったかな。
僕は自分を眺めてみて、この眺めてみるは本当に目で体とか手とか足とかを見てという意味だよ、さっきまでの自分を見るとは違うよ。
そうして僕は柴刈りで気が急いていたので、左手の甲を草の葉で少しだけ傷つけていたのを思い出した。
洗濯していた時に、ちょっと沁みるかなと僅かに思った程度の、ごく小さな傷だ。
傷をつけた時に、舐めてちょっとしたら血も止まったくらいの傷だ。
でもまだ傷痕はある。
僕はその傷にヒールをかけてみることにして、シスターや僕を助けてくれた冒険者がどんな風にしてヒールをかけてくれたかを思い出していた。
冒険者さんは、僕の足に両手をかざして、ヒールと唱えてヒールをかけてくれた。
これはダメだな、左手の甲だから両手をかざすことはできないから。
シスターは僕の額についた傷を、確か左手は髪を持ち上げるのに使って、右手だけをかざしてヒールをかけていた気がする。
ということは、両手をかざさなくてもヒールは使えるということだ、それなら右手をかざして、左手の甲の傷を治せるのではないだろうか。
僕はあまり期待しないように注意して、出来ないのが普通だぞと心に言い聞かせてから、試してみることにした。
出来るんじゃないかと期待しすぎてしまうと、出来なかった時にがっかりしちゃうからね。
僕はかざした右手の平から魔力が出て、左手の甲の傷を治すいうイメージを想像して、なんていうか、そのイメージが頭の中で固まったら、ヒールと唱えようと考えた。
理屈じゃなくてそうすれば良いのかなと思っただけだ。
僕は目を一度つぶって、一生懸命に頭の中でイメージを想像して、それから目を開けてヒールとゆっくり確実に唱えた。
何となく、体の中で何かが動くような変な感じがしたような、しなかったような、いややっぱりちょっとして、僕は見たいような見たくないような気分で、かざしていた右手をゆっくりずらした。
左手の甲の傷は無くなっていた。
僕は大興奮だった。