小さな罪
「やっぱり、絶対おかしいと思っていたのよ」
ある日の夕方遅い時間、食事をするために僕らが集まろうとしていた時に、大きな声が聞こえてきた。
何だか言い争っている声が聞こえる。
「待ってよ。 逃げないでよ。
何か言い訳があるなら、シスターや神父様の前ですればいいじゃない。
逃がさない。
逃げるなら、あたしを引きずって行けばいい」
言い争っている相手の声は良く聞こえなくて誰か分からないけど、聞こえる大きな声はエレナの声だ。
孤児院の中は騒然とした雰囲気になり、みんなが声がする場所に集まった。
騒ぎは、炊事場から孤児院の裏門に行く途中で起こっていた。
駆けつけてみると、エレナが僕らの食事を作るおばさんの腰に縋り付いていて、しっかりと服を掴み逃がさないようにしていた。
おばさんはそのエレナを振り解いて逃げようとしているようだけど、それを果たせずにいる。
その近くには、おばさんの普段から使っている鞄があって、そこから竹の皮に包まれた肉が見えた。
おばさんは集まった僕たちを見て、エレナを振り解いて逃げることを諦めたみたいだ。
「もう逃げないわ。 離してちょうだい。
そんなに引っ張られたら、服が破れてしまうわ」
「ウォルフ、ウィリー、裏門から逃げられないように備えて」
エレナは、おばさんの言葉を信用していないのか、ウォルフとウィリーが所定の位置につくまで、おばさんのことを離さなかった。
「神父様のところに連れていこうというのかい、こうなったらもう逃げも隠れもしないさ、好きにおし。
行くまでもなかったね、神父様とシスターもやって来たよ」
もう食事の時間だったのに、食堂には誰もいないで大騒ぎをしていたので、何事かと神父様とシスターもやって来たのだった。
「何事だね? 今は食事の時間だろう」
神父様はやって来て一番にそう言ったのだが、落ちていた鞄から肉が零れて落ちているのを見つけて、今の状況を察したようだ。
「さあ、みんなは食事に戻りなさい」
神父様は僕たちに再度そう言うと、おばさんに近づいて行って言った。
「あなたは、ちょっと私の部屋まで来てください」
「私はクビですか? それでは済まず罪人として咎められるのですか?」
「今、ここで子どもたちの前で話すことではありません。
私について来てください」
みんなは神父様の言葉に従って、食事のために食堂に向かって歩き始めたが、一方の当事者であるエレナはどうして良いのか分からずに佇んでいた。
そのエレナを心配して、ルーミエが側についている。
僕とジャン、それにウォルフとウィリーも2人だけをそのままにすることはできない気がして、その場に止まっていた。
「さあ、あなたたちも食事に行きなさい。
食事が終わった頃にエレナには話を聞くと思うけど、大体の事情は察しがついたから心配することないわ。 安心して食事に行きなさい。
ほら、行った、行った」
エレナを含めて僕たちはシスターに促されて食堂に向かった。
僕たちが動き出すと、シスターは「ふうっ」とため息をついたのに僕は気がついた。
夕食の間、食堂ではさっきの騒ぎについての話で大騒ぎだったのだけど、一方の当事者だったエレナだけでなく、その場に止まってシスターに移動を促された面々は、なんとなくみんなの調子に合わせることが出来なくて、黙々と早めに食事を済ました。
思っていた通り、食事を終えるのを見計ったように、エレナがシスターに呼ばれたのだけど、予想外に僕たちもシスターに呼ばれてしまった。
「神父様は、あなたたちも呼んでくるようにということなのよ」
シスター自身は気乗りしない様子だった。
「神父様、戻りました。 あっ」
軽くノックすると、すぐに僕らを中に入れるためにドアを開いたシスターは、小さく驚きの言葉を吐くと、開いたドアを閉めようかどうか迷いを見せた後で諦めて、中の神父様に謝った。
「すみません。 開ける許しを得てから、ドアを開けるべきでした」
「うん、まあ、仕方ない。 次は気をつけるように」
神父様も他に言いようがないという感じで答えたのだが、食堂のおばさんは、僕たちのことなど眼中にないようだった。
立っている神父様に、自分は床に手と膝をついて懇願している。
「神父様、お願いです、お許しください。
どうか食堂の仕事はクビになることを覚悟していますが、どうかそれだけで許してください。
夫には内緒にしていただけませんか、そうでないと私は・・・」
「まずは床に這いつくばっていないで、そちらの椅子に座りましょう。
今のあなたの姿は子どもたちに見せて良い姿ではありません」
神父様の言葉に、シスターはおばさんに近付くと手を貸して床から立たせて、椅子に座らせた。
僕たちは何だか居た堪れない気持ちで、部屋の入り口近くに立っていた。
「お前たちももっと中に入りなさい。 ドアはしっかり閉めておくように。
お前たちが緊張することはない、楽にしていなさい」
神父様にそう言われても、気楽にしていられる雰囲気じゃない。
ウィリーがしっかりとドアを閉めて、僕たちはさっきより少しだけ部屋の中に入って、固まって黙って立って、この後の動きを待った。
沈黙が部屋を支配している。 動きが止まったまま少し時間だけが進んだ。
コンコン、急にドアがノックされ、僕らはその音に飛び上がりそうに驚いた。
「神父様、お連れしました」
雑用をしているおばさんの声だ。
「入ってもらってくれたまえ」
「あっ、あなた」
入ってきた人を見て、椅子に座って俯いていたおばさんが絶望の悲鳴を小さく漏らした。
入って来たのはおばさんの夫で、部屋の雰囲気から何事かと心配そうな様子だ。
神父さんは、なんて言うか淡々とした調子でおばさんに言った。
「あなたにとっては辛いことでしょうが、事がことですので、知らせない訳にはいきませんでした。
あなたの旦那さんにも状況を理解していただく必要もあり、お呼びしました」
おばさんは椅子から崩れ落ちて、床で泣き出した。
入って来たおばさんの夫は何事かと驚いている、当然だ。
「えーと、これはいったい?」
おばさんの夫の口から、考えるまでもなく出た言葉に、神父さんが静かに答えた。
「今日、ここで働いているあなたの奥さんが、盗みをしました。
あなたもご存知でしょうが、盗みは決して許されない犯罪行為です」
「お前、なんてことを仕出かしたんだ」
おばさんの夫は、ツカツカとおばさんに近寄ると、おばさんの胸ぐらを持って上を向かせると頬を平手で大きな音がするほど叩いた。
「あなた、ごめんなさい」
「神父様、なんとか事を穏便に済ましていただくことは出来ないでしょうか?
このとおりでございます」
おばさんの夫は、さっき僕たちが部屋に入って来たときに見てしまったおばさんの姿と同様に、僕たちの目を気にすることなく、神父様の前で床に手と膝をついて頭を下げて懇願した。
「お止めください。
私は立場上、その願いを聞き入れる訳にはいかないのです。
奥さんは初めて犯した罪でしょうから、公開で鞭打ち程度のことで済むと思います。
そうすると当然、村人は皆知ることとなるので、秘密には出来ないので、こうして先にあなたに知らせるために、お呼びしました」
「そこをどうにか、この場で収めて、許していただけないでしょうか。
いったい、こいつは何を盗んだのでしょうか?」
「あなたの奥さんは、孤児の食事のための食材である肉を盗みました。
そのことを、この孤児院にいる多くの子どもたちにも見られてしまいました。
到底そのことを外部に知られないようにすることは無理です」
「食材の肉を一度盗もうとしただけです、許してやっていただけないでしょうか。
孤児たちにも神父様が口止めすれば、なんとかなるのではないでしょうか」
おばさんの夫がそう言った時、エレナが言った。
「一度じゃない。 もう何度もしているはず。
それだから私は気付いて、今日、それを暴いた」
おばさんの夫はエレナのことを鋭く睨んだ。
神父様はおばさんに訊ねた。
「今回だけのことなのですか、それとも何度か繰り返したのですか?
正直に答えてくださいね、ここにいるシスターはそれが本当かどうか判るのは、あなたも知っていますよね」
おばさんは一層顔色を悪くして、震え声で答えた。
「申し訳ありません。 もう何度も肉を家に持ち帰りました」
そう言い終わるとおばさんの態度が変わった。
もう駄目だと観念したのか、急にサバサバとはっきり喋り出した。
「だって、私の家だって、こんなに肉を食べる機会なんてないんですよ。
それなのにここで孤児のために肉の入った料理を作って、自分の家では肉は食べれないなんて不公平じゃないですか。
私が家の者に食べさせたいと思って、一部を持って帰ることが、そんなに大きな罪なのですか?」
何だか開き直ってしまった。
「あなたの言うことは、間違っています。
まず盗んだことには変わりがありません。
ここで食べている肉は、今ここに居るこの子たちが危険を冒して手に入れた物です。 それをあなたが何の対価もなく自由にして良い訳がありません」
開き直ってしまったおばさんの態度に、その夫は何だか困って焦った様子をしている。
「あの、家で家族で食べるだけとしては、持ち帰ろうとした肉の量が多くないですか?」
証拠品という訳でもなかったのかもしれないけど、おばさんの鞄、持ち帰ろうとした肉は部屋の机に置かれていた。
それを見てシスターが言った。
「あれだけの量を減らせば、持ち込んだ私たちには流石に判るよ。
気がついていたよね?」
「ああ、俺もおかしいとは思っていた。
前より多く肉を渡しても、出てくる肉の量は少なくなっていたりしたからな」
エレナの言葉にウォルフが同意した。
「お前、なんてことをしていたんだ」
おばさんの夫が、またおばさんを殴ろうというのだろうか、おばさんに近付いて行こうとするのをシスターが間に入って止めた。
「あの、あなたにも質問があるのですけど」
止めたシスターは、おばさんの夫に言った。
「あなたは自分の妻が行っていた行為に今日まで気がつかなかったのですか?
急に家の食卓に肉料理が何度も並ぶようになれば、何故だろうかと考えるのが普通ですよね。
あなたも気付いていたけど、黙認していたんじゃないですか?」
おばさんの夫は沈黙し、脂汗をダラダラと流した。
結局、おばさん夫婦は、通報によって駆けつけた村の自衛兵に連れて行かれて、その後2人とも公開で鞭打ちの刑に処せられた。
当然と言えば当然のことである。
盗賊行為はそれを許せば村の社会が簡単に崩壊してしまうため、厳しく罪を問われるのだ。 刑としては軽く済んだ方だろう。
でも、このおばさん一家にとって本当の刑は、ここからだった。
公開で刑に処せられた結果、この夫婦の罪は村全体が知ることとなってしまったからである。
盗賊行為は重い犯罪であるのと同時に、当然だけど村人たちから忌み嫌われる犯罪である。
その上、孤児院から盗んだということが、より一層村人たちの反感を強くさせてしまった。
結果として、おばさん一家は村の中で孤立し、村から出て行かなくてはならない状態になってしまったのである。
おばさん夫婦にとっては自業自得のことではあるけど、僕たちと変わらない年頃の子どもも居たので、ちょっと可哀想に思ってしまった。
それから蛇足なのだけど、徐々におばさんが盗む量が増えた肉は、自分の家で消費するだけでなく、知り合いにも配っていたみたいだ。
肉を盗む量が増えたのは、配ることでチヤホヤされることが快感になっていたという理由が大きいらしい。
配られた肉を喜んでいた人たちは、公開処刑になったことで、自分たちがもらった肉の出所を知り、もらってしまったということをどうしようかと悩んだようだ。
盗んだ肉がどうなったかも調べられたので、その中で自分たちが貰ったことも周りに知られてしまったからだ。
出所を知らずにもらっただけなので、自分たちが罪に問われることはなかったが、彼らは周りからの白い目を恐れて、そのもらった分の肉を買う以上の金額を孤児院に寄付することとなり、孤児院はひょんなことからちょっとだけ予算の余裕が生まれることとなったのだった。
もう一つ蛇足だが、おばさんの持っていた鞄は自分で作った物だったのだけど、肉を運ぶために工夫がされていた。
内部に、笹の葉を上手く敷くというか、内側に貼り付けられるように工夫がしてあって、肉を運ぶのに都合が良いような状態になっていたのだ。
僕は狩って身取った肉をどう運ぶかなんて考えていなくて、考えてみれば確かに身取っている川からこの孤児院に肉を運ぶのに毎回苦労していたような気がする。
この工夫を見たルーミエとエレナは、すぐに同様の工夫をした鞄を自分たちでも作った。
身取った肉を運ぶのがそれで随分と楽になった。




