このくらいの狼は問題じゃない
僕は領主様が家名を、僕の元々何故か持っていた家名に変更したことに感激して、それ以降の領主様と陛下との会話を、ただ聞き流していた。
「ランドルフよ。 お前に妻や子どもが出来たことは、とても嬉しく思うが、心配でもある。
そもそも私はお前にはもう穏やかな日々を送ってもらいたいと思い、あの様な何もない地を、お前の領地としたのだ。 あの地に行けば、お前のことを邪魔に思っていた者も、わざわざちょっかいを掛けることはないだろうとな」
「はい、陛下の御心を私たちはは理解していました。 それに私たちも自分たちが静かに暮らしていければ、それで良いと思っていました。
私たちには、それ以上のことがあの地で出来るとも考えられなかった、というのもありますが」
「ところが今ではお前の領地からは、聖女印の薬や雑貨が他領やこの王都にももたらされ、貴重なスパイダーシルクの一大産地となっている。 どちらも他領では真似が出来ないことだ」
「はい、でもそれは私の功績では全くなくて、妻となったこのカトリーヌや、子となったナリート・ルーミエ・フランソワの功績で、私たちとしては全く予期せぬ事であったのです」
「謙遜することはない。 確かにそれらの功績の第一は、お前の妻子のものではあろう。 だが、お前たちの保護がなければ、それらの功績は全く成しえなかったのも事実であろう。
その功績者が皆、お前の妻子になっていることからも明白だろう」
「はい、陛下のおっしゃる通りです。
夫ランドルフが私たちの功績を考えていることは、全てランドルフの後押しがなければ、一つとして成しえなかった事です」
シスターが陛下と領主様の会話に、礼を失しないかを気にしながらも、これだけは言いたいと口を挟んだ。
領主様は、それを止めようとしたのか照れたのか、少し慌てたような気配を見せたが、陛下は微笑ましく感じたようだ。
「ほら、其方の妻の聖女も認めておるぞ」
陛下の言葉に、領主様とシスターは照れ臭そうに沈黙した。
「まあ、私としては、平穏な日々をと送り出しはしたのだが、少し予感めいたものも感じてはいたのだ。 何しろ、あの老シスターがお前の領地に行ったからなぁ」
「はい、私もまさか老シスターが私の領地に来られるとは思ってもいませんでした」
「ま、あの者にはあの者の事情もあったのであろう。
そして行った先で、聖女を2人も見つけ出したのだから、あの者にも何らかの予知めいたことがあったのかも知れん」
これ以外にも陛下と領主様は、そんなに長い時間ではなかったが親しげに話をしていたが、僕は本当にただ聞き流してしまっていて、頭に言葉が入ってこなかった。
僕にはほんの短い時間に思えた陛下との謁見の時間を終えると、僕らは王都の邸に戻った。 それからは何だか良くわからないけど、前の時とは違う雰囲気の挨拶回りの日々だった。
普通なら当然だけど領主様とその妻となったシスターが揃って回るらしいのだが、シスターは聖女の称号を持つことを教会関係者に知られてしまったことからか、教会関係をルーミエとカトリーヌちゃんを連れて回ることになり、領主様とは別行動だ。 僕は当然ながら領主様に同行する。
前回の領主様と王都で貴族回りをした時とは、僕も立場が違うからか、僕の立場が公式になったからか、今回は前回とは違った色々な面が僕にもあからさまに見えてきた。 うん、貴族たちは僕たちと言うより領主様に好意的な人はとても少なく、反感を持っている人がかなり多く、それ以上に日和見的な人が多い印象だ。
陛下の「心配でもある」という言葉は、こういったことからなのだろうと思った。
そんなことを僕は少し考えはしたのだけど、これは僕だけじゃなくて、ルーミエ、フランソワちゃん、それにシスターも慣れないことをこなすのに精一杯で、決まっている毎日のスケジュールを終えるともうそれだけで疲れてしまっていて、他のことに気が回らない状態だった。
なんとか王都滞在の日程を終えた時には、本当にやれやれこれでやっと帰れると思っただけだった。
帰りは僕も行きとは違い、馬車に乗っていることが多かった。 揺れる馬車に乗るのは、馬に騎乗したり、馬を曳いて歩いたりするよりも疲れると思ってたのだけど、本当に疲れている時には、やっぱり馬車に乗る方が楽だと改めて思ったりもした。
僕はもうあとは帰るだけと気楽に思っていたのだ。 気疲れして、何も考えられなかったこともあると思う。
領主様はというと、疲れなど微塵も感じさせず、キビキビと一行を率いているという感じだ。 と言うより、王都を離れ、自分の領地に近付くに連れて、緊張感を高めているような雰囲気だ。 それは領主様だけでなく、護衛してくれている騎士たちも同じ感じだった。
周りに対する警戒心がどんどん高まり、常にしっかりと索敵しているような感じだった。
と言っても、僕はそんなことは最初ちっとも気がついていなかった。
「そんな感じで、前の時はあまり感じてもいなかったのですけど、かなりの場所で言葉は丁寧だったり、世間話という感じで何気なく話されているのですけど、言っていることをよく考えてみると、凄い皮肉だったり、馬鹿にしていたりというのがあって、それに対して領主様は逆にこっちも丁寧な言葉で何気ない調子で言い返したり、無視したり、ワザと聞き流したり、それを相手に分かるようにしたり、どうしようもない時は我慢したりと、本当にその場その場で対処していたりして、側で見てるだけで大変だった。
貴族って、あんな調子が普通なのかなぁ。 本当、疲れちゃうよ」
「ナリートの方も大変だったかも知れないけど、私たちの方だって大変だったんだよ。
前の時は院長先生は一番の年寄りだからか、何か言われることも何もなかったのだけど、シスターはまだ若いからか、色々と居丈高に言う人が居たり、そうかと思うと何だか近寄ってくる人が居たり、もちろん真面目な話をしに来る人も居たけど、やっぱりこっちもそういう人は少なかったよね、フランソワちゃん」
「そうね、大変だったのはナリートと領主様だけじゃないわよね」
馬車の中で、毎日が忙しく、そして疲れ切っていて、夜は同じ部屋で寝ているとは言っても、互いのしていることの情報交換さえ出来ていなかった僕たちは、王都での日々を教えあっていた。
一緒に馬車に
乗っているシスターは、笑みを浮かべてはいるのだけど、僕らの話の加わりはしないで、静かにしていた。
僕たち3人は、そんなシスターの姿も話に夢中になっていて、あまり気にしてなかった。 僕らは子どもたち3人の話が盛り上がっているのを、単純に楽しく聞いているのかなと、簡単に考えてしまっていたのだ。
もう少しで、僕たちの、つまり領主様の男爵領と、隣の男爵領との境となる場所まで来ると、馬車は止まった。 時間的には、ちょっと早いけど休憩なのかなと思った。
領地の境目だからと言って、何か特別なことがある訳じゃない。
もちろん領の境が川なんかで決まっていたら、ここまでがこちら側の領地、橋が本当の境で橋を渡ればあちら側の領地と分かるのだけど、何もない陸地では本当はどこが境なのかもはっきりしない。 あくまで地図上に線が引かれているだけで、実際はすごく曖昧なのだ。
川じゃなくても、普通は峠なんかを境にするんじゃないのか、なんて風に僕は思うのだけど、ここではそうはなっていないのだ。
「ナリート、ルーミエ、フランソワ、ここからはお前たちも馬に乗れ。 馬車にはカトリーヌ1人で乗れ。
まあ、そんなことにはならんと思うが、絶対ということはないからな。 もしもの場合はその方が素早く逃げることが出来るからな」
ええっ、どういうこと? 僕たち3人は領主様の突然の言葉に驚いて緊張したのだけど、そんな動揺を見せたのは僕たち3人だけだった。
「今までの道中は、何か危険を感じるようなことはなかったかしら。 私も馬車の中から何かの気配を感じないかと注意はしていたのだけど」
「今のところは何もないな。 やはり何か仕掛けられるとしたら、考えていた通り、これから少しの間だろう。
ま、十中八九は嫌がらせ程度の襲撃だろうから、どうということもないだろう。 それ以上でも負ける気はないけどな。
何かあったら、カトリーヌを含めてお前たちはまずは固まって、静かにしておれ。 それで用が足りるだろう。 ま、ないとは思うが、襲撃の規模が余程大きくて、どうにもならない時は、カトリーヌの判断で、お前たちは後ろを気にせずに領内に逃げ込め。
これは命令だ。 解ったな」
えっえっえ、どういう事。 僕は急なことに回らない頭で、そんな疑問しか考えられなかった。 ルーミエとフランソワちゃんは青くなっている。
シスターは領主様の言葉に、「解っているわ」という顔をして、頷いて言った。
「任せて。 そんなことないとは思うけど、それでももしもの時には、私が子どもたちは絶対に逃すから」
僕たち3人以外にとっては、きっと予想通り、予定の行動なのだろうと僕は理解した。
馬車の中で、シスターが僕らの話に加わらなかったのは、自分が役に立つか分からないけど、ずっと辺りの[索敵]に集中していたのだろう。
襲撃。 つまり僕たちは誰かに襲われるということだ。 自分たちの町に、家に帰る途中で襲われるなんてことを全く考えていなかった僕は、酷く慌てて[空間認識]だとか[索敵]だとかの能力を、目一杯意識して、最大限に使った。
馬車の両側にルーミエとフランソワちゃんが緊張の面持ちで馬を進める。 僕は馬車のすぐ前を進む。 その僕らの外側に4人の騎士が進んでいるのは僕らを守るポジションどりだ。
僕の少し前を領主様が進み、その前にも騎士たちが数人進んでいる。 領主様を直接守るポジションに騎士がいないのは領主様こそが一番強いからなのかなと、ちらっと思った。
僕の力の限界まで広げている[空間認識]に、隠れている者が引っかかった。
「領主様、誰かが隠れている」
「ああ、儂も気がついた」
僕の[空間認識]の力は少し特別で、[索敵]よりも優れていると思っていたのだけど、僕が気づいて指摘した時には、もう領主様の[索敵]にも引っかかっていたようだ。 領主様だけじゃない、きっと騎士の人たちも気付いていたのだろう。 僕が領主様に声を掛けたのが合図だったかのように、前に展開していた騎士たちが敵だと思われる者たちに向けて駆け出した。
この辺りは平原で、少し背が高い草が茂っているだけなのだけど、幾らかの起伏はある。 その起伏と草丈を利用して敵は隠れていたのだ。
騎馬が駆け出すと、敵も存在を悟られたことを知り、存在を隠さなくなった。 そして戦闘態勢をとった。
敵の数名が弓で僕らを狙っている。
「ナリート、もっと馬車に近づいて!!
私が[結界]で矢を弾くから」・・・・・「シールド」
ルーミエが僕に向かって、そう叫んだ。 僕だけを呼んだのは、領主様は騎士たちと共に、もう的に向かって突進してしまっているからだ。
[結界]って、何日かがかりの狩りなんかの時には、虫除けで散々世話になったけど、今のルーミエは矢も弾けるのか。 知らなかった。 虫除け程度の結界は、僕らはみんな張れるけど、やはり職業柄なのかルーミエが一番上手くて、ほとんどルーミエの役になっていた。 シールドはその[結界]の魔法の一つだけど、ルーミエでも難しくてなかなか出来ないでいたのだけど、ルーミエはそれもいつの間にか習得して、矢を弾けるだけの強度を持たせられるようになっていたらしい。 しかし、流石に大変なのか、必死の表情だ。 どうやらフランソワちゃんも[結界]の維持に協力しているようだ。 まさかフランソワちゃんもシールドが使えるのだろうか。
僕もシールドは使えないけど、[結界]を全力で張ろうかと思ったのだが、シスターに止められた。
「ナリート、あなたはもしもの時のために魔力を温存しておいて、熱湯を飛ばすだけでも良い攻撃になるでしょ。 誰かか怪我した時の治癒は私が受け持つわ」
シスターも、ルーミエとフランソワちゃんには加わらず、流石に馬車からは降りていたけど、魔力は温存しているようだ。
襲撃者の弓使い数人が矢を放った。 僕は「来た!」と思って緊張した。 矢は馬で突進している領主様たちの方に射られるのかと思ってたのだけど、そうではなくて、馬車近くの僕らを狙ったようだ。
ルーミエのシールドと、フランソワちゃんの何だか分からないけど掛けた[結界]が矢を弾くかどうかは判らない。 僕は抜けてくるかもと思って身構えた。
その時だった。 先頭を走っていた2人の騎士が通過しようとした矢に風魔法を掛けた。 矢は風によって軌道を変えられ、関係のない方向に落ちて行った。
非常事態だからなのだろうか、時間にしたらほんのわずかなの間のことで、重なり合って起こっているようなことなのだけど、時間が引き伸ばされているような感じで、全てしっかりと認識できている。
襲撃者は矢が全く有効ではなかったことを、全く悲観してなくて、当然のように即座に弓を捨てて、それぞれに接近戦用の武器を手にした。 もっと大量の矢を一気に放てばまた話は違うのかも知れないが、風魔法使いがいると弓矢の攻撃が無効化されてしまうことは、きっとこの世界の常識なのだな、と僕は考えた。 僕たちは少しホッとした。
その間にも領主様たちは襲撃者に突進している。 鎧のついた鞍を使っている見方の騎士は、この世界の普通の他の騎士よりも、馬を高速で走らせることが出来ているようだ。 矢が無効化されるのは予想の内だったようだが、この騎馬の接近速度は、襲撃者たちの予想外だったようだ。 慌てているのが遠目にも見え見えだった。
領主様を初めとする僕らの騎士たちの強さは圧倒的だった。 騎馬で襲撃者の所に突っ込むと、あっという間に襲撃者たちを殲滅してしまった。
僕の[空間認識]にも、他の人の[索敵]にも、すぐに引っかかる者はいなくなった。
襲撃者たちを殲滅に行った領主様や騎士たちは、それでも周りを警戒して、ゆっくりと僕たちの方に戻って来た。
その時になって、僕は緊張のあまり、自分が固く手綱を握り締めているのに気付いたのだけど、なかなかその握り締めた手を緩めることが出来なかった。 そのために僕はなかなか馬から降りることが出来なかった。
ルーミエとフランソワちゃんは、全力で魔法を掛けたからか、馬の側で地面にへたりこんでいた。 魔法を放つのに、両手を前方斜め上に上げたので、僕のように手綱を掴んでいた訳ではないので、鞍から滑り落ちることが出来たのだろう。
戻って来た領主様は、そんな僕らを見て、僕に言った。
「ナリート、これが戦闘だ。
人間同士の本当の戦闘は、とても恐ろしいだろ」




