それだけじゃない
「でもさ、私たちだけがこんな幸せにしてもらって良いのかな?」
泣き止むとルーミエが言った。
「私たち、みんな同じ境遇だよ。 それなのに私たちだけ良いのかな。
もちろん孤児院にいる子たちは、誰かが自分を迎えに来てくれることを、みんな心の底で願っている。 だけど、そんなことはほとんどないことも知っている。 それでもそんな時が来ないかと、もしそういう人が現れたら、自分を選んで欲しいと思って、良い子にしている。
誰かにそんな幸運が訪れたら、もちろん喜んであげようと思っているけど、それだけじゃなくてやっぱり羨ましく思う。
きっと、もしこの事をみんなが知ったら、みんなもそう思う、絶対に」
うん、確かにその通りだろう。 僕ら2人だけが特別視されたと思うと思う。
「確かに、フランソワをどうしようかと迷ったのだよ。 だがフランソワは孤児じゃなくて、元の村にきちんと村長をしている父親と母親、それから弟もいるからな。 それなのに儂が養子にする訳にはいかないじゃないか。
別にフランソワを除け者にした訳じゃないぞ」
「いえ、フランソワちゃんだけのことを言った訳じゃないです」
領主様の懸念は、ルーミエと同じに僕の相手となっているフランソワちゃんのことだったのか。 なんていうか、2人のことをどう言えば良いのか迷うな。 将来的には奥さん2人となるのだろうけど、まだそこまで行ってない気がする。
「ん、あ、そういうことか。
かといって、お前らの村の元孤児全員を儂の養子にする訳にもいかない。
村の連中には、代表してお前たち2人を養子にすることにしたと儂から伝えよう、もしそこが問題になったらば。
ま、今回というか、今この話を持ち出したのは、実際にその意味が強いからな」
僕とルーミエは、まだ頭が回ってなくて、領主様の言葉の意味が解らなかった。 きっと疑問を顔に浮かべていたのだろう、あれっ、という感じで解説してくれた。
「今回起きた問題は、移住させてやろうとした連中が、ナリートのことさえ代官だけど単なる孤児の代表の子どもと考えたことが、一番の原因だろう。
ま、確かに城下村の主な者たちは、まだほとんどが子どもをやっと終えたくらいだから、知らない者からはそう見えるのは仕方ないかも知れない。
この領内に前からいた者なら、お前たちはかなり有名になっているから、そんなこともないのだろうが、他の地から来た者にとってはそんな風にしか見えない。
そこでだ、儂の、領主の子どもという立場にしてやろうということだ。 歳が若くても、領主の子どもに対して舐めた態度をとろうとする者はなかなかいないだろうからな。
そういう分かり易い箔をお前たちに付けてやろうということだ。
お前たちの村も大きくなったし、人も増えた。 色々とやっていることもあるから、他領から来て関わりを持とうとする者もこれからは増えるだろう。 その時にいちいち今回のような問題が出て来るのは困るだろう。 かと言って、お前たちの村に、もっと大人の貫禄があるような代官を別に据えられても、それはそれでお前たちも嫌だろ」
領主様が選んでくれた人ならそんなことはない、と言おうかと思ったけど、想像するとやっぱり嫌だな、と感じてしまう。 ルーミエも渋い顔をしたから、同様に考えたのだろう。
「という訳で、今の時点で、お前たち2人を儂の子どもにすることにした。
何しろお前たちの作った城下村は、人の数はまだまだこの町には及ばないが、村と目される土地の広さは、もうこの町を超えているからなあ。 それにお前たちにとってはまだまだ途中なのだろうが、すでに糸や布の一大産地になっている。 それも高級な糸クモの糸と布の産地となっている。
今回の件でお前たちも良く解ったと思うが、王都近郊の糸クモの糸の生産はほぼ壊滅しているから、お前らの村は広く注目を集めてもいるという訳だ。
これまで通りという訳にはだんだんいかなくなってきているのだ」
領主様の言っていることは理解出来るけど、やはり面倒くさいと感じてしまう。 放っておいてくれよ、と思ってしまう。
そして今はそれ以上に、僕たち2人を養子にするということは、そういう意味があったからなんだと、ちょっとがっかりした気分になった。
なんとなく、養子にしてくれるという行為が色褪せて見えてきてしまった。
僕とルーミエがさっきまでと違って、何となく意気消沈としていると、いつから部屋の中に居たのだろうか、側近の文官さんが領主様に言った。
「ほら、そういうつまらない言い方をするから、2人が意気消沈しちゃったじゃないですか。
もっとちゃんと、もっとずっと前から2人のことを養子にしようと考えていたことを説明してあげなくちゃ。
2人ともよく聞いてください。 実は領主様は2人がまだ学校に通っている時から、2人のことを養子にしようかと考えていたのですよ。
本格的に養子にしようと決心したのも、もうかなり前のことで、色々と準備もしていたのですよ。
ナリートくん、王都でたくさんの貴族の人と会ったりしたでしょ。 あれもその一貫でもあったですよ。
ルーミエさん、あなたのことは領主様はあなたの[職業]を知った時から、あなたを守るために、すぐに養子にしようかと考えていたのですよ。
ここまで時間が掛かっていたのは、領主様には立場があり、あなたたち2人が領主様の子どもになって、十分にその立場に立てるだけの人間であるということを、周りの人たちも納得する必要があったからです。
今ではもう、領主様の周りの者はみんな、あなたたち2人が、そこにフランソワさんを加えても良いですが、領主様の子どもの立場になることを歓迎しているのです」
僕はそんなに以前から、僕とルーミエを養子にしようと考えてくれていたのだと、また少し感動しかけたのだけど、その後の言葉に何だか違和感というか、大袈裟だなと感じてしまった。 いや、そんなことはないのか、領主様の養子になるというのは、子どもになるということは、それだけ大きなことなのだろうか。 僕にはそこら辺のことは判らない。 ただ、王都に行った時に、あんなに色々と連れまわされたのには、そんな意味もあったのかと納得した。 あの時は、なんで僕がと思っていたんだよな。
領主様が少し渋い顔をして、側近の文官さんの言葉を説明してくれた。
「ま、これはまだ言わなくても良いかと思っていたのだが、こいつが辺なことを言い出しちまったから教えるが。
俺は妻がいないだろ。
これからも妻を娶る予定はない。
つまり、俺の子どもと言えるのは、お前たちだけとなる訳だ。
だから単純に俺がお前らを気に入ったからと養子にすることも出来ないし、俺の周りの者たちも、他人事と考えて好きにすれば良いとは言えない訳だ。 お前らがちゃんとした、仕えるに足る人物であることを納得できる必要があったのだ」
ええっ、何だか話がすごく大きくなっている気がした。
僕は単純に、領主様が僕を養子にしてくれたら、その恩をちゃんと返していきたいなと思ったけど、それ以上のことは考えてなかった。
というか、養子にしてくれるということを喜んでいただけで、まだ何も考えてない。
領主様の側近の人たちが、僕とルーミエにも仕えて良いと考えるかが問題になるとか、全く考えたこともなかった。 そもそも僕とルーミエにも仕えるなんてないでしょ。
「私は領主様の子どもにしてもらっただけなのだから、領主様みたいに誰かに仕えてもらおうとか思わないよ。
ちゃんと領主様の子どもになったからって、変な勘違いはしないよ。
心配しなくても大丈夫、その程度の分別は私だって持っているよ。
それにそんな勘違いをしたら、みんなに馬鹿にされちゃうよ」
ルーミエも僕と同じ風に考えたのだと思う。 少しだけ馬鹿にしないでと怒った感じで言った。
「ありゃりゃ、そっちに行ってしまいますか」
文官の人は、ルーミエの調子に逆に少し喜んだ感じで言った。
「ルーミエさんやナリートくん、それにフランソワさんも、そんな風に変な勘違いはしないと、私たちはみんなもちろん信じていますよ。
でも、私たちが領主様に仕えるのと同じように、あなたたちにも仕えるのは決定事項なんですよ」
ニコニコしてそんなことを言う文官さんとは逆に、さっきよりも渋い顔、どちらかというと苦い顔をして領主様は言った。
「そんな風に面白がって2人を揶揄うな。 2人とも訳が分からなくて困った顔を当然だがしているじゃないか。
2人とも、特にナリートはよく聞け。
俺の養子、つまり俺の子になるということは、将来的にはナリートは俺の後を受け継いで男爵となり、この領地を受け継ぐ領主になるということだ。 そしてルーミエとフランソワの2人は、その夫人としてナリートを支えて行くことになる」
「えっ、なんでそうなるんですか。
まだ領主様はそんな年寄りじゃないじゃないですか。 例えばシスターとこれから結婚したら、そうしたら2人の子どもが生まれるかも知れない。 そうしたら、その子が領主様の跡取りでしょ。
確かに今の時点では、領主様には奥方様がいなくて、子どももないけど。 将来的にはそういう可能性は十分あるじゃないですか。
僕は養子にしてもらえただけで十分過ぎると思うし、もしそんな人が領主様に出来て、子どもが生まれたら、義理の兄として出来る限りのことをしてあげたいと思います」
「私も義理の弟か妹が出来たら、絶対に可愛がって、良いお姉さんになる努力をする」
僕とルーミエだってもう、そのくらいの立場は弁えているのだ。
僕とルーミエが言った言葉を聞いて、領主様は少し嬉しいような、そして眩しいような、そして最後に困ったような顔をした。 文官さんはなんだか泣き笑いのような顔になった。
「さっきも言ったがな、俺はこれからも妻を娶る気はないんだよ。
いやもっと正確に言おう。 俺は妻を娶れないんだ。
もうお前たちもすぐに成人になるし、フランソワも含めて同じ部屋で生活を始めているのだから、きちんと話しても良いだろう。
俺はな、子どもが作れないんだ。 だから妻を娶ることが出来ない。 だからお前たちを養子にしたら、それ以外の子どもはない」
あ、そういう事か。 だから側近の人たちの意見なんてのも問題になるのか。
理解は出来たけど、養子になることにプレッシャーも急に感じだした。
「俺が男爵になる原因となった犯罪者は、単にそれだけではなく俺を子どもが出来ない身体にした直接の相手でもあったんだ。
実際のことを言えば、俺はその恨みが大きくて、奴を追い詰めて殺したというだけのことだったんだ。 ま、奴にとっては俺にしたことなんて些細なことで、もっと大きな悪事をたくさん重ねていたから、それを滅ぼしたことで俺は貴族に叙されてこの地の領主になった訳だが、実際はそんなものだ。
だからそれを評価されての恩賞として、爵位と領地をもらった訳だが、素直に喜べた訳でもない。
それでも男爵という爵位なんてのはどうでも良いが、荒れた領地でも自分が貰った領地にもそこに住む人はいる。 それだから少なくとも領主の仕事はちゃんとやろうと思ってはいた。
こいつの様に、俺を手伝ってくれる者もいたからな」
「ま、仕方ないですからね」
側近の文官さんは照れ隠しにそんなことを言った。
「それにな、領主の仕事はちゃんとしないと、ほら、あの老シスターが怖いじゃないか。
まさか、あの老シスターが俺の領地に来るとは思ってなかったんだけどな。 きっと教会内の派閥争いに疲れて、田舎に引っ込みたかったんだろう」
「確かにそういうところもあったかと思いますが、老シスターはあなたを心配してついて来てくれたんですよ、きっと。
いや違うかな、放っておくと領主の仕事もほっぽり出すと思ったのかも知れないですね」
何となく領主様と老シスターの関係が透けて見えた感じだ。
「まあ確かに領主の仕事はちゃんとやろうとは思っていたが、そこに情熱を持てていたかというと、持ってはいなかった気がするな。
それを老シスターが危惧していたのは確かなことだろう。
老シスターにしてみれば、俺がただ残りの人生を面白おかしく過ごせれば良いと考えて、ここに住む者たちのことなど考えないんじゃないかと心配したのだろう。 その犯罪者を殺すまでは復讐しか考えていない様な人間だったし、それを成し遂げた後は、これによって賞賛を受けたり、立場を貰ったりしても、他人事の様な対応だったしな。 そんな風に思われても何の不思議もなかった。
だが俺は、本当に領主の仕事はちゃんとやろうと思っていたし、やって来たつもりだ。 だがそこに本当に気持ちがこもっていたかというと、そこまでの気持ちがこもっていなかったことも確かだろう。 ただ単に仕事としてちゃんとしようとしていただけだった」
「まあ世の多くの領主様というか貴族は、自分の領内のことなんかにほとんど関心を持たず家臣任せですから、それから比べればマシな方ですよ、ずっと。
ただまあ、あなたは元々家臣も持っていなかった訳ですから、しっかりと関心を持って事に当たらないと、周りの者もどうして良いか困るのですから、もう少し領主の務めを果たすことを主にしないとダメですね。 全くすぐに冒険者に戻ってモンスター狩りなんかに嬉々として出かける癖は直してもらいたいですね」
「いや、あれはウォルフやウィリーを鍛える必要があったからだ。 あれからはそんなに狩りに出て時間を取られたりしてないだろ」
ああ、あの頃の話か、文官さんが苦言を言っているのは、いや揶揄っているのかな。
「ま、だが、そんな風に今一つ領主という事に真剣になりきれていなかった俺だが、お前たちやカトリーヌ、それにフランソワなんかが頑張って、領内を良くしてくれたからな。
俺の功績ではないのに、俺が領主になってから『ずっと生活がよくなりました。 ありがとうございます』なんて領民から礼を言われるんだ。
そうしたら、そう冷淡にもしていられないだろ」
「私は、ここにいるナリートくんにルーミエさん、それに聖女のカトリーヌさんや農業指導者になったフランソワさんなどを重用した、あなたの功績が大きかったと思ってますけどね。 だから領民があなたに礼を言うのは間違ってないと思いますけどね」
文官さんは、領主様を揶揄ったり、実は褒めたり、なかなか忙しい。
「ま、とにかく、寄生虫を駆除して健康が優れる様になったり、今までより作物が沢山採れたり、新たな収入の道を得たりして、生活が良くなったと喜ぶ人たちを見たら、その顔を続けさせたいとか、もっと良くなる様にしてやりたいとか、色々と欲が出て来ちゃった訳よ。
それでまあ、お前らを養子にするということも、少し前から検討していたんだ。
今回のことで急遽考えた対抗策という訳ではないぞ」