《閑話》早期隠居した友人~オズワルドside~
オズワルド視点。
今日は朝からバタバタと王宮が騒がしかった気がする。また第一王子が人員を割いて何かをしているのだろう。ただでさえやることが多いというのに、こうも人を取られてしまっては迷惑だ。
今日の予定は、二十代半ばで引退し、隠居してしまった友人の家へ昼前に行くはずだった。あいつは朝が弱いので、起きる頃に向かえばほぼ家にいて、まだ部屋に閉じ籠っていない時間。午後に行ってしまっては完全に部屋に閉じ籠り、また出てこなくて追い出されるに決まっているのだから。
俺はオズワルド・クレーヴ。近衛騎士団長で、クレーヴ侯爵家の嫡子である。俺とセシルは幼なじみに近い存在で、俺たちが訓練生時代の良き同期である。五年前まで隣国の侵略を阻止するため何度も共に向かっていた仲間であった。
二年前、ようやく隣国全てと平和条約が結ばれ、平穏が訪れるようになったのはまだ記憶に新しい。これから国の平和維持のために働いていこうとしたところで、あいつは辞めると言って早々に去っていった。
確かに前々から静かに暮らしたいとは言っていたが、それもまだ先の未来の話だと思っていた。
あいつは魔力も強くて、なにより自分で魔法陣の研究を行うくらい賢い。誰もがあいつを手放したくないと考えた。国に縛り付けたくて、あいつに婚約を取り付けた貴族は多かった。家のこともあったから、訓練生を経て騎士団に所属したのも知っていた。
まさか、知らないあいだに誓約書を交わしていたとは思わなかったが。
誓約書の中身は、何でも陛下の言質をとって交わさせたものだったらしく、今回の平和条約が成されたあかつきには早期隠居をし、今後、たとえ平和条約が破棄されたとしても、国の危機に遭遇しようと、国王の命にも応じないという、なんとも無茶苦茶なものであった。ただ、誓約書を交わした当時、まだ国は隣国と国境を堺に戦争をしていた。そして、セシルという存在は大きかった。あの若さであの力と頭脳を持ち得る人間はそうそういない。
そして、どうやら王宮の貴族どももやり過ぎたらしい。あいつの逆鱗に触れることをしたのだろう。あいつは普段ああだが、なんやかんやで受け入れてくれる。苦労人とも呼ぶやつはいるが、それでもあいつは優しいから本来はあそこまで行動を起こすやつじゃないんだ。それをあんな無茶苦茶な誓約書を結ばせたんだ、相当怒らせたことが窺える。
そうして平和条約が結ばれた直後、あいつは騎士団を去っていった。今はレイリースの外れにある町に住んでいる。
俺があいつの家に行く理由は2つ。
1つは、騎士団に戻って来てほしいという勧誘だ。あいつの能力があそこで終わらせるには本当に惜しいのだ。騎士団にいれば、その能力を十分に、いやそれ以上に発揮させることができる。
俺はあいつが羨ましいんだ。努力をしていたのは知っているが、俺の求めた力を、それ以上に持っていることが。そしてそれを生かさないというあいつが、憎らしくもある。
2つ目は友人としてあいつが心配だから。今は魔法陣の研究を趣味として、また仕事にして生活しているのだが、あいつは没頭するとずっと部屋にこもり、家からも出ようとしないのだ。ただでさえ不規則な生活をしているというのに。
仕事を終わらすことができたのは休憩をとってしばらく経ったお昼過ぎだった。
馬車を走らせ、レイリースの外れに向かう。走る時間が長くなるほど、家の数や表に出ている人が少なくなっていくのがわかる。そして、奥にそびえる国内最大の森。少しずつ森へ近づいていく。この森の近くの町に、あいつは住んでいる。
どうせまた追い返されるのだろうと思いながら外の景色を眺める。家の前に停めるとあいつが怒るので、少し離れたところに停めさせた。
家を考えると、あいつが住むには相応しくない家。しかし平民が一人暮らしするには少し大きすぎる家。俺は静かに暮らしたいんだと言っていたあいつの「静かさ」とは、不必要に誰とも関わらない、それこそ「静か」な暮らしなのだろう。普通俺らのようなものが本当の意味で一人暮らしするには、不馴れなことが多く苦労するものなのだが、あいつはそれすらも気にとめず、隠居を望んだ。
本来、扉を叩くべきなのだが、あいつは今頃部屋に閉じ籠って出てこない。扉を叩いて出てきたためしがない。ので、俺は勝手に扉をあける。なんで簡単に入れるのかというと、俺が合鍵を持っているからだ。
「毎回扉を壊されるのと、鍵を渡すの、どちらがいい」
「極端すぎんだろ」
という会話をしたことがあった。友人として顔を出しに来る、だがお前は部屋に閉じ籠って出てこないだろうから鍵をくれ、と。あいつが渋ったので、この会話の流れになった。
いつものように鍵を開けてなかにはいる。相変わらず必要最低限のものしかない家だった。あいつの部屋は奥にある。
(ん?)
奥の部屋の手前に、使われていない部屋がひとつある。空き部屋だと言っていたのだが、扉が開いていた。空き部屋の窓が開いているのか、廊下にいても風が部屋から流れてくるのがわかる。確かそろそろ掃除をしたいと言っていたので、もしかしたら掃除をしているのだろう。
「おいセシル、いる…か……」
部屋にあいつがいる前提で、部屋の前にきて声をかけたのだが、部屋にいたのはあいつではなく、見知らぬ女性だった。
「……ど、どうも」
どうやら部屋を掃除しているらしく、俺たちと年がそう変わらなそうな女だった。この女も、部屋に来たのがあいつだと思ったのだろう。初対面の俺をみて、女は雑巾を絞っていた手を止めた。
珍しい女だった。
俺はあいつと同じ髪色の人を見たことがない。あいつのあのこれ以上染まりようのない黒さはとても珍しく、良い意味でも悪い意味でも目立つ色だった。女は身分がそれなりにあるのか、綺麗な髪に派手さはないが落ち着いた、綺麗な身なりをしていた。あいつの親戚なのだろうかと考えたが、今までの話のなかで、同じ年頃の女がいること、しかも同じ黒髪を持った人がいるなんて話は聞いたことがなかった。
となると、新しく侍女でも雇ったのだろうか。今のところ一人しか見当たらないのだが、この家は小さいため二人、三人が良いところではないだろうか。
声をかけると、どうしたらいいのか分からず固まっている。侍女ならばここで挨拶をして、主の部屋に通すなり、茶を用意しようと動くはずなのだが。新人だろうか。
そう考えているうちに、奥の部屋の扉がバンと少し乱暴めに開いた。こんなあけかたをするのは、セシルしかいない。
部屋から出てきたこいつと毎回恒例の会話をする。見る限り元気そうだ。やはり騎士団には戻って来てくれる気配はなくあっさり断られた。そんないつものやり取りをしていると、先ほどの新人侍女が、動きを止めたままこちらを見ていた。どうにも侍女にしては躾がなっていないようにみえる。
そういえば、こいつが部屋から出てきたというのに、他の侍女がいる気配がなかった。もしかしてこの侍女一人だけなのだろうか。さすがに、婚姻もしていない主の家に同年代の女性と二人きりというのはいかがなものかと思い
「侍女を雇うならせめてもう一人か二人つけたらどうだ」
と余計なお世話だと思うが、言わせて貰った。
俺が余計なお世話を言ったせいなのか、面倒くさそうな態度を表したこいつは、勝手に俺と侍女の紹介を済ませてしまった。
「…初めまして。ユキと言います。よろしくお願いいたします」
一度立ち上がり、丁寧にお辞儀をした侍女の名前はユキという。珍しい名前だと思った。きちんと顔を合わせた俺は彼女を見て初めて彼女が黒髪黒目の持ち主だと知った。黒髪自体珍しいというのに、さらに黒目という組み合わせ。
こいつは自分と同じ黒髪だから雇ったのかと考えたが、こいつの性格からしてそんな理由で雇うとは思えない。
こいつが先に俺を紹介したが、侍女が挨拶をしたのに俺が返さないのは失礼であるため、俺が普段からしている挨拶を簡単に済ませた。
俺が名乗ると、彼女は一瞬戸惑ったような表情をしたのだが、何かを発する前に俺はセシルに家を追い出されてしまった。
「ふむ」
わかっていたことなのだが、あいつが今後復帰することはなさそうだ。苦労して手に入れた生活を簡単に手放せるものではない。
俺からしたら、苦労しても入ることができないような騎士団に入ったあいつが、騎士団を、地位を簡単に手放したことが理解出来ないのだが。
俺はあいつの家を背にして、待たせていた馬車へと向かう。ふと、後ろを振り返ったとき、なんだかあの家の雰囲気が変わったようにみえたが、それが気のせいだったのか今の俺に判断することは出来なかった。もし、変わったとするならば、あの侍女が家にやってきたからなのだろう…
侍女を雇ったのなら、あいつのあの不規則な生活もなんとかなるだろう。しばらくは俺が様子を見に来なくても大丈夫そうだ。
それはとても良いことのはずなのだが、なんだか少し、寂しいと感じたのは、俺の気のせいではないだろう。
友人思いのオズワルド。
何故かセシルと会話が噛み合わないことがしばしば