這い寄る
カタカタカタカタ。
何かが振動する音が響く。
地震か?
違う。音が鳴っているだけで、自分の身体は揺れを感じていない。
条件反射的に、腕時計に目を走らせる。まだ16時を回ったばかりだ。
大丈夫。
まだ、黄昏時…逢魔時ではない。
ガタガタガタガタガタ。
大丈夫。
きっと大丈夫だから。
とりあえず、篠宮少年を引き寄せ、教室の扉をチラ見する。
大丈夫。
いつでも逃げられる距離だ。
まずは、落ち着け。
何が鳴ってるんだ?音の出所を探そう。
資料準備室内を見渡す。
最前列にある机の内の一つが、激しく振動しているのが見えた。
手に嫌な汗が滲み出るのが分かる。
体育館の出来事が思い出される。
(まったく…、勘弁してくれよ…)
ガタ〜ン!
思いっきり振動していた机が倒れた。
と、同時に、訪れる静寂。
ゴクリ。
唾を飲む音が、静寂の中にやけに大きく響いた。
逃げるなら、今か?
私は、篠宮少年の手を引き、扉に向かおうとする。
「…待って…」
予想外の制止。
倒れた机が微かに動いたように見えた。
目が離せない。
机の中から何かが蠢いているように見えて、身体が固まってしまう。
机の開口部は、下になっていて中の様子はわからない。
ニュッ。
床と机の間に微かな隙間ができており、開口部から、何か触手のようなものが飛び出る。本来なら、教科書等を入れるはずの机の中から。
そして、ゆっくりと黄土色の粘性物体が現れ始める。
「…うげ」
思わず声が漏れる。
それは、巨大な蛞蝓そのものだった。
「…やっぱり…そうだ」
「…知ってるのか?…コレ」
「…うん。僕が聞いた事のある七不思議のうちの1つだよ。きっと」
二人とも自然と声のトーンが下がる。
「ツクエツムリだ」
「ツクエツムリ?」
「机を殻にした大きなカタツムリ。
だからツクエツムリ」
なるほど。
ツクエツムリか。
ある意味、ピッタリなネーミングだ。
「…ツクエマイマイじゃ、ダメ…なのかな?」
「…マイマイって何?」
「…カタツムリの事をマイマイとも呼ぶんだよ」
「…好きに呼べばいいと思うよ。ツクエツムリだって、前に見た人が、勝手にそう呼んだってだけの話みたいだから」
先程まで、遠慮がちに蠢いていた黄土色の粘性物体…ツクエツムリは、頭の触手をヒクヒクさせながら、ゆっくり、ゆっくりと私達の方へと、這い寄ってきていた。
「…そっか。まぁ、呼び方はなんだっていいか。
ところで、…一旦、この教室から出ないかい?」
「なんで?」
「…なんかアイツ、こっちに向かってきてない?
ちょっと気持ち悪いし、念のため、教室から出た方がいいかな?って」
「…やだ。だって、コイツ可愛いじゃん」
そうだった。
何故だかわからないが、カタツムリは子供達に人気があるんだった。蛞蝓は、嫌がるくせに…。
「大丈夫。襲ってはこないよ。だって、コイツらはエキ…エキ…エキチュ?って、教えてくれた人が言ってたよ」
「…益虫な。人間にとって、益のある…まぁ、良い虫を益虫って言うんだ」
「へぇ、さすが先生。物知りだね」
そんな事、信じていいのだろうか?
なんせ、他の人が知らない奴らの事だ。好き勝手に言っても、誰も確かめられないのだから。実は、よく知らないのに、益虫だとか言って、それらしさを出しているだけじゃないのか?
「コイツらは、色々な穢れを食べてくれるエキチュウらしいよ、」
嗅覚があるのだろうか?
ツクエツムリは、フンフン言いながら、頭を伸ばしたり縮めたり、触手を伸ばしたり縮めたりしながら、こちらに向かって、這い寄って来る。
ヌメヌメと這い寄って来る。
机がゆっくりと動いている。
…まぁ、いいか。
コイツの速度なら、いくらでも対応できそうだ。体育館の奴とは違う。
ギリギリまで観察して、不味いとなったら逃げればいいか?
私は、篠宮少年と共に、ツクエツムリを眺めていた。
しばらく眺めていると、篠宮少年が急に口を開いた。
「…触ってみようかな」
私は、ボソッと呟いた篠宮少年の言葉に戦慄する。
触る?
あれを?
篠宮少年は、ツクエツムリに近付き、そっと触手に手を伸ばした。
触れるか触れないかといったところで、ツクエツムリは、思ったよりも素早い動きで机の中に引っ込んだ。
ガタッ。
黄土色の粘性物体が消えたせいで、机が床に落ちる音が響く。
「あ!」
篠宮少年が、慌てて机を起こし、中を覗き込む。
「逃げられちゃった…」
机の中は、空になっていた。
「まぁ、いいや。僕、この机にする」
「え?」
私は、机を見詰める。
「先生、僕、この机にするから運んでよ」
やはり、そう来たか。
「別のにしたら?」
「だって、ツクエツムリのいる机を使っている子供は、いろんなトラブルに巻き込まれにくくなるって聞いたから」
「…それも、ツクエツムリについて教えてくれた人が言ってたのかい?」
「うん」
私は、机を見詰め続ける。
「…わかった。でも、これから自分で使う机なんだから、帰りは自分で運んでみたら?」
「わかった」
素直に受け入れてもらえて、安堵する。
「でも、階段降りる時は、先生手伝ってね」
「…」
がんばったが、結局、この机に触れなければならないのか…。
私は、深い溜息を吐いて、了承した。
その時の私の笑顔は、きっと引き攣っていただろう。
怪2完