モヤモヤ
モヤモヤする。
入学式の前日に見たモノが何なのか…、そればかりが気になっていた。
あの異様に長い手がボールを奪っていってから、乱れた椅子を片付ける羽目になった訳だが、正直、いつアレが戻って来るかと、ビクビクしながら片付けた。
幸い、アレが戻って来る事はなかった。
それは、すごくありがたい事ではあったが、一度しか見ていないせいで、結局、アレが何だったのかが、わからず仕舞いのままなのだ。
もちろん、他の先生方に聞いても、変人扱いされる可能性が高いので聞けない。
翌日、入学式の時に天井を見上げると、普通にボールが挟まっていた。休みを挟んだ始業式でも、変わらず、挟まったままだった。
そうなると、アレも実は、幻覚だったのではないか?と、いう思いが頭を掠める。
そうなると、自然にアレは、やはり幻覚だったのだと、納得しようという方向に思考が走る。だが、アレについて納得のいく答えを考えようと、事細かに思い出そうとすると、あの場に篠宮少年がいた、という事に思い至る。
アレが幻覚だと納得するためには、篠宮少年があの場にいなかった。もしくは、あの場にいたが、一人でワタワタしている私を見たという答えが必要だ。
その答えであれば、自分が幻覚を見ただけだと結論付ける事ができる訳だ。
私は、とにかく篠宮少年と話をしなければ、という思いに囚われるようになった。
だが、篠宮少年は6年生で、私は5年生の担任だ。
一度だけ、渡り廊下ですれ違った事はあるが、声を掛ける事はできなかった。違う学年の教師に呼び止められるというのは、ある意味で目立つ事になる。当然、周囲の注目を浴びる事になるだろう。
そうなると、その場でアレについて話をする事は、聞き耳を立てる生徒に聞かれる事になるだろう。
最悪、篠宮少年と私は、変人のレッテルを貼られる事も考えられる。と、言うわけで、短縮授業も終わり、通常のカリキュラムに戻った今でも、篠宮少年と話をする事が出来ないでいたのだ。
________________________
「…はい。今日はここまで。日直」
「きりーつ、気をつけ〜」
「「「ありがとうございましたぁ」」」
日直の気怠そうな号令を合図に、みな帰り仕度を始める。
私は、片付けを行いながら、それを見送った後、職員室へと向かった。
職員室へ戻り、黒田先生と話をする。
「だいぶ慣れましたか?」
「ええ、まぁ…。なんだかんだ、前の学校の時とそれほど大きな変化がないので…」
「それはよかった。ところで、沢田先生が参加してる勉強会があるそうなんですが、溝口先生も参加してみてはどうですか?」
そう。
教師というのは、ただ授業を教えていればいいという単純な仕事ではない。
日々、書類に追われ、時にはテストの採点に追われ、その中で、子供達にどうやって分かりやすく教えて行くか、という事を考えて、授業の準備を行っていかなければならない。
授業も中学校と違い、一人で国語、算数、理科、社会、英語と教えなければならず、その準備も多岐に渡る。
そこで、つきまとってくるのは、どうやって分かりやすく教えるか?という問題だ。教え方も、クラスの状況などによって、変える必要もあるし、なかなか一筋縄ではいかない。
そこで、教育委員会主催の研修とは別に、近隣の学校の教師などで集まって、自主的に勉強会を開き、情報交換や教え方について話し合ったりする事がある。
黒田先生が言う勉強会というのは、それの事だろう。
「…」
黙り込む私に対して、黒田先生が優しく声を掛ける。
「まぁ、すぐにとは言わないので、考えておいて下さい。気が向いたら、沢田先生にでも声を掛けてみて下さい。
一応、他の…学校の中堅どころの先生が多い勉強会らしいので…」
「はぁ」
つい、煮え切らない態度を取ってしまう。
勉強会と聞くと、彼女の事を思い出してしまうからだ。
あれは、教員になって2年目の事だった。
当時の私は3年生を担当していて、日々、指導について悩んでいた。
そんな時に、近隣の学校の教員達と親睦を兼ねて勉強会を行う事になり、そこで初めて彼女と出会ったのだ。
彼女と出会った頃の事を思い出す。
と、同時に頭に痛みが走る。
最近、彼女の事を思い出すと、頭が痛くなる。
何か悪い病気だろうか?
…いや、単にまだ彼女の事を乗り越えきれてないだけなのだろう。
思わず、苦笑いが溢れる。
「ところで、遠足の班は決まりましたか?」
黒田先生の発言で、現実に戻る。
今日の学級会で、来週の遠足の班決めを行う予定になっていたのだ。
「はい。今日、決めました。後で、データにして印刷します」
「いや、3クラス分まとめたいので、行事フォルダに入れて、メールでリンクを送っておいて下さい。
まとまったところで、沢田先生と溝口先生にメールでリンクを送りますので」
「わかりました」
そう答えて、PCに向かって、早速、作業に取り掛かった。
今回は、自由に班を作ってもらう事にした。所謂、好きな子同士のグループを作成してもらった。顔と名前は、だいたい一致してきているが、人間関係まではわからないので、この遠足で見極めたいという狙いがあった。
多少、揉める事を想定して、あぶれた者の受け入れ先があるか?という心配はあったが、皆、素直ないい子達ばかりなのだろう。比較的にすんなりと班が決まっていき、杞憂に終わった。
グループメンバーの住所や特徴を照らし合せながら、『なるほど、こういうグループかぁ』などと一人納得したり、意外がったりしながら、グループ表を作っていく。
作業に没頭していると、視界の端に、職員室の扉から中を伺う篠宮少年が見えた。