入学式の準備
「入学式の準備は、5年生と6年生の担任で行います」
福徳小学校に異動して、数日目の事だった。翌日に入学式を控えた朝の会議で、学年主任の黒田先生がプリントを渡しながら言った。
プリントを見ると、1年生の席と6年生の席、および保護者用の席の配置が記されていた。
「6年生も式に出るんですね?」
黒田先生の話によると、1年生は6年生と手を繋いで、体育館にやってくる手筈になっていた。そして、式の途中で6年生の代表が1年生に向けて、お祝いの言葉を述べるらしい。
翌日の入学式のために、壇上に掲げる入学式の吊り看板や体育館の入口に置く立て看板、式典用の机や音響の確認、そしてパイプ椅子の設置が主な内容だった。
午後になって、6年の担任達と顔合わせを行い、共に体育館へと向かった。
体育館へと向かう渡り廊下へ出ると、校庭で遊ぶ子供達が見えた。
この学校では、連休や土曜日など職員がいる時間帯は、校庭を解放して、子供達が自由に遊んでいい事になっていた。まぁ、土曜日に関しては、教職員も休みなので、校長か教頭がわざわざ出校して、門を開いているとのことだった。
体育館に入り、周りを見渡す。
体育館は、入口の正面に舞台が見える構造になっており、残りの3面の壁には、入口を除いて、足元に小さな窓と人が1人通れる程度の2階部分が設置されており、スポットライトが1つ配置されていた。学芸会などで使うのだろう。
上を見ると、やや高めの天井に鉄骨の骨組があり、誰がどうやったのかわからないが、バレーボールが1個、骨組に挟まっているのが見えた。
体育館では、まず吊り看板を舞台上に掲げる作業から始まった。舞台の幕の裏に隠してあった板枠を取り出し、入学式用の横断幕を貼り付ける。その看板をワイヤに吊り下げたところで、黒田先生が体育館入口付近まで下がって、声を掛け始める。
舞台袖には、6年の担任が待機しており、黒田先生の声を合図にワイヤを上昇させ始める。
「ストップ!」
黒田先生の合図で、ワイヤが止まる。絶妙な高さだった。
次の作業に移ろうとしたところで、不意に、沢田先生が吊り看板の下でしゃがんでいるのが見えた。
ギシッ
音に釣られて、上を見ると吊り看板の片側がワイヤから外れたのが見えた。
「危ないっ!」
慌てて沢田先生に駆け寄り、抱えた状態で転がる。抱き締める形になるが非常事態だ。セクハラにならない事を祈りながら、沢田先生を引きながら倒れ込む。
片側のワイヤが外れた吊り看板は振り子状になり、目の前を掠めていく。間一髪、ケガする事はなかったが、一歩間違ったら、大惨事だった。
黒田先生や6年の担任達が、慌てて駆け寄ってくる。
「…大丈夫ですか?」
振り子の勢いが弱くなったのを確認して、沢田先生を抱きしめていた手を離して、声をかける。
「ご、ごめんなさい。…ネジが…」
沢田先生は、ガタガタと震えながら、幕の下に落ちていたと思われるネジを見せてくる。そして、私を下敷きにしている事に気付いたのか、慌てて立ち上がる。
それを見て、自分も立ち上がり、状況を確認する。どうやら、吊り看板のフックを掛ける金具のネジが一本取れていたらしい。
金具をしっかりと付け直し、再び、掲げ直す。今回は、金具の取り付け具合を、黒田先生が確認する形になった。
「取り付け部分もしっかり確認したし、もう大丈夫でしょう。誰もケガがなくてよかったです」
黒田先生が、安堵の声を上げる。
その後は、皆、作業に戻り、式典用の机や音響の確認、立て看板や壁の紅白幕の貼り付けなどを行っていった。
最後に、舞台の下の引き出しの中のパイプ椅子を配置したら終わりという段階で時間を確認する。
トラブルはあったものの、想像していたよりも早く終わりそうだった。
パイプ椅子を運んでいると、体育館の入口にサッカーボールを持った子供が立っているのに気が付いた。
生徒だろうか?
きっと、校庭で遊んでいた子供達の内の1人だろう。確か、校庭は開放されているが、校舎や体育館は立ち入り禁止の筈だ。
一応、注意しといた方がいいだろう。
そう思い、パイプ椅子を近くに置いて、その子に近付いた。
「…おじさん、不審者?」
「…お…!」
思わず、絶句してしまう。
不審者と言われたことにもそうだが、それ以上に、『おじさん』という言葉に衝撃を受けたのだ。
いや、この子くらいの年頃から見たら、30歳なんて立派なおじさんなのだろう。
それに、異動の挨拶は始業式で行う予定になっているのだから、この子からすると、自分は見知らぬ大人なのだ。不審者かもしれないと思われても仕方ない。
「不審者じゃないなら、新しい先生?」
絶句したまま、固まっていた私に、再び話し掛けてくる。そこで、ようやく金縛りから解放された。
「そうだよ。今年から5年生の担任をする事になってるんだよ」
本来は、始業式で自己紹介する予定なので、他の子から見たら、フライングになってしまうが、不審者扱いされるくらいならば、と素直に5年生の担任である事を明らかにする。
「ふ〜ん」
その子は、興味なさげな返事をしながら、まるで品定めでもするかのように、私の事を上から下へと見つめてくる。
「…気をつけてね」
「へ?」
「…先生、多分、好かれやすいと思うから…」
「…」
何に気をつけるんだ?
好かれやすいって、誰に?
「…きみ…」
思わず、聞き返そうとした時に、大きな声が響く。
「こら!篠宮!体育館は、立ち入り禁止だって言ったろ!」
6年2組の担任の谷口先生だった。
谷口先生は、私と同じ年の教師で、この学校では4年目という事だった。
眼鏡と赤いジャージがトレードマークの爽やかな印象の教師だった。
「…」
篠宮と呼ばれた子は、顔を引き攣らせると黙って振り向き、走って逃げていった。
「谷口先生のとこの生徒さんですか?」
「ええ、休日は、校舎と体育館は立ち入り禁止だと、いつも注意してるんですが、申し訳ありません」
頭を掻きながら謝ってくる。
「…彼、…篠宮…君と言うんですか?」
「はい。篠宮 京という名の生徒です。…彼が何か?」
「…いえ、ちょっと、何か好かれやすいから気を付けろ、みたいな事を言われたんですけど…、どういう意味なんですかね?」
谷口先生は、一瞬、何かを考えるように斜め上に視線を走らせた後、笑い出した。
「あぁ、多分、この学校の七不思議の話ですよ。
彼は、そういう話が好きですから。
まぁ、あまり気にしない方がいいですよ」
谷口先生は、そう言って、笑いながら作業に戻っていった。
七不思議?
まぁ、どの学校にもあるものなんだろう。現に、以前いた学校でも、そんなのがあった気がする。
ただ、気にするなと言われても、あんな言われ方をされたら、気になってしょうがないのが実情だ。
仕方ない。
私も苦笑いしながら、作業へともどった。