空の祝福
校長室を出た私は、黒田先生と共に職員室に入る事になった。先程まばらにしか埋まっていなかった席も、今では殆どが埋まっており、扉を開けた私達を興味深げに見てくる者が大半だった。
私は、そのまま職員室の一番奥の席へと連れて行かれる。
そこには、メガネを掛けて書類仕事をしている初老の女性が座っていた。白くなった髪を一つにまとめ、スラっとした細身の女性だった。
「教頭、溝口先生を連れてきました」
黒田先生が、教頭と呼ぶ女性が書類から顔を上げて、メガネを外しながら、こちらを見てくる。
厳粛な雰囲気を纏った女性だった。
魔女と言われても、納得のいく皺の入った表情を崩す事なく、じっと見つめてくる。
「あなたが溝口先生ですか?」
「溝口 雄大と言います。今日からお世話になります」
私は、名乗りながら礼をした。
「教頭の馬場 たつ江です。よろしく」
教頭は、一言言うと、再び書類に目を戻した。
「わからない事があれば、遠慮なく聞いてください」
そう言うと、書類に何かを書き込んで、再びこちらを見つめてきた。
「ここの子達はみんな、いい子達ばかりです。一刻も早く馴染んでくれる事を願います」
そう言うと立ち上がり、周りを見渡して大きな声を上げた。
「皆さん!新しく配属される溝口先生です。色々とわからない事があると思いますので、皆さんで教えてあげて下さい」
そう言って、こちらを見てきた。
私は、みんなの方へ振り返り、今日、何度目かの自己紹介を行った。
皆の拍手が響いた。
教頭の方を見ると、満足そうに微笑んだ教頭が黒田先生に話し掛けた。
「黒田先生、あとはお願いします」
そう言って、メガネを掛けて、席に着く教頭の姿を見届けた後、黒田先生に連れられて、自分の席へと向かう事となった。
「沢田先生、ちょっと」
黒田先生が、私の2つ隣の席に座っていた女性の先生に声を掛けると、その女性は慌てた様子で立ち上がる。
「こちら、5年1組の担任を務めます沢田先生です」
「沢田 奈津美です。溝口先生よりも年は下ですが、この学校では5年目の先輩になりますので、なんでも聞いてくださいね」
肩口までの髪を内に巻き、見開いたような大きな目と大きめの口が、快活な印象を感じさせる。
「そして、先程も紹介しましたが、学年主任と5年2組の担任を受け持ちます、黒田 猛です。改めて、よろしく」
「よろしくお願いします」
「溝口先生には、5年3組の担任をやってもらいます。まずは、クラスの名簿と年間行事について説明します」
そう言って、いそいそと私と沢田先生の席の間の机の上に置いてあるプリントを手にする。
「異動早々、高学年の担任なんて、大丈夫でしょうか?」
私の質問に黒田先生の手が止まる。
「不安なんですか?」
「はい。私は、この地域に越してきたばかりですし、高学年ともなると私立中学の受験を考える生徒もいるでしょう。
正直、その対策やアドバイスなどは自信がありません」
この学校では、クラス替えや教師の変更は、基本、3年と5年の進級時に行われると聞いていた。
つまり、5年の担任という事は、来年、6年の担任もやるという事であり、今年受け持つ生徒達を卒業まで見送るという事と同義だ。
「…心配ありません。受験予定のある生徒は、1人もいませんから」
黒田先生は、そう言ってプリントを2枚渡してきた。
1枚目は3組の名簿で、2枚目は年間行事が書かれたプリントだった。
ふと、目を上げると、同じように沢田先生もプリントを受け取っていた。
さっと名簿を流し読みする。
名簿には、漢字の名前に読みが振ってあり、キラキラネームにも対応できるようになっていた。
思わず安堵の溜息が漏れた。
名簿には、住所と誕生日が書かれていたが、生徒に対する予備知識がないので、特に思う事もなく、すぐに2枚目のプリントに目を通した。
4月 入学式、始業式、遠足
5月 運動会
7月 七夕集会
9月 林間学校
10月 球技大会
11月 学芸会
12月 クリスマス集会
1月 マラソン大会
3月 卒業式
行事を確認している間にも黒田先生の説明は続く。沢田先生をチラ見してみると、名簿を見ながら、百面相のように、コロコロと表情を変えていた。
「2人とも聞いてますか?」
黒田先生が説明の途中で、急に確認してきた。
正直、聞いてなかった。
沢田先生と2人で黙っていると、黒田先生が頭を掻きながら、溜息を吐く。
「2人とも集中できてないようですね。
まぁ、いいでしょう。沢田先生、先に溝口先生に校内を案内してあげてください。
その後、もう一度、今後の流れを説明します」
結局、黒田先生が折れて、仕切り直しの形となった。
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「こっちが体育館で、こっちが通常のクラスがある棟です」
職員室のある棟から、渡り廊下を南側へ向かうと体育館があった。反対の北側は、各学年の教室がある棟となっていた。そして、職員室の棟は、朝、確認済みだが理科室などの特別教室が集まっている棟となっていた。
沢田先生は、楽しそうに案内をしてくれた。
ふと、朝聞いた子供の声を思い出す。沢田先生に聞いてみようかという考えが浮かぶ。
だが、いきなりそんな話をして、オカルト大好きな変人扱いされては堪らない。やはり、あれは気のせいだと言い聞かせて、質問を無理やり飲み込む。
「溝口先生、馬場教頭って、すっごか怖くないですか?」
沢田先生が、無邪気に話し掛けてくる。その無邪気さに苦笑いしながら、話を合わせる。
「…眼力がありますよね」
「そうなんです!眼力が半端ないんですよ」
そう言いながら、キッと眉間に皺を寄せ睨みつけてくる。きっと、馬場教頭のモノマネなんだろう。
「いや、そんなクオリティの低いモノマネはいりませんから」
笑いながら、ツッコミを入れてみる。
それを聞いて、大笑いする沢田先生。見た目通りの明るい女性のようだ。
「黒田先生は、怖くないんですか?」
「黒田先生は、見た目はアレだし、すっごく厳しいですけど、案外、情に厚いところがあるんですよ。
黒田先生が学年主任なら、頼もしい限りです。
…私達、ツイてますよ」
よかった。
他の学年はわからないが、少なくとも5年生はいいチームのようだ。
いろいろと迷惑を掛ける事もあるかもしれないが、なんとかやっていけそうだ。
ふと空を見上げると、雲ひとつない青空が、まるで自分を祝福してくれているようだった。




