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銀狼王に捧ぐ炎  作者: 伊藤影踏
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第七話 秘密の話

 香詠がもたらした様々な知識の中には、建築、織物、鍛治など、すぐに使えるものも多く含まれていた。また香詠が自ら選び連れてきたという侍従もその全員が本来は職人で、新天地での手厚い待遇を約束して口止めとしたのだという。とは言ってももともと寡黙な者が多いのか、ルイグンがそれとなく香詠の過去について話を向けても黙って首を横に振るだけだった。

 職人たちと香詠自身が狼の指導にあたり、城下では次々と工房の建設が始まっていた。

「こういった実用的な知識はありがたいが、公主のあなたが精通しているというのは驚いたな」

 王宮の一角に真新しい織機を並べて女官に機織りを教える香詠にそう声をかけると、香詠はゆっくりとたどたどしく動く狼の女官の手をどこか愛おしそうに見つめながら微笑む。

「機織りは、一応宮中の行事としても催されていますから。ですがそうですね……、他のいろいろな知識については、わたくしもこうして役立つ日が来るとは思いませんでした」

 役立つ日が来るとも思えない、目的も定かでないのに、膨大な知識をどうして身につけることができたのだろう。戸惑うルイグンを香詠はそっと回廊に誘った。

「……わたくしをこの国に送り込んだのは祖父だという話は前にもいたしましたね。祖父は……体の弱い母を、どうしてもと願って後宮に入れるほど、帝位に執着しておりました。母が今上の寵愛を得られず、産んだのも娘のわたくしひとりに終わって、……それでも諦めきれなかったのでしょう。わたくしにあらゆる知識を与えようとしました。それはもしかしたら、祖父が若いころに欲しかった知識だったのかもしれません。……世が世なら新たな国の礎となるような」

 回廊の柱にそっと隠れるようにして、香詠はまぶしい光が差し込む廊下に裳裾を遊ばせる。日は中天にさしかかり、濃い影が石畳にくっきりと形を作るなか、香詠の軽やかな裳裾だけがうっすらと光を通して透けていた。遠い昔を思う香詠は、なぜだか触れがたい。

「……わたくしは祖父の期待に応えるということがどういうことなのか知っていました。けれど、気づかないふりをするしかなかった。どんな身勝手の犠牲にされようと……祖父に逆らう力は、わたくしにはなかったのです」

 うつむく香詠に思わず歩み寄り、ルイグンはその袖にそっと触れる。

「あなたほどに聡明で、……勇気ある方が」

 香詠は驚いたようにルイグンの顔を見上げ、それから困ったように笑った。

「……一生に一度の機会でしたから。……わたくしはいっそ死んでもかまわなかった、いいえ、あの役人たちとともに死んだようなものです。あのとき放った炎が、祖父の操り人形だったわたくしをも焼き殺したのでしょう」

「香詠」

 さっとルイグンの手に口を押さえられ、香詠は目をみはった。ルイグンはため息をつき、角の向こうに声をかける。

「叔父上。……立ち聞きとは悪趣味だ」

 回廊の角からジグハが顔を出す。

「……またお熱い場面に遭遇したかと思って、出そびれただけだよ。勝手に口を滑らせたのは公主様じゃないか」

 ジグハは薄笑いを浮かべ、ルイグンの陰に半分隠れている香詠を見下ろした。

「しかし、まずいことを聞いてしまったねえ。公主様はどう口止めしてくれるのかな?」

 ジグハがどこから聞いていたかはわからないが、まだ決定的なことは喋っていないはずだ。しかし、憶測であることないこと吹聴されるよりは、今はっきりと事実を伝えて口止めするべきか。ルイグンは香詠を守るように間に入りながらわずかに考える。

「……叔父上にとって、香詠を信頼する要素にはなりえないのか。叔父上が言うように帝国の手先として香詠が送り込まれてきたのではない、という証拠だと思うのだが」

「ああ、そうだね。しかし、だからといって公主様のやっていることが侵略であるのには変わりないさ」

 ジグハの冷たいまなざしに、香詠が震える手でぎゅっとルイグンの袖を握った。そっと見おろすと、きつく唇を噛み締めたまま何も言わない。そうではないと、そんなつもりではないと、言ったところでジグハには届くまいと思っているのだろうか。ジグハは黙ったままの香詠を嘲るように鼻先をあげる。

「賢い公主様のことだからね、わかっているんだろう? 狼のためだ、人間と対等になるのだといって、その実は人間と同じになることを要求しているんだ。いずれ狼の誇りは自ずから失われて、戦をしなくとも支配が完成する。それが帝国の支配であっても、公主様自身の支配であっても、こちらには関係ない。人間に支配されるという屈辱だ」

 吐き捨てたジグハに、香詠は激しく打たれたかのようにぎゅっと身を縮め、それからきっと顔をあげて反駁する。

「わたくしは狼の誇りを否定してはおりません。ただ人間の真似をせよとも申しません。狼のみなさまには狼なりの生活のしかたがあるはずです。それを見つけるために、人間の知恵を使っていただきたいのです。……お尋ねしますが、ジグハ様は今のままで本当に狼の誇りを守れるとお思いですか?」

 小さな香詠の体から発される気迫にジグハはたじろいだ。

「どういう意味かな? 少なくとも、これ以上あなたのいいなりになっていては守れないと思うがね」

「では、狼の誇りとは具体的に何で、それを守るためにどうすればいいのか、方策をお持ちではないのですか?」

 ジグハは言葉に詰まる。香詠はまだ震えていて、それでもルイグンの前にしっかりと立っていた。

「わたくしは人間ゆえ、狼の誇りが何であると決めることはできません。ですが、以前のように衣服も武器も、良いものは何もかも外からのもので自給することができないというのに、国として誇りある状態だとは思えません」

 ルイグンは小さくため息をついてうなずき、香詠の肩にそっと手を置いてジグハをまっすぐに見た。

「叔父上の諌めはありがたい。香詠に何もかも任せきりでは狼の誇りが折れるというのはもっともだ。だが、香詠もそれを望んではいない。大丈夫だ。俺が、狼はこれからどこへ向かうべきか考えて進む。叔父上も俺を信じてはくれないか。香詠だけが今この国を動かしているように見えるか?」

 ジグハは苦い顔をして頭を掻く。

「……参ったね。ルイグン様にそう言われては何も言えなくなってしまう。公主様、僕も狼の誇りとは何かあらためて考えてみよう。答えが出るまであなたの秘密も胸の内に留めておくよ」

 豊かな尻尾を揺らしながら去るジグハを見送ると、香詠は力が抜けたのか膝をついてしまった。それを抱き起こしながら、ルイグンはあらためてその体の華奢なことに驚く。狼の中でも有数の戦士であるジグハを前にして一歩も引かない気迫が、この細い体のどこから出ていたというのか。労しい限りで、思わず抱きしめてしまう。

「る、ルイグン様……平気です、その、泣いてしまいますので……離してくださいませ……」

 小さな声でしどろもどろに言う香詠に笑いをこぼし、そっと腕の中から解放してやって頭を撫でると、香詠はくすぐったそうに笑みを返した。それからふと真面目な顔になって口を開く。

「あの、もしかして……わたくしが気づかないだけで、狼のみなさまは意外と近くにいらっしゃったり、話が聞こえていたりするのでしょうか?」

「ああ、だいたいそうだな。さっきはジグハだけだったが、いなくなってから続々と女官が集まってきている」

 ルイグンが首をめぐらすと、女官が香詠のためかひょこひょこと顔を出して袖を振ってくれる。のんきに手を振り返すルイグンの腕の中から、香詠は大慌てで逃れようとした。それをしっかりと捕まえなおしながらルイグンは真っ赤に染まった耳にささやく。

「だから、秘密の話をするときは気をつけるんだ。あなたを守れるのは俺だけなのだから」

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