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銀狼王に捧ぐ炎  作者: 伊藤影踏
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第二話 新郎新婦

「あんなちんちくりんをよこすだなんて、侮られているのではないですか?」

「口を慎め、マルクン」

マルクンを睨むが、こたえた様子はない。軽装をひっかけただけの姿で柱に寄りかかり、なおも言い募る。

「我々は一時は奴らの喉元にまで迫ったのですよ。和平の証に遣わすなら、せめて大人の女をよこせばいいものを」

「マルクン、いいかげん着替えろ。式典まで間がないぞ」

双牙と呼ばれる一対の短刀をとって腰に差し、仕上げに冠を整える。それを見たマルクンは忌々しそうに唸った。

「その式典とやらも気に入りませんね。なんだってやつらのしきたりに合わせてやらなきゃいけないんです? 公主は我々の群れに嫁してきたのですよ。我々のやりかたに合わせるのは向こうのはずです」

ルイグンは長くため息をつき、マルクンに向き直る。上からじっと見据えられ、さすがのマルクンも口をつぐんだ。

「我らは、負けたのだ」

短く、はっきりと。そう言い残し、ルイグンは袖を払って部屋を出る。

負けたのだ。和平は対等な形で結ばれはしたが、あのまま戦いが続いていれば滅んでいたのは狼のほうだ。そのことを忘れてはならない。

あとは、とルイグンは歩きながら思案する。公主がいったい何者であるかを見極める必要がある。狼に禍福いずれをもたらすのか。

本当に後宮で蝶よ花よと育てられた公主であるなら、あのような少数の供だけで帝国の都からの長く険しい道のりに耐えられるはずがない。しかし、ルイグンが支えて触れた華奢な体は間違いなく高貴な人のものだった。ルイグンはてのひらに視線を落とし、ぎゅっと握る。細く、やわらかな腕だった。許しもなく触れた非礼を詫びなければ、と思った。

祭礼の広場には座がしつらえられ、臣下が揃い並んでいた。マルクンは着替えがまだなのか姿が見えないし、ジグハの胸元は相変わらず開いている。祝いの席なので目をつぶることにするが、席につくだけでどっと疲れるようだ。

ルイグンが席につくと、ぱらぱらと太鼓が鳴り始め、やがて拍子を揃えて祝いの楽を奏でていく。その心地よい揺れの中、女官に手を引かれて紅い薄絹をかぶった花嫁がしずしずと歩んできた。真紅に金の刺繍を施した錦の衣装は豪奢ながらも繊細で、幾重にも重ねた裙子は白からしだいに薄紅へと色を変えてある。思わず目を奪われてしまう美しさだ。

立ち上がり、手を差し伸べて迎えると、公主は迷いなくそのすべらかな手をルイグンのてのひらに重ね、顔をあげて薄絹越しににっこりと笑んだ。

並んで席につくと、文官が祝いの辞を述べる。天地と祖霊に拝礼し、粛々と婚儀を進めて、ようやく皆で杯を交わし賑やかな宴席となった。

ルイグンは落ち着かず、酒の味もわからないままちらちらと薄絹に隠れた公主の表情をうかがっていた。それに気づいたか、公主が顔をあげる。薄絹越しだというのに何もかも見透かされているような気がして、ルイグンは焦って口を開いた。

「……詫びねばと、思っていた。許しもなく体に触れた。怖かったろう」

公主は一瞬驚いたように髪飾りを揺らして、すぐに小さく首を振る。

「怖いだなんて。そのようなことは思いません」

「だが、この体だ。全身毛むくじゃらで、爪も鋭い。……我々が人間の美醜に疎いように、あなたにも狼の顔は馴染みがないだろう。結婚といっても、どうしていいかわからないのではないか?」

まっすぐに目を合わせることもできないまま言葉を連ねるルイグンを、公主は澄んだまなざしでじっと見つめていた。たいそう居心地が悪い。やがて公主は紅く染めた小さな唇をほころばせる。

「……王様が、そうお思いなのですか? 結婚といっても、どうしていいかわからないと」

ルイグンははっとして公主の顔を見る。公主は続けた。

「無理もありません。わたくしも、すぐに信じていただこうとは思いません。ただ、お伝えしたいのは、わたくしがあなたを支えるために来たということ。この狼の国を、守るために来たということです」

どこまでも真摯なまなざしに、ルイグンは言葉を失う。信じてしまいそうになる。そっと視線を外し、ため息をついた。

「……参った、あなたは強敵だな。いや、敵に回したくはない」

思わずそうこぼすと、公主は首をかしげて笑う。

「敵ではございません。あなたの、妻でございます」

「妻、か」

はたして妻は夫のなんなのか。敵でないとして、支配者となるのか、影の操り手となるのか……。油断は禁物だが、それでもルイグンはこの公主をどうも憎めずにいた。少なくとも、驕慢やわがままではない。

公主に横からつんつんと袖を引かれ、振り返ると身をかがめるように手招きされる。訝しく思いながら背を丸めると、そっと耳打ちされた。

「妻の名を、どうぞ覚えてくださいませ。……香詠、と申します」

薄絹越しに視線がかちあう。紅く透けて見える穏やかながらも強いまなざし。知れず、口の中でその名を転がしていた。

「……香詠、俺は、ルイグンだ」

「ルイグン様。……あなたの、力になりとうございます」


宴が散じ、女官に導かれて香詠とルイグンは並んで回廊を歩んでいた。突き当たりにさしかかって、ルイグンは立ち止まる。

「香詠」

「……はい」

硬い声音で返事をする香詠の顔を隠す薄絹にそっと手をかけ、取り去る。香詠はぎゅっと唇を引き結び、挑むようにルイグンを見上げていた。

ルイグンは薄絹を女官に渡して回廊の先を指差す。

「あなたの寝所はあちらだ。長旅の疲れを癒すといい」

「……はい、……………………えっ?」

香詠が目をまるくする。ルイグンはぎしぎしいう首を伸ばしながらあくびをした。

「では、また明日」

香詠に背を向け、自室に向かう。あとには立ち尽くす香詠と女官だけが残された。

「……ルイグン様、素でこういうことをなさる方なので……」

恥じ入る女官に、香詠は何も言うことができなかった。




***




「……狼のしわざに違いありません! 即刻兵を率い、公主を救いに向かうべきです」

「まあ、まあ梁将軍落ち着いて……」

いきり立つ男を、皇帝が穏やかにたしなめる。男の名は梁克嶺、先の戦いで狼に包囲された行宮から皇帝を救い出し、激しい追撃で狼を追い詰めた将軍その人である。

「そもそも、梁将軍は蟄居の身のはずだが、まあそこには目をつぶろう。しかしその主張は控えたまえ。ようやく狼との和親が成ったばかりだというに、万が一にも早とちりでせっかくの和親を台無しにするわけにはいかん」

皇帝の右手側に控え、落ちくぼんだ目を鋭く光らせる老人は賀燦、香詠の祖父であり、このたびの和平の証に香詠を花嫁として送り込むことを提案した人である。太史令の任についており、今まで表立って政治に関わってはこなかったが、香詠を花嫁に推してからは常に皇帝の側近くに控えている。

梁克嶺は賀燦に噛みつくように声を荒げた。

「では、行方不明となった公主をどうするのです! 付き添わせた役人を陣ごと焼いて皆殺しにしたのはいったい誰だとお思いなのですか!」

賀燦は白髪混じりの髭を撫でて呆れたように嘆息する。

「おおかた山賊の類だろう。誰であろうとさしたる問題ではないと思わんかね? 公主の行方を突き止め、失った役人の補充をしてやるほうがよっぽど重要だ」

「公主の行方など、狼どもが素直に明らかにするわけがない! 私が参ります、必ず公主を救い出して……」

「梁将軍、頭を冷やしたまえ。狼のしわざと決まったわけではない以上、そういった前提で動くことはできんのだ。そうでしょう、陛下」

賀燦に振り仰がれた皇帝は眉を下げて困ったように笑う。

「残念だが、そうなんだよ梁将軍。今回は私がうまくやるから、将軍はどうか兵を休めてほしい。遠征の疲れもまだ残っているだろう」

梁克嶺はぐっと言葉に詰まり、渋々「……かしこまりました」と礼をして去った。

「まったく、梁将軍には困ったものですな。陛下のお考えをまるでわかっていない」

「私や公主を想っての行動をしようとしているのだから、責めないでやってくれないか」

「だからこそ始末に悪いのです。皇族の血を引いてさえいなければ、もう少しおとなしかったでしょうに」

「はは、あの叔母さまにしてあの梁将軍だからねえ……私もなかなか逆らえたものではないよ」

皇帝の言葉に、賀燦はふと口をつぐむ。皇帝は表情をあらためて賀燦に語りかけた。

「賀太史令、あなたの言うように国書を発して正面から狼王に問いただすこともできる。ただそれでは、もし梁将軍の言うように狼が役人を殺して公主をさらったのだとしたら、正しい返答が得られるとは限らない。私は狼の密使を立て、あちらを探らせようと思うが、どうか」

「……陛下の御心のままに」


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