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銀狼王に捧ぐ炎  作者: 伊藤影踏
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第十話 王の猜疑

 寝台に腰かけたルイグンは床にひざまずいた香詠と睨みあっていた。香詠はうろたえた様子もなく、一歩も引かぬという気迫を小さな体にみなぎらせている。互いに言葉もなく睨みあってどれほど経ったか、ルイグンの苛立ったため息が沈黙を破った。

「香詠。……あなたの言い分に筋の通らぬところはない。だが、それはあなたの口から出るのだから当然だ。俺はあなたが、俺の意識がないうちにとった行動について疑いを持っているのだ」

 香詠は挑むようにルイグンを見つめる視線を動かさないまま、きゅっと唇を引き結んだ。その唇がほどかれるのを厭わしく思うのは初めてだとルイグンは鼻面にしわを寄せる。

「……わたくしはひとつもルイグン様に恥じることはしておりません。おわかりいただけるまで、何度でも同じことを申し上げる他にございません」

 ルイグンはうんざりして額に手を当てる。尻尾が無意識に蝿を追うようにはたはたと揺れた。敵に回したくないとは思っていたが、このように強情だとは思わなかった。

「あなたは叔父上に命を狙われたのだろう。その叔父上を一時とはいえ俺の代わりに立て、帝国からの使者団と応接させ、あまつさえ放免を願うのか? ……追放だとあなたは言うが、目の届かぬ遠い都で自由にさせるようなものだ。はっきり問おう。叔父上と何があった」

 厳しいルイグンの視線を真正面から受け止め、香詠は両の瞳に燃え立つような怒りを揺らめかせた。床についた華奢な両手が白くなるほど拳を握りしめている。

「……ルイグン様は、わたくしの貞節をお疑いなのですね。ならばお確かめくださいませ。夫のあなたには、それができるはずです。……それとも、女官を使いますか?」

 低い姿勢に低い声の香詠に一瞬圧倒されかけて、ルイグンはぎりぎりのところで踏みとどまった。香詠が嫁してきてから一度も床を共にしたことはない。そのような関係ではない、と思い込んでいたのだ。香詠もそうだろうと思っていた。だから例えば男やもめのジグハを愛人に持ったとしても、王妃として今までどおりに尽くすなら許すつもりだった。あまりに贔屓が過ぎると思ったから問いただすのであって……嫉妬ではない、はずだ。

「…………叔父上には相応の罰を与えたいというだけだ。あなたの貞節の問題では……」

「逃げるのですか!」

 一喝され、今度こそルイグンはひるんでしまう。そろそろとうかがった香詠の燃える双眸は潤み、今にも涙をこぼしそうにしている。歯を食い縛り、眉を逆立て……総身に屈辱と怒りをまとい、香詠はルイグンに挑みかかっていた。

 ルイグンはしばし絶句し、それから長くため息をついて両腕を広げた。

「確かめてもいい。だが、まだ体が痛むのだ。……あなたがここに来て、自身で証拠を見せてくれ」

 半ばやけを起こして、試すつもりの言葉だった。香詠ならばうまく切り抜けるだろうし、その間に頭も冷えるだろうと思っていた。香詠はたじろぎ、それでも後には引けないと言いたげにゆっくりと立ち上がり震える足で歩み寄ってくる。ルイグンの目の前に立ち、うまく動かないのだろう指先を帯の結び目にかける。もたもたといつまでも帯をほどけないでいる香詠をルイグンはふいに抱き寄せた。小さく悲鳴をあげて寝台に倒れ込んだ香詠を捕らえるように覆いかぶさる。ふわりと清々しい香りに鼻をくすぐられた。そのつもりではなかったはずなのに、邪な気を起こしそうになる。ふんふんと鼻先で香詠の耳から首筋あたりを探ると、花が咲くように朱に染まっていき、香りも強く立ち上る。くらくらしそうだ。

「……香詠」

 少し身を離して見下ろすと、香詠は顔の前で両手を組んでぎゅっと目をつぶり、固まってしまっている。ほどきかけの帯の結び目に戯れに爪の先を引っ掛けると、ますます身を縮めて細く喉を鳴らした。

「…………まるで食べてくださいと言っているように見えるな」

 かぐわしい香りを深く吸い込まぬよう浅く息をしながらそうささやくと、香詠はまだ潤んだままの……今は違う意味に見える瞳を揺らしてルイグンを見上げる。

「………………か、まいま、せん、……それで、信じていただけるのであれば……」

 ルイグンは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いて体を起こした。戸惑いながら半身を起こす香詠をちらと横目で見やり、ルイグンは膝に肘をついて自嘲する。

「危ういところだった。……あなたも頭を冷やしたほうがいい。先ほども言ったが、貞節の問題ではないのだ。あなたはうまく混乱を起こさずに俺の不在を切り抜けたが、うまくやりすぎた。……あなたの意思がどこにあれ、この国を率いるのは俺だということ、……俺はあなたの言うことを丸呑みにはしないということ、賢いあなたならわかるだろう」

「ルイグン様……」

 呆然と寝台に座りこんだ香詠を振り返らず、ルイグンは吐き捨てる。

「部屋に戻れ」

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