王族の婚約者になるということ
「例外、と言えば聖女くらいだろうけれど。
占いで見つかったっていう聖女も、まぁそのままだと正妃にはなれないでしょうね」
続いた言葉に、ナルはコテンと首を傾げる。
「貴女、本当に何も知らないのねぇ。
まぁ、ド田舎で賢女の使用人をしてたら仕方ないのかもしれないけれど」
今さら賢女の実子で、貴女の兄であり将来の王様候補であるジョットの婚約者であり、つまりは貴女の未来の姉なんですとは言いづらいので、適当に相槌をうちながらナルはシャルロッテの話を聴く。
「今まで、民間から貴族、王室へ嫁ぐ娘がいなかったわけじゃない。
また身一つで成り上がった男性の優秀な血を取り入れるための手段として、適当な貴族の家に養子として入って婚姻、という形を取ってきたの」
「へぇ」
知らない世界の話に、ナルは目を輝かせながら耳を傾ける。
元々、ナルは好奇心旺盛な方だ。
それは、母譲りの性格と思われた。
もしもこんな風に呪われていなかったのなら、時折母が魔道書と一緒に購入してくる古びた冒険小説のような旅を夢見るくらいには。
知識として、知らない物を知ることもナルは気づいていないがそれなりに貪欲な方である。
きらびやかな、他国の貴族の世界。
逆に言えば、それだけの世界しか知らないシャルロッテは、ナルの反応の良さが新鮮であった。
シャルロッテは知っていることを得意満面に話して、ナルは目を丸くして聴く。
そうしているうちに、思ったより時間が経過していたようだ。
心配したジョットが脱衣所から声をかけてくる。
「ナル、妹は随分長風呂になってるみたいだけど、大丈夫?」
「あ、はい。それでは王女様。
貴重なお話ありがとうございました。
上がる頃、支度にきますので」
そう言って、ナルは浴室を出ていく。
すでにジョットは脱衣所から廊下へと出ていた。
廊下で彼は、ナルが出てくるのを待っていた。
「何か言われたんじゃない?」
「いろんな知らない話を聴いてたんだ。楽しかったよ」
言いながら、ナルはじぃっとジョットの顔を見る。
「なに?」
「いやぁ、ジョットのお嫁さんになるって大変なんだなぁって思ってさ」
風呂での一部始終を、ナルは楽しそうに話して聞かせる。
聞いていくうちにジョットの顔が苦々しいものに変わっていく。
「ナルは、俺が君を捨てると思ってるの?」
「まさか。そんなこと思ってないよ。ボクはジョットとジョットの言葉を信じてるから。
欠片でもおもってたら契りは交わさなかっただろうし」
言いつつ、ナルはジョットの向かって右側、ジョットからしたら左側の耳へ手を伸ばして触れた。
そこには、ナルが贈ったピアスがある。
「それ以前に、ボクでもあるこのピアスを贈ったりしなかったよ」
「こんなことなら、婚約じゃなくて婚姻を交わせば良かった」
「あはは、もう結婚してるようなものだけどね」
一緒に住んでて、最初に騎士達が来た日、つまりは婚約を交わした日から二人は寝床を一緒にしている。
では何故結婚扱いとならないのか。
その大きな理由は宗教上の問題、というほど大袈裟なものではないが決まりがあるのだ。
神殿か、教会、いずれかに赴いて神官と神の前で愛を誓いあう儀式をするのがこの大陸での習わしなのだ。
宗教の派閥は違えど、何故かこれは昔から守られている決まりであった。
「でも、難しいから」
ナルにしてみれば、その外見からまず神官からの儀式を行うこと、それ自体の許しが出ないという懸念もあった。
ジョットはジョットで、元々の教育されてきた考えから十五歳をすぎるまでは婚約の方が良いと考えていた。
あと二年でもっと強くなって、ナルを守りたいと考えていた。
正直、今はナルの方が強いのだ。
剣も弓も、槍も、そして魔法も。
いまだに模擬試合でナルに勝てた試しがない。
「そんなことない。何も難しくない。
そもそも、そんな決まりに縛られる必要なんてない。
いざとなれば龍神様の前で誓いの儀式をしよう。龍神様も神様なんだし、同じだ」
「ま、そうかもね。
でも、妹さんボクのこと気づいてないみたいだし、どう説明しよう?」
「それは俺から話す」
言葉の通り、シャルロッテの入浴が終わり着替えて一息ついた後、ジョットは改めてナルのことを紹介した。
アキはニコニコしながら成り行きを見守っている。
一方、騎士達はハラハラしながら王女と次期王様候補のやり取りを見つめていた。
「何よ、それ?」
可愛らしい瞳を、悪魔のようにつり上げてシャルロッテは声を絞りだした。
「だから、この女性が俺の婚約者だ。未来の姉が口の悪い妹の世話を焼いてやったんだ。言うことがあるよな、シャルロッテ?」
ジョットの問いかけに、目を吊り上げたままキッとシャルロッテはナルを睨み付ける。
そんなナルの横には、保護者の龍神。
ナルはと言えば苦笑を浮かべている。
「こんな嘘つき女が、お兄様の婚約者?」
「あははは」
笑って誤魔化そうという気は無かったのだが、それでも込み上げてくる苦笑は止まらなかった。
しかし、シャルロッテのあまりにもあまりな言いように、ジョットの堪忍袋の緒が切れた。
だんっ、と机を叩いて妹を威嚇する。
その目は人を殺しそうな程鋭い。
「俺の婚約者を、嘘つき呼ばわりするな。
少なくとも、ナルは後宮にいるどの妃たちよりも、そして姫達よりも美しいし、心が綺麗だ。
もちろん、シャルロッテ。お前なんかナルの足下にも及ばない」
「お兄様、いくらなんでも言って良いことと悪いことがありましてよ」
「お前が言うな。お前は俺の婚約者の家で粗相をした。そして、その片付けをしたのは、お前の湯の世話をしたのは使用人でも奴隷でもない。
俺の家族だ。
お前は、俺の家族を貶した」
「家族? こんな汚ならしい娘を嫁にして家族ですか」
「その汚ならしい娘に身を清めるのを手伝ってもらい、服を借りているのはどこの」
言いながら、龍神が指をぱちんと鳴らした。
「どいつだ?」
同時に、シャルロッテの体が宙吊りとなり逆さまになる。
「答えてみろ、小娘。お前は、誰に世話になった?
それとも、このままその脳髄でこの場をさらに汚すか?」
「り、龍神様っ! やりすぎです!」
顔色を変えたのはナルであった。
龍神の本気を悟ったのである。
「彼女は育ちがボクと違うんです! それにボクが穢れてるのは事実です。
だから、龍神様、ボクのために怒らないでください! 人を、ジョットの妹を殺さないでください!」
泣きそうな声で懇願すると、龍神はやれやれと息を吐き出す。
「お前は優しすぎるな」
慈悲深げに呟く龍神に、ジョットが容赦ない言葉を吐く。
「良い薬になるんで、もっとやって良いですよ龍神様」
「ジョット!」
咎めるナルはすでに半泣きである。
どうして良いのかわからず騎士達は戸惑っている。その横で、アキだけが楽しそうに笑みを浮かべていた。