ハジマリの聖女
翌日。
いつものように誰よりも先に起き出したジョットは、ふと隣で眠る少女を見て顔を綻ばせた。
今日は少しだけ寝坊させてあげようと決めて、一度自分の部屋に戻り身支度を整えると、朝食の用意を始める。
スープにパン、あとは畑で摂れた野菜を使ったサラダ。
いつも通りの朝食を用意し、配膳していると義理の母予定であるアキがやって来た。
「おはよう、ジョット君。昨日はあれからナルの部屋に居たみたいだけどいい返事は貰えたのかしら?」
「えぇ。まだ少しだけ早いですがこれで本当の意味で貴女を母と呼べます」
「そう、おめでとう。あの子のことよろしくね。
今日の晩御飯はお祝いにセキーハを作らなくちゃ。
それで、あの子は?」
セキーハ。聞き慣れない単語にジョットは首を傾げる。
おそらくお祝いの時にだけ食べる特別な料理なのだろうとは、何となく察せられるがどういうものかは全く想像がつかない。
「まだ眠っています。もう少し寝かせてあげようかと思います」
「そう」
「そういえば、昨日の騎士達との話し合いはどうなりました?」
「私が協力するための最低限の条件をだした。
それが呑めないようなら他を当たってもらうしかないわ」
「なるほど」
「あら、そのピアス」
アキが、ジョットの耳を飾る決して派手では無い紅いそれを見つめる。
「ナルから貰ったの?」
「えぇ、御守りだと。宝石では無いと聞きましたが、こんなに綺麗な石初めて見ました。きっとナルは見つけるのに苦労したんでしょう」
そのジョットの様子に、ピアスの紅がなんなのか気づいていないようだ。
ナルもわざわざ話さなかったのだろう。
「そこまで苦労はしてないと思うわよ。まぁ、勇気は必要だったでしょうけど」
「これ、何の石なんですか?」
興味を持って聞けば、アキは教えてくれた。
とても安価な魔石の原石がこの森を流れる河の近くに転がっているのだが、そのなかでも透明なものを選んで加工したものに、ナルの魔力が宿った血を封じ込めたものだ。
数回くらいなら、ジョットの身が例え火に焼かれようが、落石でぐちゃぐちゃになろうが文字通り守ってくれる代物である。
ちなみにこれを自作できる魔道士は少ない。
いわゆる職人の域になるからだ。基本、研究者である魔道士は研究の過程で作ることはあっても商品として販売することはほとんどない。
そのため、首都にある専門店で購入しようとすると一般人が生涯稼ぐ賃金に値する上、しっかりと力のある御守りとなると最高レベルの魔道士が作成しなければならない。
普通に作るだけならば、他の術式を用意すれば事足りる。
しかし、魔道士の血を使ったものとなるとその価値は計りしれない。
「いわば、ナルの欠片。大事にしてね」
そう、ナルの血が封じ込められているというということは、つまり少量ではあるが、自分自身をナルは傷つけたということだ。
痛いことは苦手であるナルが、である。
「もちろんです」
アキにそう返し、もう一度ナルを抱き締めようと決める。
ありがとうの言葉を添えて。
***
宮廷魔道士である彼に割り振られたその部屋は広い。
そのため、研究室兼自宅として使っている。
その日、いつものように研究に没頭していた彼は、広げていたこの大陸の地図にその反応が現れたことを知った。
彼が蒔いた種が芽吹き、実を結んだのだ。
結んだ実は、全部で十。
豊作である。
しかし、完成品があるとは限らない。
「前の刻から五百年、ハジマリからは千五百年」
詩を詠うように、彼は地図を見つめながら呟く。
「今度こそ、お前に会えるだろうか?
【ハジマリの聖女】」
どの時代の彼女も、彼のモノにならなかった。
ほとんどの時代で、彼の蒔いた種は失敗に終わった。
彼は、ただ彼女にもう一度会いたかっただけだ。
もう一度会いたかった、たったそれだけ。
それだけのために、彼は聖女を量産し続けた。
それだけのために、彼は歴史に干渉し続けた。
それだけのために、彼は神を欺き続けた。
それだけのために、彼は今まで生きてきた。
この時代では上手くいくだろうか?
わからない。
何故なら、五百年前の聖女ですら、本物のハジマリの聖女にならなかったのだから。
この時代でも、やがて聖女の争奪戦が始まるだろう。
この大陸にある国々が神の力を手に入れようと、聖女を求めあう。
複数の聖女の出現は、そのどれもが本物であるがために争いの火種となる。
それぞれの国がきっと、聖女の真贋をめぐって殺しあう。潰しあう。
ニンゲンとはそういう生き物だ。
そして、聖女が宿すといわれる【神子】機能。
神々の傲慢な機能。それを最大限利用し続けた。
しかし、彼にとっての本物はたった一人。
ハジマリの聖女の血を受け継いだ体に、彼女の魂と人格が宿った、本物の彼女だけだ。
果たして、今回の聖女に彼女はいるだろうか?