賢女と、聖女と、国家のための予備
正直な所、ジョットは父と顔を合わせたことはほとんどなかった。
王族とはいえ、ジョットの王位継承権は十位。
さらに側室の中でも一番身分の低い母親から産まれた子である。
せいぜい、国の大きな行事に参加するくらいだ。
王子だってジョットを含めて上に九人もいるのだ。
姫は上と下合わせて十五人くらいだろう。
姫達の母親も、ジョットの母より身分が高い。
年齢が彼より下であっても、姫達はジョットを見下してくることが多かった。
それは、次期王妃の座を狙う貴族令嬢達も例外ではない。
貴族令嬢達は、王族の中でも身分が低く立場も後ろだても何もないジョットを見ては嘲笑い見下していた。
ジョットには、利用価値が無いと判断されていたのだ。
そして兄や姫達の態度もそれに拍車をかけていた。
なにもしていないのに、嫌がらせはどんどん酷くなり、そしてとうとう母が天に召された。
その後も嫌がらせが続き、役にたたない穀潰しである彼を兄やその母達が独断で処分しようとしたのだ。
隣国で生きようとした、それはもちろん嘘ではない。
だが、この家を見つけなければきっとジョットは行きだおれて死んでいたことだろう。
「どうしたの?」
屋根に登って、雨漏りの修繕をしていたジョットへナルは、同じように登ってきて声をかけた。
女性としての体つきになりつつあるナルは、今までと変わらないように接してくる。
時には体をくっつけて一緒に本を読む事もあるが、柔らかい小さな膨らみに意識するなという方が、年頃の少年には中々難しい。
ナルの母との問答からさらに月日が過ぎて、気づけばここにきて一年が経過していた。
お互い十三歳。王族でも婚姻を結びはじめる年頃だ。
「なんでもないよ」
ナルは外の世界を知らないまま、この先この森の中で生きていくのだときめている。
ドレッドノート家の血がそうさせるのか、ナルは今や魔法で本来だったら男の仕事すら片手で済ませてしまえるほどになった。
まるで、いつかジョットですらここを出ていくことを見越しているかのように、なんでも出来るように頑張っていた。
「お昼出来たよ。ちょっと休憩しよう」
実際、ナルは自分一人だけになった時のことを考えて行動していた。
ジョットと暮らしはじめて一年。
最初は気づかなかった、その心境の変化に気づき始めたのはつい最近だ。
その心の変化が怖くなって龍神に相談したら、あっさりと『恋』だと教えてくれた。
でも、素直に自分の心を認めることができなかった。
まだ、自分は心のどこかで男であると思っていたからだ。
男が男を好きになることは、普通はありえないことだ。
しかし、気づけばジョットのことを視線で追っている自分がいた。
彼に誉められたりすればとても嬉しいし、たまに喧嘩をするとすごく落ち込んでしまう。
ジョットは、ナルの事情を話しても嫌うことはなかった。
ましてや、今は性別は女である。
女が男を好きになるのは普通のことだ、でも、それでも男だったという事実が、それを伝えているからこそ、想いを打ち明けることが怖かった。
ジョットは、ナルのことを弟のように思っている。そうナルは信じていた。
このままでいいや。
そうナルは考えていた。
あえて関係を壊すことはない。
いつか、ジョットがここを出て森の外で家族をつくり、お嫁さんと子供を連れて時々この森に顔を見せる。
そんな未来も幸せで良いじゃないかと、思うようになっていた。
「うん。わかった」
そんなナルの心境を他所に、区切りである一年が過ぎた今日。
ジョットはナルへ告白しようと決めていた。
母の手伝いで少しずつ貯めたお金を使って、安いながらも婚約指輪も用意した。
安い、でもナルの瞳と同じ真っ赤な石のついた指輪だ。
怖かった。
これは、今までの関係を壊すことだ。
事前に、意思は堅いことを母に伝えてある。
問題は、いつ決行するかである。
今日も母は夕方まで帰ってこない。
なら、昼食が終わった後にでも。
いや、でも断られたらずっと気まずいことになる。
悩んだ末、ジョットは昼食の席でそれを渡すことした。
「ナル、いや、アースナル・ドレッドノートさん」
配膳を終えたナルへ、ジョットは畏まって声をかけた。
隣に座りながら、ナルは不思議そうにジョットを見る。
「そ、その、俺と」
「どうしたの? ジョット」
「俺とこんーー」
意を決して続いた言葉は、突如響いた玄関の扉を叩く音と続いた声でかき消されてしまった。
「失礼する! 噂に名高い賢女の家はこちらだろうか!!
誰かおらぬか?!」
男の大きな声だった。
その声にナルの体があからさまにびくついた。
見れば、ナルの手が震えていた。
「俺が代わりに出るよ」
「う、うん」
ジョットの申し出に、ナルは家の奥に引っ込んだかとおもうと一年前と同じように布をすっぽり被った。
「はい。どちら様でしょうか」
正直、邪魔しやがってと忌々しく思いながら扉を開けると、そこには久しぶりに見るアーバンベルグ国の王お抱えである騎士団の団長の顔があった。
そのうしろに控えるのは、騎士団の副団長とその助手である。
三人とも、ずっと行方不明であったジョットの登場に驚いた。
「殿下」
「人違いです」
呼ばれ、しかしジョットはそれを切ってすてる。
「良かった無事だった。本当にいた。良かった」
今にも泣き崩れそうな騎士団の団長を、しかしジョットは冷たい目で見る。
その背後から、布を被って髪を隠したナルが不安そうに声をかけてきた。
見るからに怪しげな少女の登場に、団長は眉を寄せる。
「と、とり、あえず。た、たちばな、しも何なので、どうぞお上がりください」
カタカタと体を恐怖で震わせながら、ナルは提案する。
騎士達の視線からナルを守るようにジョットは立つ。
そして、小さくナルに訊いた。
「良いの?」
「りゅう、じん様が、ここまで通した、のなら。
たぶん、だいじょうぶ」
たぶん大丈夫と言いながらも、やはり父親と同じ年代の男が怖いのか、ナルはジョットの服を握ってきた。
そうして、騎士団の三人を家へあげるとお茶の準備を始めるナルだったが、どうにも危なっかしいので何時ものように手伝おうとしたら、それを見咎めた団長が威圧をかけてきた。
それをジョットは睨んで辞めさせる。
「あ、あの、母は、今家にいなく、て。その」
もごもごと口ごもり次第に言いたかったことが消えていく。
「そもそも、ここに騎士団が何の用だ」
お茶を全員分淹れて、配り終えるとジョットがナルの言葉を引き継いだ。
団長がその問いに答える。
何でもジョットが、兄とその母達から嫌がらせでこの森に捨てられた直後。
王が体調を崩したのを皮切りに、お家騒動が勃発したらしい。
騒動は泥沼になるだけで解決せず、なんとか王の体調が持ち直した頃には兄達は共倒れとなり、跡継ぎがいない状況となってしまった。
幸いにも姫達は全員無事だったので、有力貴族から婿を迎えてその婿を王にしようとなったらまた血生臭い騒動が起き始めた。
そこで漸く王はジョットの事を思い出した。
まだジョットが残っているのだから彼を次代の王に、となった。
そう、王にはジョットのことが伏せられていたのだ。
ことの次第を聞いた王はそれはもう怒った。
全てが遅すぎるとわかっていながらも、せめて骨だけでも埋葬をとなり、宮廷魔導士に現在のジョットの居場所を占ってもらったところ、生きていることが判明した。
それも、数年前から森に住んでいるという賢女の下で元気にしているとわかり、半信半疑ではあったがこうして騎士団が派遣されたと言うことだった。
「都合良すぎ。この一年。誰も捜しに来なかったくせに」
それどころか、次の国の指導者候補がいなくなって、ようやく存在を思い出したくらいだ。
予備がいなくなったから戻ってこいというわけである。
たぶん、薪割り用の斧を持ってきて暴れても許される気がする。
ナルが泣くだろうからやらないが。
「それは、その通りです。
ただ、殿下だけが目的では無いのです。
実は、王は毒を盛られ呪術をかけられていたらしく、その犯人の捜査に賢女殿のお力添えを願おうかと参ったしだいでして」
要するに、ジョットからも賢女であるナルの母に口添えして捜査に協力させようとしているわけだ。
「それに、宮廷魔導士の占いからもうひとつ、我々はとある人物の捜索を指示されました」
まだあるのか。
内心うんざりしながらも騎士団長の言葉を待つ。
「【刻印の聖女】が現れたらしいです。ただ、占いではどこにいるのかまでは、わからなくて」
【刻印の聖女】もしくは【聖痕の乙女】と呼ばれるその存在は、所謂伝説の存在である。
伝説によれば、神様に愛された存在であり、聖女や乙女と呼ばれているように女性である。
その女性は国を平和に導く神の子、神子を宿すとされ、その目印として体のどこかに紋様が刻まれているらしい。
歴史上、その存在は何度か文献に登場している。
その存在が最後に確認されたのは今から五百年前。
当時、まさに戦国乱世であった時代にその少女は現れた。
旅人である少女は、落ち延びていた亡国の王子を助け国を取り戻す手伝いをしたという。
大変腕もたち、護衛として王子が少女を雇ったのだ。
雇われた少女は、その旅の中で王子と愛を深め、戦乱をおさめたあと大恋愛の末に王となった彼と結ばれ、やがて神子を産んだとされている。
その少女の腕には生まれつき刺青のような痣があり、それが【刻印の聖女】であった証しらしい。
今ではただのお伽話となっているが、王権を正当化するための伝説かと思えばそうでもない。
いやもちろんその王権の正当化という面もあるのだろうが、それだけでは説明がつかない【歴史】と【史実】が存在している。
実際、その刻印の聖女が存在し、聖女を手に入れたとされる国は今でも存続し続けているのだ。
そして、現代にその存在が確認された。
そもそも、聖女の存在は謎に包まれている。
刻まれている紋様だって、五百年前の少女のように生まれつきのものから、何かが切っ掛けで現れた者もいるらしい。
「へぇ、お伽噺の聖女が現代に、ね」
「はい。国の王室の存続を考えるならば、方法はいくつか用意すべきということで」
「賢女と聖女。そして俺か。
ま、いまうだうだ言っても始まらないな。母さん、話は賢女が帰宅してからだ」
ジョットと騎士達の話を聞きながら、ナルはうつむいた。
いつか来ると思っていた日が来てしまったのだと、表情を暗くした。