恋心と違いと
ナルの母親が森へ戻ってくると、その出入り口で龍神が待っていた。
珍しいこともあるものだ。
不思議そうにしている彼女へ、今、彼女達の家へ客人が来ていてナルがその相手をしていることを告げる。
迷子の、ナルと年の近い子供でどうやらこの森の反対側から迷いこんだようだ。
龍神がその子供を無理やり、森の外へ追い出さないと言うことは、悪い人間ではないのだろう。
しかし、母親以外の人間を見るのは二年ぶりのはずだ。
大丈夫なのだろうかと、別の意味で心配になる。
それに、森の反対側から迷い混んだということはアーバンベルグ国の人間ということになる。
彼女の実家があった国であり、故郷である。
***
少年の名前はジョットというらしい。
ジョット・ディー・アーバンベルグというのが彼の名前なのだそうだ。
この森を挟んだ、一応隣の国の王族らしい。
「じゃあ、王子さまなんだ。
でも、王子さまって護衛を沢山つけて、どこに行くのにも大変って聞いたことあるけど」
「何で護衛もつけずに迷子になっているのか? か。
簡単だよ。それは俺がいらない王子だから。
俺の母親の身分は低かった。貧乏貴族の出身だから。
だから、後宮での母と俺への扱いもそりゃぁ酷いものだった。
上の兄や、その母達の気まぐれの嫌がらせ命令は絶対だ。
逆らえるものなんていない。
俺の母は先月死んだ。虐めに耐えて、頑張って、頑張りすぎたのか、病気で死んだ。俺の王位継承権なんてあって無いようなものだ。
実際、母が死んでから俺は放っておかれた。
かと思えば思い出したかのように、今朝、兄達から『王族たるもの一人で魔物を狩らなければならない。狩れるまで戻ってくるな』と言われ森の中に置き去りにされた」
これは、何処にでもある話なのだというジョットに、ナルは返す。
「ひどい」
「たぶん、今頃宮中じゃ俺が死んだことにされてるかも。
まぁ、俺が死んだところで次代の王の予備が一つ無くなったくらいだろうけれど」
「でも」
「だからいっそのこと、森向こうにある、ナルの出身の国ーーレベルターレ国に行って仕事でも探そうかと思って、真っ直ぐ歩いてたつもりだったんだけど」
「迷ったんだね。でも、いいの? ボクがこんなこと聞いちゃって」
「いいんだよ。ナルだって、俺に秘密を教えてくれたんだから。おあいこってやつだよ」
そうしてどちらともなく笑いあった。
これが出逢いだった。
二人の出逢い。
この日は帰ってきたナルの母にジョットを紹介、事情を説明して泊めることとなった。
母はその出自に驚いたものの、ジョットがナルへ危害を加えることがないということを龍神が教えてくれていたので、彼に対して冷たい態度を取ることはなかった。
ナル自身も、久しぶりの年の近い友達ができたことを喜んでいるようだった。
ジョットへの同情もあった。
似たような境遇だ。だからだろう。
ナル達はジョットを受け入れ、男手が必要な仕事を手伝ってもらうようになった。
気づけば、三日、一ヶ月、数ヵ月と時間が経過していた。
ジョットが言ったように、彼の迎えは来なかった。
本当に捨てられたのだろう。
「ジョット君」
その日、朝から薪割りをしていたジョットへ、ナルの母は真剣な顔をして話を切り出した。
もう数ヵ月だ。
ジョットが来て数ヵ月。
幸いにも、森での狩猟や薬作りを手伝ってくれる彼のお陰で増えた食費はなんとかなっている。
しかし、いまや娘となったナルと、これからどんどん男になっていくジョットを一緒に住まわせておくことに、母は不安を募らせていた。
今の二人は仲の良い兄弟か友人という関係だ。
しかし、それがいつ男女の関係になるかと冷や冷やしているのも事実なのだ。
というのも、ナルに初潮がきてしまったのだ。
いつかくると思っていた。
男の子だったナルはその現象に戸惑い、何か重大な病気ではないかと不安でたまらなかったようだ。
必死と言えば、普段の暮らしに必死で、そういった話を何もしていなかった母にも責任がある。
ゆっくりと、安心させるようにその現象がなんなのか説明した時。
ナルは震える声で、「ボク、男なのに」と呟いた。
その呟きに、母はナルにとってはおそらく死刑宣告のようにこれからのことを話した。
男女の子供の作り方、処理の仕方、泣いてそれでもどこか諦めて受け入れるしかないとナルなりに納得した後。ナルは言ったのだ。
この森から出ないのなら、そもそもそんな心配はないし、こんな教育は無意味だと。
そう、ジョットさえ来なければ無意味だったことだろう。
しかし、ナルがどう捉えた所でジョットは日に日にナルへ好意をもっていくことが理解できた。
ナルの事情を知ってさえ、そうなのだ。
ましてや彼は、母の故郷の末席とはいえ王族だ。
王族は遅くても十歳までには婚約し、十五才までには学生であろうと婚姻を結ぶのが一般的である。
そのまま婚礼をあげる者もいる。
「話があるの」
ジョットの中にある恋心は、本当にまだ淡いものだろう。
しかし、それがいつ彼を母を孕ませたあの男のように獣になるとも限らない。
龍神から、彼は危害を加えないことはお墨付きだが、しかし、それでも不安なものは不安なのだ。
ナルが彼の好意を受け入れるなら何も問題はない。
しかし、ナルは元々男である。
恋を知らないうちに、そして男女の違いを身をもって体験する直前に、性別が変わってしまった。
「貴方、ナルのことが好きでしょう?」
単刀直入の言葉に、ジョットは顔を赤らめる。
「は、はい」
「少し下品な話になるけど、貴方、精通きてるわよね?」
さらに顔を赤くして、視線を反らしジョットは頷く。
「ナルはたぶん貴方のことが嫌いじゃないと思う。
でも、貴方がナルに対して抱いている好きとは種類が違う、と言うことはわかってるかしら?」
「はい。ナルは俺のことを兄みたいだと言っていました。
もしいたら、俺みたいだったのかなって」
「そう」
「もちろん、このままじゃ俺、いつかナルに酷いことをするんじゃないかって思ってて、母さんはそれが心配なんですよね?」
「ええ」
「ナルの事情も、母さんの事情もわかっているつもりです。
だから、俺はいつかここを出ていかなくちゃならない。
ナルを傷つけたくないから」
そこまでジョットが言った時、母は息を吐き出した。
「それが聞けて少し安心した。ここには龍神様もいるし。龍神様はナルのことをいたく気に入っているの。そして、その龍神様はジョット君は危害を加える存在じゃないと言っていた。
それでも不安だったの。ごめんなさいね」
「謝らないでください。俺は貴女方親子に感謝してるんです。
二人は俺のことを助けてくれたから。
ナルの今までを知ったのが最初で良かったと思っています。
欠片でも嫌悪感を抱いたらすぐにここから去るつもりでした。
でも、日に日にナルのことを好きになっていくんです。
だから、俺は」
「ジョット君ってお父様似なのね」
遠い目をして、懐かしそうに言う母にジョットは軽く驚いた。
「父を知っているんですか?」
「えぇ、昔ちょっとね。
そういえば言ってなかったかしら、私はアーバンベルグの出身なの。
色々あってレベルターレに移住したんだけど」
「はい、初めて聞きました」
「実家は下級貴族でね。私が家を出た後、もう十五年以上前になるのか、流行り病で家族も使用人も死んだときいた。
だから、そっちにも帰る家はないしレベルターレの方にもないの」
「そういえば、姓も知らないです。
今さらですけど」
クスクスと母は笑った。
「そういえば、名前だけだったわね教えたの。
ほとんど使う場もないけど、私もナルもドレッドノートを名乗ってるわ」
その名前に、ジョットは目を見開いた。
「ドレッドノート?! ってあの伝説の魔導士の一族。
ドレッドノート家ですか?」
「伝説って。そんな大層な家じゃないわよ。
先祖代々、みんな魔法が好きで魔法を極めちゃったおかしな一族なんだから」
宮廷魔導士にも姓こそ違うがドレッドノート家の遠縁のものが、何人も在籍している。
しかし、直系、本家の人間にはあと一歩及ばない。
ジョットは人伝の話でしか知らないが、今から二十年前そのドレッドノート家を悲劇が襲った。
それが母の言った流行り病だ。
しかし、ただの流行り病にしては不自然なことが多く一部の陰謀論者の間ではいまだに良い玩具となっている。
魔法を極めつつも下級貴族だったのには当然わけがある。
必要以上の力をつけさせ、政治の中心へ他の貴族が置きたがらなかったからだ。
そもそも先祖代々、変わり者が多かったドレッドノート家は研究費用さえちゃんと出してもらえれば、何も文句がでなかった。
家の始まりは古く、千五百年程の歴史があるらしい。
「それじゃあ、父と知り合いと言うのは」
「何度か社交界で、ね」
「違う。そうじゃないですよね?
唯一、父の心を射止めた、ドレッドノート家の娘で正室候補がいたことも有名です。自由奔放な彼女はしかし、旅先で連絡が途絶え、死んだとされた」
「もう、昔の話よ。たしかにそんな娘がいたのも事実だろうけれど、それはもう昔の話なの」
それ以上はジョットも何も言わなかった。