お菓子と迷子
さらに一年が経過した。
女の体になって二年も過ぎたからか違和感も薄れてきた。
身代わりで呪われて性別が女になった子供ーー十二歳となったナルはいつものように母の指示に従って朝から薬草を集め、近くの町や村で売る薬を作り、畑の世話をして、龍神に教わって魔法や武器の扱い方の手解きを受けながら生活していた。
この二年で、ナルの髪は背中まで伸びていた。
龍神からどうせなら伸ばしたらどうだ、と言われて手入れはしつつも伸ばした結果である。
その容姿から人里に行くことは出来ないナルは母が、薬を売り、そのお金で森にはない物を買い出しに行くときはこの森で留守番をすることになる。
ナルと言うのは愛称で、本名は別にあるがもうこれからは愛称でしか呼ばれることはないだろう。
ナルは家に戻り、薪を割ったり家の掃除をしたり忙しく動き回っていた。
二人が住む家は、龍神が知り合いだというドワーフの男性を呼びつけ建てさせたものだ。
地下水を汲み上げ、取っ手を押すだけで水が出てくる不思議な道具のおかげで井戸から水を汲むという仕事がないのは、とてもありがたい。
他にも、生活に困らないよう設備を整えてくれたのだ。
魔法技術を応用した道具や設備がこの家にはたくさんあったが、ナルが理解出来たのは使い方までだった。
母は夕方まで帰ってこない。
今日のお茶のお供はどうしようかと悩む。
しばらく悩んだあと、ラズベリーのパイを作ろうと決めた。
この前、家の点検にきたドワーフの男がお裾分けでたくさんくれたのだ。
ナルは、さっそく作業に取りかかることにした。
と言っても、生地はずっと冷たいままの不思議な、ナルがすっぽり入れてしまうほどの箱の中に作り置きがあったし、カチカチに氷っているそれを取り出して少しやわらかくなってから、必要な分だけ切り取って残りはまた箱の中に片付ける。
ラズベリーを煮詰めて作ったパイの中身。パイ生地を型にはめてそこにラズベリーを煮詰めたものいれ、その上に細長く切った生地で格子模様を作る。
窯にいれ、あとは待つだけだ。
ただ待っているのも退屈なので、母が買ってきた古びた本を読みながら焼き上がるのを待つ。
次第に良い香りが漂い始めた。
頃合いを見計らって、ナルはお茶の準備を始めた。
温めたカップに淹れたお茶を注ぐ。
程なくこんがりと焼き上がったパイが窯から姿を現した。
ナルが切り分けたパイを食べようとした時。
こん、ここんっと玄関の方から扉を叩く音が聞こえてきた。
「誰だろ? ドワーフのおじさんが来る日じゃないし。龍神さまはノックなんてしないし」
不思議に思いながらも、ナルは玄関に向かう。
今度は扉の向こうから、弱々しいというよりはちょっと恐る恐るといった声が聞こえてきた。
「すみません、誰か、いませんか?」
また、こんこんと扉が叩かれる。
「道に迷って、その、とてもお腹が空いているんです。
お願いです、誰かそこにいるのなら助けてください」
その必死な訴えに、ナルは扉に近づいた。
この二年、限られた者としか接触できていなかったので、久しぶりの他の人間の来訪に、驚く。
「あ、ちょ、ちょっと待っててください!」
ナルはそう言うと、一度家の奥にいき大きなぼろ布をすっぽり被って、すぐに玄関に戻ってきた。
瞳はどうしようもないけれど、髪だけは隠そうと思ったのだ。
ゆっくりと、ナルは扉を開けた。
扉の先にいたのは、眩い金髪の少年だった。
男の子はナルと同い年くらいに見える。
無駄だとわかりながらも、ナルは纏ったぼろ布を目深に引っ張る。
なるべく、この紅い瞳を見られないようにするためだ。
「あ、えっと」
ナルの姿に困惑しているのだろう。
ナルはすぐにくるりと少年に背を向ける。
「お腹、減ってるんですよね?
甘いもので良いなら、さっきパイが焼けたばかりなんです」
「あ、お、お邪魔します!」
少年をテーブルまで案内し、座ったのを確認するとカップをもうひとつ用意して、お茶をいれなおす。
「君は、ここで一人で住んでるの?」
出された紅茶を飲んで、喉を潤してまるで一流の菓子職人が作ったかのようなパイと、ナルを交互に見て少年は訊ねてくる。
「どうぞ、お腹減ってるんでしょう?」
少年の問いには答えず、ナルは彼のために切り分けたパイをすすめる。
「あ、う、うん。いただきます」
フォークでパイを少しだけ掬って口に運ぶ。
そんな少年を見ながら、ナルはそう言えば母やドワーフの男以外にこうして料理を食べてもらうのは初めてであることに気づいた。
目深に被った布の下から紅い瞳を向け、どんな反応が返ってくるかとドキドキして待つ。
パイを一口食べた直後、少年の目が丸くなり、たった一言呟いた。
「美味しい」
笑顔で夢中になって食べる少年を見て、何だか嬉しくなってナルは微笑んだ。
その笑みを偶然視界の端で見てしまった少年は、ぽとりとフォークを落としてしまう。
「どうかしましたか?」
固まってしまった少年へ首を傾げ、声をかける。
「紅い目」
「!」
少年の続いた言葉に慌てて、もっと見えないように布を下げようとしたナルだったが、次の彼の言葉を聞いてその手を止めた。
「宝石みたいに綺麗っ!
なんで布で隠そうとするの? もっと見せてよ!」
子供特有の好奇心が勝ったのか、少年は椅子から降りてナルに近づくと纏っているぼろ布を取ろうとしてくる。
「や、やだ! やめて、やだぁぁああああ!」
「ちょっとだけ、ね、そんなに綺麗なんだから」
ブンブンと頭を振って、布を剥がそうとしてくる少年の魔の手から逃げようとする。
「やだ、いやだ! やめて、離して!」
そうやって揉み合っているうちに、二人の足が縺れて転んでしまう。
転んだ拍子に布が取れてしまい、一緒に隠していた白い髪も顕になってしまう。
強かに頭を打ちつつも、ぼろ布に隠されていた白と紅を見た瞬間、あまりの綺麗さに言葉を失う。
「あ、ご、ごめん」
「やめて、って言ったのに」
泣きべそをかきながら、ナルが言うと、もう一度『ごめん』と返ってくる。
「目もそうだけど、髪も綺麗だね。隠す必要なんかないのに」
邪気も悪気もない少年に、しかし二年前、この森にくるまで様々な好奇と悪意の視線の的になり、石を投げられたことが思い出される。
「みんな、気持ち悪いって言うんだ」
「え?」
「好きでこんな髪に、目の色になったんじゃない!
でも、みんな、こんな色の子供はいない。いない色を持っているのは、違うのは気持ち悪いって、皆がボクを見て言うんだ」
「俺は、綺麗だっておもったけど?」
先に少年が立ち上がり、ナルへ手を差しのべてくる。
「ごめんね。大丈夫だよ。俺は気持ち悪いなんて思わないから。
それに、こんなに可愛いんだから、布なんて被らないでよ」
ナルも身を起こし、じいっと少年を見る。
「そんな事、初めて言われた」
しかし、すぐに視線を外して続ける。
「でもね、ボクに起きたことを知ったら君だって気持ち悪いって言うに決まってる」
「?」
「きっとすぐにここから逃げ出す」
「え~。君は俺を助けてパイをご馳走してくれた恩人なのに?
俺、そんなに薄情に見える?」
「わからない。でも、お母さんや龍神さま達以外は石を投げてきた」
「俺は石なんて投げないよ」
「殴られそうになったことだってある」
「今の時点でやろうと思えばできるけど、俺、君の事殴ってないよ?」
「でも、でも」
「だって。俺は君の言う『今までの皆』じゃないよ。
あ、泣かないで。女の子に泣かれるのは苦手なんだよ」
「ボク、本当は女じゃない」
そう言ってしまってから。母を心配させまいと知らない振りをしてしまいこんでいたナルの感情が溢れだしてきた。
誰かに聞いてほしかったのだと、後になってわかった。
「君もお腹減ってるんじゃない? ほら俺だけで食べてたから。
一緒にパイを食べよう。それで、君の話を聞かせてよ!
もちろん、俺の事も話すからさ」
ね? と促されるままにナルは差し出された手に触れた。
そして、お茶会が始まった。