暇な最年少の側室
憂鬱なため息を、その少女は吐き出す。
この後宮に来たのは、一年以上前だ。
彼女に与えられた部屋。そこはとても広くて、でも、温かみのない部屋で。
また、溜め息が漏れる。
他の妃達はとても冷たい。配属された侍女もそうだ。
農業国家が支配されないための生け贄として、人質として嫁いできた。
彼女の名前はジュリエッタ。
とある国の第二王女であった少女だ。
ここに来て、声を出した回数はどれくらいだっただろう。
故郷にいた頃は兄弟姉妹と笑いあい、農業が盛んであり、そして貧乏国家ではあったがそれなりに楽しく過ごしていた。
そんなジュリエッタの運命が変わったのは、大国の一つであるアーバンベルグからシュリエッタへ婚姻の申し入れが舞い込んだためだ。
自国の貴族の中に恋仲となり、婚姻も秒読みとなったところでのその報せに、彼女も、彼女の家族も暗い顔になった。
婚姻の話を持ってきた使者が読み上げた文には、ジュリエッタが輿入れすれば様々な援助をする旨が記載されていた。
他にも姉妹がいるなか、ジュリエッタが選ばれたのは彼女がその国で一番の美貌を持つ王女だと噂だったからだ。
実際、ジュリエッタは当時十三歳であったが大人びた雰囲気を纏う少女であった。
性格も良く、はっきり物を言うが他人をたてることも忘れない淑女であった。
開かれた王室であったために、貴族、民間問わず友人が多かった。
評判が良かったのだ。
「別の本が読みたい」
読書家、という程でもないが彼女は物語の本が好きだった。
恋愛小説にはときめき、冒険小説にはワクワクし、推理小説はハラハラドキドキしながら読んだ。
輿入れの時、嫁入り道具として大量の本を持ち込んだのは後宮に住まう者達の度肝を抜くことは無かったが、変人呼ばわりされるには充分だった。
悪口の種にも事欠かないネタであった。
貧乏な堆肥臭い国の女のくせに、そんな枕詞の悪口が常に囁かれた。
と言うのも、魔道士でもない、そして弱小国家出身の女が、物語といえど本を読み知識をつけていることが気にくわなかったのだ。
ましてや農業の国である。
ジュリエッタの故郷は確かに貧乏農業国家ではあったが、かつては【賢者の国】と呼ばれ称賛されたほど知識人が多かった。
本や巻物が大量に存在し、今でも細々と出版されつつあるのはその時の名残である。
しかし、時代が流れるにつれその知識人達は外国へと出ていった。
限界を感じたのだ。
同じ場所にいたところで、それが在ることが当たり前になり、ジュリエッタの先祖や当時の貴族達は知識人達を庇護することがなくなったのだ。
それどころか、遊び半分、片手間でやる趣味のような仕事と捉えられ、研究機関に下りる予算も削られていった。
そのため賢者と呼ばれた研究者達と共に、長年の研究成果は全て外国へと流出
した。
流出したさきでは、その研究は高く評価され、高額な値がついた。
価値がきちんと与えられたのだ。
一人が成功すれば、後に続くものが夢を見るには充分だ。
そうして、ゆっくりとジュリエッタの生まれた国は貧乏国家へと成り下がったのだった。
貧乏と言っても、自給自足で食べる分には国民は飢えてはいなかった。
穏やかな農業国家は、先人達が残した技術でそれなりに暮らせてはいたのだ。
娯楽にも事欠かなかった。
それはジュリエッタのように娯楽小説を楽しむ者がいて、それを作る者がいたからだ。演劇も、遊戯も。
無ければ作れば良い。そんなジュリエッタの故郷である。
札遊戯や盤遊戯、この嫁ぎ先であるアーバンベルグ国にあるそれらの娯楽はルールこそ改変されているが、原型はジュリエッタの故郷にあった物だ。
知識人達の流出とともにこの国に根付いていったのだろう。
とある側室がジュリエッタに後宮の洗礼を受けさせた時、盤遊戯に誘った。
輿入れしたばかりで日が浅く、嗜み程度に本を読んでいるとジュリエッタは思われていた。
本当に知識を有しているなど誰も思っていなかったのだ。
だからこそ、貴族の優雅な遊戯に誘って負かして笑い者にしてやろうと側室達は考えていた。
しかし、その思惑は大きく外れることになる。
同時に複数の側室達を相手取り、ジュリエッタは全勝したのだ。
それだけではなく、ジュリエッタはどこがどう敗因に繋がったのか説明してしまった。
故郷にいるときと同じように。
それがいけなかった。側室達のプライドをズタズタにし、後宮では有力な貴族の出である側室の派閥に入ることもできず(元々入る気も無かったが)、孤立してしまった。
そしてそれは宮仕えをする侍女ーー従業員達にも伝播していった。
我が儘で高飛車な主人に仕えるのはストレスが溜まるものだ。
そのストレスの捌け口に、ジュリエッタは標的となってしまった。
食事が用意されないのは良くあることだし、侍女が寝坊して出勤してこないことも日常茶飯事だ。
無いなら作れば良い、そんな国で育ったジュリエッタは元婚約者こそ貴族だったものの、母の考えから民間に嫁ぐことも考えて一人で家事が出きるよう仕込まれていた。
それこそ、嫁いでからは嫌がらせで虫のついた葉野菜や根菜がそのまま食卓に出る、何てことも多かった。
出すだけ出して、侍女は引っ込むので、仕方ないので自分で調理して食べていた。
学校の家庭科室より広い炊事場は、ジュリエッタが使う頃には誰もいないので好きに使えるのは良かったが、なにしろ遠い。
最初の数回は誰に邪魔されることなく使えたのだが、それを別の側室に仕える侍女に見咎められ、糾弾されてしまった。
しかし、食べなければ死んでしまうのが人間だ。
王の渡りこそ無かったが、この件が切っ掛けで王にもジュリエッタの事が伝わった。
しかし、ホウレンソウの行き違いか、待遇の改善によりどういうわけかジュリエッタの部屋に炊事場が設けられた。
ジュリエッタは深く考えずに、自炊生活へと突入した。
「というか、暇」
実質、独り暮らしのようなものだ。
持ってきた本はあらかた読み終えてしまい、過去読んだ本を何度も読み返しているがそれでも初めて読む時のようなワクワク感は半減する。
ジュリエッタはこの後宮の住人達に歓迎されていないことをよく知っていた。
話し相手もいないので、暇なことこの上ない。
他の妃達は、定期的に商人達から宝石などを買っているがもはや居ない者扱いされているジュリエッタの所にそんな御用聞きが来ることもない。
「ひーまーだー!」
伸びをして、読みかけの本を机の上へ置く。
「税金の無駄なんだから、大臣でも誰でも良いから離縁を進言してくれれば良いのに」
そうして名実共に追い出されれば、気兼ねなく実家に帰れる。
とは言え、不名誉この上ないだろう。一度後宮に入ったということはお渡りが無かったとしてもキズモノと見なされ結婚は望めない。故郷に帰ったら昔から夢だった私塾を開きたい、貴族の子息令嬢達の家庭教師も良いかもしれない。
結婚は望めなくても、彼女のそっち方面の能力があることは故郷の人たちはよく知っていた。
結婚関連で白い目で見られたとしても、能力があれば輪の中に入れるものだ。
家族からの手紙で、ジュリエッタの元婚約者には新しい恋人ができたというし、その二人に子供が出きれば教育係りを買って出てみようか。
そんな夢想をしている時に、それは起きた。
彼女の腕が光ったかと思うと、入れ墨のような紋様が浮いてきたのだ。
「へ?」
なんだこれ?
光はすぐに収まり、こてんとジュリエッタは首を傾げたがすぐに、何か呪われた証かもしれないと考え気分が高揚した。
アーバンベルグ国は、例にもれず恨みを買っている国だ。
王族も多かれ少なかれ恨みをかっている。
呪われ、穢れた身では後宮にいることはできないだろう。
そうジュリエッタは考えた。
邪魔物扱いされているのだ、これを報告すれば追い出されるのは確実である。
追い出されたあとは、国に戻って過去の賢者達が残した資料を漁り解呪方法を探すことができる。
そこまで考えて、ジュリエッタは侍女の控え室に向かうことを決めた。




