身代わり人形
その日、とある貴族の屋敷は騒がしかった。
まだ幼いが跡継ぎであるその家の長男が、呪いで倒れたのだ。
すぐに懇意にしている宮廷魔術師を呼びつけ見せたところ、この呪いは命に関わるものだとわかった。
呪いを解く方法は一つ。
誰かに移せば良い。それも血の繋がった身内でなければならない。
その話を聞いたとき、父親であり貴族であるその男は、以前遊びで手を付けた女のことを思い出した。
女は未婚のまま男の子供を身籠り、産んだ。
その後は適当に金を渡して、これまた適当な家に放り込んである。
あれから約十年。死んだという報告は無いので母子共に生きているはずだった。
正妻や愛人との子供は可愛いが、一時の遊びでしかない女の子供に愛着などあるわけはなく。面倒なことにならないよう、家と金を与えたに過ぎない。
逆に言えば、今まで生活を保護してやっていたのだ。
あの女とその子供は、その恩を返すべきである。
そう男は考えた。
代々男の家に仕える、屈強な男達に女が勝手に産んだ子供を連れてくるよう指示を出した。
連れてこられたのは、黒髪に黒い目の、賤しいどこにでもいる庶民の子供だ。
この子供に自分の血をわけたかと思うと虫酸が走った。
若かったとはいえ、遊びすぎた。そう後悔したのも今は良い思い出である。
こうして、思いもかけない所で役にたつこともあるのだから。
可愛い息子のため、男は躊躇いなくその子供を、長男と同じ自分の息子であるその子を犠牲にすることを選んだ。
嫌がる子供を宮廷魔術師の指示に従って、逃げないよう魔方陣の中心に置くと殴って動きを止めた所で、鎖で手足を縛り上げる。
その横には同じように別の魔方陣が描かれていて、苦しそうに悶えている長男が寝かされていた。
尚もバタバタと体を芋虫のように、動かして逃げようとする子供の腹を強く蹴った。
骨が折れる音と同時に、今度こそ子供は動かなくなる。
「公爵様。死なれては、儀式になりません」
嗜める宮廷魔術師の魔術師の言葉に、公爵は慌てて今蹴ったばかりの子供の様子を確認した。
息はしている。
まだ生きている。
その事に、ホッと息を吐く。
「まだ息がある。今のうちに早くしろ!」
「では、魔方陣から出てください」
そうして、その儀式は始まった。
宮廷魔術師が呪文を唱えると同時に、二つの魔方陣が淡く光出す。
最初に変化があったのは長男の方だ。
長男の体から、黒い靄のようなものが出てきたのだ。
その靄は呪いが可視化したものであった。
その靄は、ゆっくりと空中を漂いながら新しい呪いの受け皿である、実の親に蹴られ骨を折った子供の方へ向かう。
そして、少年のところまでたどり着いた靄は子供の中に吸い込まれていった。
続いて第二の変化が訪れた。
呪いの受け皿となった子供が光に包まれたかと思うと、絶叫を上げ始めたのだ。
血をはきそうなほどの叫びと共に、子供の体が明滅しやがておさまると、その変化が訪れる。
髪が雪のような白に、見開いた瞳は血のような紅に染まっていった。
やがて、全てが終わると子供は先程までの絶叫が嘘のように口を閉ざし、瞳も閉じたまま魔方陣の上に転がっていた。
男達には見えていないが、子供の服の下、そうちょうど心臓の位置にある場所には不可思議な紋様が浮かんでいた。
貴族の男ーー公爵は急いで長男の様子を確認する。
そこにはすやすやと、穏やかな寝息を立てる可愛い息子の姿があった。
息子が無事助かったことに安心すると同時に、男は身代わりにした子供を母親の下に捨ててこいと指示を出した。
戻ってきた可愛い息子の、変わり果てた姿に母親は嘆き悲しんだ。
全てはこの母が悪いのだ、と責め続けた。
しかし、嘆き悲しんで自責ばかりもしていられない。
息子は、まだ息があった。
生きてほしい。
それだけだった。
ただそれだけしか無かった。
持てる知識を全て使って、母は息子を看た。
数日後。公爵から手切れ金が届いたその日。
奇跡的に、子供は意識を取り戻し回復に向かい始めた。
手切れ金には手紙が添えてあり、道具として大いに役にたったのだから感謝しろ、そしてもう役立たずなのだからその金を持ってどこかに失せろという内容が書かれていた。
怒りに手を震わせ、母はその手紙を握り潰した。
「どれだけ、どれだけ人の人生を踏みにじって狂わせれば気がすむの?!」
怒りのままに握り潰した手紙を壁にぶつける。
その時だった。
やっと起き上がれるようになった子供は、ふらふらとした足取りで彼女の方にやってきた。
「おかあさん、どうしよう、ぼく、ぼく」
その不安そうな顔に、母は気づく。
自分の体に起きた最大の異変。その重要性にようやく実感がわいてきたのだろう。
呪いの副作用なのか、真っ黒だった子供の髪は雪のように白く、同じく黒だった瞳は血のような紅に、そして紛れもなく男だった体は、幼いながらも女のものに変わっていた。
あぁ、これからこの子は、今までとは全く違う人生を生きなければならなくなった。
ましてや白髪に紅い瞳は、この国では忌避の象徴だ。
何故なら、まず生まれない色だからである。
母は不安に体を震わせる子供を、安心させるように抱き締めた。
「大丈夫、大丈夫よ、おかあさんがついてる」
赤ん坊の頃そうしていたように、優しく子供の背中を撫でてやる。
そうしながら、自分達の人生を踏みにじった男から送られてきた金の入った袋を見た。
ここに居ても差別され、まともな生活など送れないだろう。
彼女の実家もとうになく、頼れる人もいない。
しかし、まだ生きているのだ。
だから、生き続けなければいけない。
「大丈夫、大丈夫だから」
母に頼れる人はいない。
しかし、この子供にとって頼れるのは母しかいない。
決意を込めて、壊れるんじゃないかと言うほど母は子供を強く強く抱き締めた。
***
一年後。
差別の無い国。
そんなものはどこにもない。
それを知っていた彼女は、かつて学んだ知識をもとに誰も踏みいらないその場所に移り住むことにした。
鬱蒼とした森。
その森は国と国の間、国境に存在していた。
森を切り開き、道を整備すれば隣国との交易もやり易くなるのだが、この森は太古からの神がすまう土地であり、誰も手が出せなかった。
手を出せば神の怒りを買うと知っていたからだ。
その神は龍の姿をしていた。
「やぁ、娘。朝から精が出るな」
龍神である神は一年前、突如やってきた親子を受け入れた。
嘘偽りなく事情を話した娘の母親、その母親の話を聞いて首を傾げたのは良い思い出である。
娘が呪われ、一命をとりとめた。
それはまぁいい。問題は呪われたと言うのに、娘の中に穢れが無かったことである。
呪われた人間は穢れるのだ。
しかし、その穢れがないのである。
その理由が、おそらく娘の胸へ刻まれていた紋様にあるのだろうとはわかったが、しかし、それが何のためのものなのか人の世界に疎い龍神にはわからなかった。
娘の母は何か気づいたようだったがわざわざ問うこともなかった。
穢れていたら、龍神はきっと親子がここに住むことを許可しなかったことだろう。
神々しい気配はそのままに、人へ姿を変え少女の前に現れた。
銀色の艶やかな髪から覗く一対の角。瞳は蛇のように鋭いがしかし慈愛が浮かんでいる。
豊満な胸が歩く度に揺れる。
「あ、おはようございます! 龍神さま!」
地面に膝をつき、深々と頭を下げてくる少女に、龍神たる彼女は苦笑する。
「そんな畏まらなくてもいい、と言っただろう。
まだ、違和感は消えないか?」
呪いの副作用で存在が書き換えられ少年から少女になったのだと、この子の母親は言っていた。
一年前はたしかに人間の雄の子供にしか見えなかった少女だが、たった一年で女らしさが出てきたようだ。
しかし当人はまだ違和感が消えないらしい。
「はい。でも、割りきりも大切かなって思ってます。
あんまり気にしすぎるとお母さんが悲しむから」
「そうか」
「それに、ボクはここでずっと暮らすことになります。
だから、男とか女とか関係無いかなって思うようにしてるんです」
この子供は己の容姿がどんなものか理解しているのだ。
龍神であり、絶対的な力を持つ彼女には理解出来ない人間の仲間意識。
白い髪と紅い瞳は、その仲間意識からすると処罰の対象になるらしい。
何故なら、他の人間にはそんな色を持った者は存在しないからだ、というのが人間たちの、この親子がいた縄張りでの取り決めだったらしい。
他と違うから群れから追い出される。
実にくだらない。
他と違うことが当たり前だった龍神からすれば理解に苦しむ。
「そうか。しかし、娘よお前は美しい。
世が世なら傾国の美姫にもなれただろうに」
「あはは、ありがとうございます。
でも呪われたボクと結婚したがる人なんていませんよ」
朝日が少女の髪を照らす。
白だったそれがまるで太陽のように輝いた。