ノスタルジア
ふと、昔を懐かしがったり、幼い時によく遊んだおもちゃなんかを見て胸が締め付けられるように懐かしくなったり、ほっこりとした気分になることをノスタルジアというそうですね。
このノスタルジアという感情の動きはwikiによると19世紀には、精神的な病気の一つとして研究されていたそうですよ。
時代が下るにつれて、普通の気分の一つになったそうですが、この気分は特に心が弱くなった時に起こりやすいということで退行の一種と捉えられたのかもしれません。
でも、ときおり不思議なことにありもしなかったことがすごく懐かしくて切なくて胸が苦しくなるようなことってありませんか?
自分の例なんですが、夏の晴れた日に人気のない住宅街の白く乾燥した歩道を歩く日傘を差した母親と白いワンピースを着た娘なんかを見るととてもノスタルジアにとらわれてしまいます。残念ながら、姉妹はいませんし、母親は下町の小さなお店を父と営んでいて、働き者で日傘を差すような人ではなかったので、このようなシチュエーションはまったく心当たりがないのです。
あと、冬の鉛色の重苦しい空、白い雪が舞い落ちる中、ギリシア・ローマの野外演劇場風の石造りの半円型の広場の奥には、スターリン様式の二段重ねのケーキみたいな丸いビルが建っている。
これなんかはまったく見たこともない風景です。スターリン様式ってのは、旧ソビエトのみんな大好きスターリンが社会主義の勝利を示すためにニューヨークの摩天楼をモデル/対抗にした(ツッコミどころが多いのは無視してください。考えたのはあのヒゲなのですから)ド派手なビルなのですが、日本にこのような建築物はありません。言葉を調べるために様々なサイトで調べましたが、私の心の中の風景に一番近いのはアエロフロートビルの建築予定図っぽいイラストでした。
ここいら辺になるとデジャブと呼んだ方がよいのかもしれませんね。既視感は視覚的な記憶の混同ではないかと言われるようですが、はっきりとした機序は脳科学的にもわかっていません。というより、指の関節のポキポキと一緒であえて研究する人が少ないのかもしれません。
人それぞれ、ノスタルジアを感じるようなものやシチュエーションは異なりますが、共通しているのはなんらかのあまり嫌ではない感情を巻き起こすということでしょうか?
例えば、日本の首都は東京である。という記憶は意味記憶に分類されるものでありますが、特に強い感情が生まれるようなものではないと思います。ふーんといった感じではないでしょうか?
ですが、例えば15歳の夏休みの午後、夕立をやり過ごそうと駆け入った軒先で今まで話したことがなかった異性のクラスメートと二人きり、言葉も交わすことなく、肩が触れそうな距離で並んで、ただ空を見上げていたというエピソード記憶をふとした拍子に想起したら、胸の奥に何やらただならぬ落ち着かない感情が荒れ狂うかもしれません。
こんな感じでエピソードというものは強くて、意味記憶は使わないと忘却しやすいのに対して、エピソード記憶は一度でなかなか忘れることができないと記憶の研究の中で言われています。
それでも、幾つものエピソードが記憶の海の底に使われることもなく静かに堆積するうちに地殻の変動のように折れ曲がって、入れ替わったり、混同してしまうことがあるのでしょう。
なかった過去を懐かしむ気持ちというのは、このような淡い記憶が感情とこすれて起きるかすかな響きなのかもしれませんね。