第二十三話:最初のお仕事
皆様、大変ご無沙汰しております。
この度、長期間において放置させていた本作にブックマークおよび評価ポイントを頂きました。
誠にありがとうございました。感謝に堪えません。
その感謝に答える意味でも、新たに続けさせて頂ければと思い至りました。
不定期更新で遅々として進みませんが、これからも拙作をお楽しみ頂ければ幸甚です。
※※ 23 ※※
「えぇぇぇぇッ! この艦隊には一隻も艦がない!?」
「そう。わが艦隊には一隻も艦艇を保有していない」
涼やかな夏の午後。
提督は風のよく通る縁側で新聞紙を広げ、爪を切りながら、いともあっさりと答えた。
あたしが新しい職場に引っ越して来てから今日で丸二日。
自分の私物もようやく整理し終え、何時でも外周方面軍司令部より敵補給船団殲滅作戦の始動命令が出ても良いように艦隊の編成資料ならびに全将兵のリストを作成しようと情報ファイルを探しまくったのだけれど、なぜか見つからない。不審に思って提督に伺った結果、帰ってきた答えがこれだ。
艦がないのなら情報そのものもあろうはずがない。だったら今までどうやって任務を遂行してきたの? どんな任務に就いてきたっていうの? そもそも一番の疑問だった第九独立分遣艦隊の存在って何!?
他にも詰問したい事柄が山ほどあるのに、脳みそがしっちゃか、めっちゃか状態で言葉がうまく出てこない。
そんなあたしの錯乱さを得心したように、提督は無精ひげの顎を撫でながら、とろ~んとしたタレ眼を細めた。
「第九独立分遣艦隊……といっても、誰も知らない無名の艦隊。まあ、知らないはずさ。一年前に設立されて以来、一度も任務に就いたことが無いんだからねぇー。だから艦隊全人員といえば、ここにいる司令部付の五人だけなんだな」
ははは、と提督は頭を掻きながら無邪気に笑い、人ごとのように語った。
まあ、だいたい予想はついていたわ。宇宙艦隊総司令本部で彷徨い歩いたときからね。
「あのう……」
「えっと、何でしょう」
提督が訝しげにあたしの顔を見つめている。
「もしかして、怒ってる? サユリ君、急に難しい顔をしちゃうもんだからさ」
あたしは諦念に近い嘆息を零して、
「いいえ、怒ってません」
苦い微笑みで返した。すると、けろりとした顔で大きく口を開けて笑い出す。
「そっかぁー。いやー、よかった。それはそうと、先ほどクルスヤマ閣下からこんなものが届いてたことに気付いてねぇ」
提督は端末を起こして、あたしに見せた。
「これは外周方面軍司令部からの命令書じゃないですか。
えーと……、
《外周方面軍司令部発・第九独立分遣艦隊司令部宛。
来る七月二十三日を以て第九独立分遣艦隊はシリウス星系方面に展開中の敵補給部隊を攻撃せよ。
ついては旧第三艦隊と新規兵力を合わせた艦艇数二千八百二十二隻、人員三十九万四千七百三十五人を艦隊司令部クサカ少将の指揮下に置くものとする。
七月十五日までに艦隊編成を完成させ、二十日を以て出撃せよ。
それに先立ち、七月二日、一一三〇時に艦艇情報と人員情報を引き渡すため、宇宙艦隊総司令部まで出頭を命じる。
追伸――なお、去る六月二十九日のように出頭命令を忘れることがないように厳命する。》
……なるほど、よく分かりました。しかし、追伸の意味はどういうことなんです?」
あたしは大きな栗色の瞳を眇めて真意を訊くと、提督はバツの悪そうに頭を掻いた。
「実はその日、後方作戦本部に出頭しなければならなかったんだけど……ほら、うちって仕事全然なかったじゃん? だから端末を開かなかったんだよね。どうせ見たって命令書来ないし。
でも、それが今まで第九独立分遣艦隊に配属される将兵って曰くつきばかりだったのが、クルスヤマ閣下お声掛かりのサユリ君が来るじゃないか。これは絶対何かあるなァーっと思って久々に端末開くと御覧の通り出撃命令書さ。僕って冴えてると思わない? あ、でも君も出頭した後方作戦本部の件については過ぎちゃってるから意味ないね、ははは」
あたしは開いた口が塞がらなかった。どうしてここまで無責任になれるのだろう。しかも悪びれる様子はさらさら見えない。
「提督ッ! はははじゃありませんッ。軍の規約では、組織の最高責任者が毎日端末に目を通さなければならないことを義務付けているはずですッ!
そればかりは、忘れるだなんて前代未聞です。命令不服罪で軍法会議に掛けられても文句言えませんよッ」
「その点については大丈夫さ。クルスヤマ閣下とは古い友人だからね」
あっけらかんと言う提督。
「そういう問題ではありませんッ。あたしはご自身の立場を認識して下さい、と申し上げてるんです」
最初に会った時、頼りなさそうな第一印象だったけど、全くそのまんまじゃない。ということはつまり、副官たるあたしがしっかりしないとダメだということね。
そうでないと、作戦はおろか、みんな犬死で終わってしまうわ。
「まあ、そんなに興奮しないで。これは僕の問題なんだからサユリ君が熱くなることはないんだよ。もっと肩の力を抜いて気楽にいこう」
提督は無邪気な顔で笑った。反してあたしは憤慨も頂点に達する。
「提督ッ! これはあなただけの問題ではありませんッ。今までならば、艦隊とは名ばかりで艦もなし、人員もたった五名。しかも兵なく士官のみ。これならば、あなたの問題と笑って済ませます。
でも、これからは違う。あなたは約四十万人もの命を背負わなくてはならない立場にあるのです。もう少し、いえ大いにご自分の責任について考えて頂かなければ困りますッ」
ゴホンッ、と咳を一つ吐いて、言葉を続ける。
「よって、あたしが今後一切の艦隊業務情報と提督のスケジュールを管理させて頂きます」
「えぇ~、何か子供みたいで嫌だなァ」
不平を鳴らす提督を、あたしはギロリッと睨んだ。途端に空気が抜けた風船のように提督が萎んでゆく。
「では早速、七月二日の出頭命令ですが……」
あたしは予定報告をしながら横目でカレンダーに視線を向ける。と思わずその衝撃に我が目を疑った。今日がその七月二日なのだ。気付かなかったとは言え、完全にあたしの不覚だわ。
蹌踉ける身体を支えつつ、提督のデスク端末を操作する。宇宙軍が主に使用する電子命令書専用のアプリケーション・ファイルを開くと、命令書の発行日は一昨日であることが判明した。
どうやら、提督は本気でサボっていたみたいね。次に同じことをしたら軍法会議どころか、即刻、譴責処分で間違いない。いや、絶対に艦隊司令官職の更迭よ。
「提督ッ! 今何時ですか?」
「え、えーと……九時四十三分かな」
わけが分からないと言った様子でのんびりと答えた。
「これからすぐ行けば間に合うかも……。提督ッ」
「あ、はいッ」
あたしに呼ばれた提督は、反射的に直立不動で萎縮してしまった。どうやら先ほどから「提督ッ」と語気強く連呼したばっかりに、パブロフの犬宜しく提督の脳裏に恐怖を刷り込んでしまったようだ。
これじゃ、どっちが上官で部下か分からないじゃない。しっかりしてほしいわ。
「今からすぐに宇宙艦隊総司令本部に出頭します。急いで支度をして下さい」
あたふたと宇宙軍の制服を着る提督の腕を引っ張り、あたしはペコペコのベニヤ板廊下を走る。途中、未だパジャマのままで欠伸をしながら便所から出て来たルイちゃんとぶつかりそうになった。
「おっと。朝からどうしたの、サユリちゃん」
後ろから訊こえるルイちゃんの声に、あたしは振り向きもせず、口早に答える。
「これから宇宙艦隊総司令本部まで行ってくるわ。お留守番宜しくッ」
そのまま、あたしと提督は玄関から飛び出した。一人残されたルイちゃんはもう一回大きな欠伸をして「難儀ねェ……」と呟きながら自分の部屋に戻って行った。




