一
「あのさ、なんか、つまんないの?」
俺は、俺の一つ前の席に座っていた可愛い少年に、思わず声を掛けてしまった。
明るいさらさらの髪。長い睫毛に縁取られたつぶらな瞳。柔らかそうな頬に桃色の唇。
これで髪が長くてスカートでも履いていようものなら女の子と間違えてしまいそうな、可愛い少年だ。少年は驚いたように振り返ると、つぶらな瞳をこちらに向けて、まじまじと俺の顔を覗き込んでいる。
「……どうして、わかったの」
え。
そう返すってことは、「つまんない」が図星だったという事か。
「いやなんとなくだけど……君は顔は笑ってるんだけど、ホントに笑ってないなぁ、って思ったから」
俺が答えになっているようないないような台詞を返すと、可愛い少年は更に驚いたようにまじまじと俺の顔を覗き込んできた。
俺は今更だが、突然変な事を言っちまったなぁ……と、やや申し訳ない気持ちになってくる。
一学期初日。今日から新しいクラスになった。昇降口に貼り出された紙で組と名前を確認し、俺は意気揚々と五年一組の教室をくぐった。
何人か、前のクラスで一緒だった奴らと挨拶を交わし。黒板に書かれていた出席番号と座席表で自分の机の位置を確認する。一番廊下側の前から二番目、らしい。
俺は今から向かうその席の方へ視線を向けた。
そして俺の一つ前の席……つまり廊下側の一番前に、可愛い少年が座っているのを発見し、思わず見惚れてしまった。女の子と間違えそうな可愛い顔をしてるけど、短い髪と服装から、男の子であることがわかる。
少年は愛らしい柔らかな笑顔を浮かべながら、友人らしい男子と談笑していた。
…………?
その時感じた違和感の正体が、何なのか。
ぶっちゃけ俺にもはっきりとはわからんのだ。
ただ、少年の柔らかな笑顔がなんだか作り物めいているな、と感じてしまって……なんと言えば良いのだろう。完璧なお人形さんみたい、というのか。
だから俺は、チャイムが鳴ったのをきっかけに、自分の机に向かい、荷物を下ろして椅子に座り、ふぅ……と息を吐いた後、思わずその少年に声を掛けてしまったのだ。
結果、「初対面でありながら突然変な事を言い出した奴」になってしまったような、やっちまった感が今、ハンパ無い。
可愛い少年は、しばし俺の顔を食い入るように見つめていたが、ようやく表情を和らげて、口を開いた。
「僕は、ひろみ。綾部 洋海だよ。君は名前、何て言うの」
うわっ。名前教えてくれた! やべっ……嬉しいぞ。
だって変な事を言っちまった俺に、気を悪くする事無く、親しみを持ってくれた……という事だろう?
俺はニカッと満面の笑みを浮かべて、ホイホイと自分の名前を口にする。
「俺は、ほくと。五十嵐 北斗だ。よろしくな、洋海!」
洋海はポカン、と、大変面食らった顔をした。
ハハハ……そうだろう、そうだろう。
初めて俺としゃべる奴は、この個性的な口調に、皆そろってこのような反応をするんだよな。俺はもう、こういう反応は慣れっこだけどな!
「洋海、俺の話し方はちょっと変わっているがな。まあ、細かい事は気にすんな。これからクラスメートとして、仲良くやっていくんだからなっ。慣れろ慣れろ」
俺がそう言って洋海の肩をポンポンと叩いてみせると、洋海は思わず、といったように吹き出した。顔を真っ赤にして笑いを堪えながら、言葉を紡ぐ。
「仲良くやっていくって……なんで決定事項……? 俺様? 俺様なの……? くくくっ、北斗、面白すぎ」
洋海のその笑顔を見て、俺はパァッと、瞳が輝いた。
洋海が笑った! 作り物じゃない、本物の笑顔だ!
俺は嬉しくなって、口を開いた。
「ホントに笑ったな、洋海」
洋海は再び驚いたらしく、何とも言えない顔をして、俺を見た。
「俺、ホントに笑った洋海の顔、好き」
そう言ってニカッと笑った俺を見て、洋海は一瞬、泣きそうな顔をした。しかし俺があれ? と思った時にはもう、笑顔に戻っていた。気のせいだったのかな?
「僕も……北斗の笑った顔、好きだな」
おう! なんだなんだ。両想いか! クラス替え初日から、素晴らしい友情が芽生えたなっ。良かった良かった。
俺は改めてへへへっと笑顔を浮かべながら、洋海に向かって右手を差し出した。
「これからよろしくな、洋海」
「よろしくね、北斗」
洋海は少し照れたように微笑みながら、俺の右手を握り返した。柔らかく、温かい、小さな手だった。
***
「北斗、起きて。ほー、くー、とー」
んあ。
ゆさゆさと肩を揺り動かされる感覚に、俺は目を開けた。
目の前には中学校の制服である爽やかな白シャツに身を包んだ、綺麗な顔の青年が。
大好きな幼馴染の姿を認識して、俺はヘニャリ、と微笑んだ。
「洋海おはよ〜……」
俺は突っ伏していた机から身を起こすと腕を頭上に上げて伸びをした。
うーん、いい感じにバキバキだな。
そのまま首の後ろを手で揉み揉みとほぐしてしまう。
そんな俺を見ながら洋海は呆れたように口を開いた。
「おはよ〜、ていうか、放課後だけどね?」
「やべっ。俺もしかしてホームルーム中ずっと寝ちゃってた?」
「正確に言うと六時間目の途中からずっと寝てるよ。まあ、六時間目の理科の授業なんて、北斗以外にも何人か沈没してる奴いたし、先生も大目に見てくれてたけど。何? なんか夢でもみてたの?」
「うん。みてた」
ヘニャリと微笑んだままの俺を見て、洋海も柔らかい微笑みを浮かべた。
「何。どんな夢?」
「んー? 俺と洋海が初めて会った時の夢、かな」
俺は先程夢の中でみた洋海の笑顔を思い浮かべてニカッと破顔した。洋海はそんな俺の様子を見て心なしか、頬を赤らめる。
「ふーん……アナタ四年も前の事なんて、よく覚えてマスネ。それよりも、ほら。帰り仕度しなって。先に帰っちゃうよ?」
「へーい」
俺はもう一度うーん、と伸びをして、机の横のフックに掛かっていた鞄をヨイショと取り上げ、教科書やらノートやらを詰め始めた。
中学三年生。既に部活は引退している俺たちは、同じクラスだし帰る方向も同じなので、下校を共にするのが常であった。
「綾部先輩、さようなら〜」
「さよならー」
昇降口を出たところで、二年生らしい女の子達三人組が、洋海に声を掛けてきた。“憧れの先輩”、と顔に書いてある。ハハハ、可愛い〜。
「洋海もてるじゃん。知ってる子達?」
「知らない。興味無い」
女の子達の姿が見えなくなると同時に、振りまいていた愛想笑いを消し、しれっと答えた。
……洋海は、実はかなり、ドライである。
彼の綺麗な容姿と柔和な雰囲気に騙された周りの人々は、「優しい友好的な人」というイメージを持つらしく、洋海は先程のように不特定多数の女子に割とよく声を掛けられる。普段は洋海もそれに対して柔らかな微笑み、プラス、優しい口調で応えているのだが。
その実体は、これだ。
基本的には、他人に興味とか、あまり無いらしい。
超合理的に物を考える男。それが綾部 洋海。
例えばバレンタインのチョコ、とかさ。不特定多数の女子が洋海に渡してくれたのを、ちゃんと一つ一つ「ありがとう」って笑顔で受け取っておいてさ。
帰宅後、それらのチョコを無表情で可燃ゴミの袋の中に黙々と突っ込んでたりするんだぜ!?
俺は中学一年生の冬、訪ねた洋海の家でその衝撃すぎる光景を目にしてしまい。恐る恐る「食べないの……?」などと尋ねてみたら。
「よく知らない人から貰った物とか素人の作った物とか恐くて食べれないでしょ。何入ってるかわかんないし。そもそも甘い物とかそんな好きでも無いし。こんな大量に食える訳無いし。受け取らなかったら角が立つから、気持ちだけ有難く受け取って、品物は火の力で浄化。これなら女の子達も、チョコも、報われるでしょ?」
洋海は柔らかく微笑みながらこう答えた。
……非常にドライだ。世の中の他の男子が聞いたら血の雨が降りそうな台詞ではあるが。まあ、毎年数十個貰ってくる洋海にとっては、仕方無い措置なのかもしれない……のか……な? ハハハ……。
でも俺は洋海のそういうドライなところも結構好きだぜ!
こういう、本性隠して周りに上手く溶け込む為に装う、みたいなの、何ていったっけかな。ちょうど今日、俺が眠りにつく直前に、理科の授業に出てきていたような……
そこまで考えて、俺はハッ、と気が付いた。
「そうだ、 ノート! 今日の六時間目の! 俺途中から寝ちゃってたから全然書いてない! 洋海、写させてっ」
「ハイハイ」
顔の前で手を合わせた俺に相槌を打ち、洋海は慣れたように、俺の家に向かって歩き出した。