仲直り
ライティーア妃はぼんやりと窓の外を眺めていた。
この部屋は、病に伏せがちな自分を退屈させまいと、イベント事が行われる中庭とテラスが良く見える場所にある。
国王の没後、伏せっていた彼女に息子たちが気を使ってくれた。
テラスでは今、婚姻の儀が行われているのだろう。
楽しそうな歓声がここまで響いてきていた。
なぜか薄桃色の花びらが景色の半分を覆うほどに舞っていて、その夢夢しさに目が釘付けになる。
「ネル……幸せになれたのね。
良かった…」
自然と言葉がこぼれ出た。
何が、「良かった」なのか。
…自分のした発言の最低さに、ガンガン痛む頭を抱えた。
どうやら自分は、昔と現実とがぐちゃぐちゃになっていて長く正気では無かったのだと…
そう、クラズ王子に告げられていた。
何でも、「惚れ薬」なるものの悪い影響が出ていたのだとか。
でもそんなのは関係無いでしょう?
私はきっと心の奥底で、本当に「国王様そっくりなグリド王子の方に幸せになって欲しい」「彼には妻を生涯愛しぬいて欲しい」と思っていたのだろうから…
甘い昔の夢に負けて、息子たちをこれでもかと傷付けてしまったのは他でもない自分。
心の弱さが原因なのだ。
正気で無かったから、などと…そんなの言い訳にもならない。
ネルは『いい子』だ。
自分の存在が周りに認められていないと知った時、現実から逃げるのではなく、その悪意を受け止めてなお努力した。
頑張り屋さん。
武術も、学問も、この国ではおそらくネルが一番だろう。
…そんな彼だからこそ、これからパートナーと歩む道は幸せなものであって欲しいと、改めて思った。
そこまでネルが頑張ったのは、彼自身を愛してくれる人が欲しかったからだもの。
カグァムちゃん、どうかネルを一番に愛してあげて…
…愛されたい事を理由に恋人に優しく接したとして、何が悪いというのだろう。
誰だって好きな相手には好かれたいに決まっている。
当たり前の事なのだ。
私はそれなのに、それをネルの『心』が悪いかのように表現して、あえて落ち込ませた。
なんて酷い人間なの…
…自分の性格の悪さを自覚して、気分が悪くなりゔっ、と吐き戻してしまった。
ぜぇぜぇ、と激しく息を吸う。
傷付けた側の癖に落ち込むなんて卑怯よ、と、また自己嫌悪した。
以前より呼吸がしやすいということはまた治療が成されたのだろう。
こんな人間をまだ生かしておいてくれるのか…
優しい息子たちを想って、…結局、泣いてしまった。
ぎゅっ、と目を閉じて膝を抱え込んむ。
その手には、目覚めたら枕元に置かれていた「愛の花」が刺繍されたハンカチが握りしめられていた。
ーーーコンコン、とドアがノックされる。
ビクリ!と肩を震わせながら、消えそうな声で「はい…」と返事をした。
この声が、聞こえなかったならいいのに。
出来れば誰にも会いたくないのにな…
そんな淡い希望を抱いていたのだが、扉はゆっくりと開かれる。
「ライティーア様…?」
現れたのはクラズ王子だ。
婚姻の儀が終わってすぐ、またこの部屋に駆けつけて来たのだった。
せめて実の息子で無かった事に、ライティーアはホッと息をついた。
クラズ王子は何やら気持ちを察したのか、苦笑している。
「…ライティーア様。
ネルとリィカちゃんは、無事に結ばれましたよ」
「本当…!?
……よ、良かった…」
「ええ。素晴らしい式でした」
ライティーア妃は目をうるうるさせながら、思わず頬を染める。
…ああ、ネルは私に恋路を邪魔されたけれど、負けずに幸せになれたのね。
カグァムちゃんはきっと貴方を大切に愛してくれるわ…
今だけは見られるまいと、涙を堪えてグッ、と肩に力を入れているライティーアの手を、クラズ王子がそっととる。
「正直に泣いた方が、ネルたちも喜んでくれると思いますよ?」
「………っ、そんなの、無理よ。
そんな資格なんて、無いもの。
散々ヒドい事言って、傷付けたんだから。
私からの祝福なんて厄みたいな物なのよ…」
クラズ王子は困ったように頬をぷにぷに掻いた。
脂肪があり「カリカリ」などという硬質な音はしない。
「もう、頑固だなぁ。
その発言、リィカちゃん捜索してる時のネルにそっくりですよ?
…親子ですね」
「う……
私なんかが母親だなんて、ネルもグリドももう嫌に思ってる筈……」
ライティーア妃は手強かった。
成る程、あの闇ハイテンション王子の親だけある。一度落ちるととことんネガティブだ。
いつもみたいな綺麗な笑顔が見たいのになぁ。
あなたが笑ってくれたなら、きっとそれだけで空気が温かくなるのに。
よし、説得頑張ろう。
彼女を励ますことはある意味、自分がネル達にしてあげられるお祝いになるだろう。
それくらい、彼らとてマザコンだ。
「皆、貴方の事がまだまだ好きなんですよー?
ほら、そのハンカチ」
「ハンカチ…?」
ライティーア妃は手に持った、さっきまでの涙で濡れたハンカチを見た。
クラズ王子に「なんだもう泣いてたんだ」みたいな目を向けられて、赤くなる。
恥ずかしそうにジト目を義息子に向けた。
おかしそうに笑われて、かなわなさそうだ、と脱力した。
真っ白なハンカチ。
四隅には、金糸と桃色の糸で、愛らしい小花が縫われていた。
「それ。ネルと兄上からの、幸せのおすそ分けなんだって」
「っ!」
「"愛の花"の刺繍がされているでしょう?
完璧に綺麗な方のがネルから。少し不恰好なのが兄上から。
ライティーア様はきっと自分を責めるだろうから、婚姻の場にはいらっしゃらないだろうし、せめて幸せだけでも贈りたいって。
昨日こっそり作ってたよ?
ライティーア様と仲直りしたいんだって」
「〜〜〜〜!!?」
「ほんと、よく出来た兄弟だなって僕も思いました。
あとこれは僕からです」
固まっているライティーア妃。
しかし、そのハンカチは今は大切そうに胸に抱かれている。
クラズ王子は満足そうに彼女を見る。乱れていた髪に手を伸ばすと、銀色のリボンでまとめた。
「持ってる物の中で一番上等な魔法リボンだから、無くさないで下さいね?
はい、どーぞ。うん、綺麗です」
「ーーーええっ!?
ちょっ…い、異性から贈られるリボンには『貴方が一番美しい』の意味があるの、知ってるでしょう!?
本来なら一生を共にする人に贈るためのものよ…?
貴方の将来のお嫁さんのために取っておかなくては、ダメよ…!」
ライティーア妃はあせったように小さく悲鳴を上げる。
リボンを解こうとするも、クラズ王子に阻まれてしまった。
「僕、これからずっと結婚できなさそうなので」
「どうして…」
「ライティーア様より綺麗な人を見たことが無いから。
どんな女性を見ても、もうドキドキしないんですよねー。
そんな状態でプロポーズなんてしたら相手に失礼でしょう?
だからリボン、差し上げます。
僕が一番綺麗だと思う貴方に」
「…そんな…」
ライティーアは唖然とクラズ王子を見上げる。
自分はもう相当いい歳の中年女性だ。
容姿にはコンプレックスだって沢山ある。
体はガリガリで細いし、シワは目立つし、とてもじゃないけど見た目が美しいなんてもう言えやしない筈。
なのに、一番綺麗?
この子は、絶世の美人なカグァムちゃんにすらときめかなかったっていうの…?
ライティーア妃が混乱している隙に、クラズ王子はいつもみたいににぱっと笑ってみせた。
…自分の本心に気付かせるつもりはさらさら無いのだ。
畳み掛けるように言葉を繋ぐ。
「僕からのは『親愛』の愛情ということで、よろしくお願いしますね!
………。
息子たちが貴方を好きな気持ちは伝わったでしょうか?
僕たちは貴方に落ち込んで欲しいんじゃないんです。
悪かった所は反省して、ちょこっと謝ってもらえたらそれだけでいい。
また楽しくお話しましょうよ?
今まで何度だって、息子たちは、貴方の優しい笑顔に救われてきたんですから。
これくらいで嫌いになったりしませんよ!」
「………。ううぅ…」
「兄上もネルもそう言ってましたよー?
ホラ、元気出して!
笑って笑ってーー!」
クラズ王子がにぱにぱっと笑って見せる。
あまりに全力で笑うのでイケメンなのに変顔状態になり、…ついにライティーア妃も小さくぷはっと吹き出してしまった。
自分が笑うことが好きなのは、昔にこうして貴方が美貌も顧みず笑わせてくれたからだ。
今度は自分が、落ち込んでるライティーア様を笑わせる番。
クラズ王子はそう思っていた。
ああやっぱり、王妃様の笑顔はキレイだなぁ。
息子はとても嬉しそうに、あはははーっと声をあげて笑う。
またにぱにぱっ。
…ぷはっ!
…2人で、お腹が痛くなるまでたくさん笑った。
クスクスと口元を抑えると、冷えていたライティーア妃の体はすっかり温かくなっている。
彼女の目尻には、さっきまでの悲しみとはまた違った意味の涙が浮かんでいた。
ーーーコンコン、と、控えめなノックの音がまた聞こえて来る。
ほら、とクラズ王子が視線で彼女を促す。
ライティーア妃は目をパチパチさせたあと、すうーーと深く深呼吸をして、キリッと表情を引き締めた。
覚悟はできたようだ。
…しかしさすがに、少し緊張している。
彼女は滲んでいた涙を、贈られたハンカチに吸わせた。
そして、心を落ち着けるために、愛おしげにそのハンカチを胸に抱く。
ノックの返事をする前に、大輪の花が咲き誇るような華やかな笑顔をクラズ王子だけに向けた。
頬は最近無かったくらいに血色が良く、淡い赤色に染まっている。
甘い美声に脳がしびれた。
「ーーー色々と気を遣ってくれてありがとう。大好きよ、クラズ」
「ーーーー…ッ!!?」
…心臓を撃ち抜かれた。
正直、これにはまいった。
…………。
「…はい!」
ライティーアが軽やかに返事をする。
恐る恐るといった感じで、息子2人が扉からぴょこんと頭だけを出した。
まるで草むらから様子を伺うウサギだ。
母の口からふふっ、と小さく笑いが漏れる。
笑い声にホッと安心したのか、ようやく息子たちはこちらに近づいて来た。
おおっと!
ネル王子はレイカとがっっちり恋人繋ぎしている!
ほぼゼロ距離でぴったりくっついていて、うっとおしいほど仲睦まじい。
その様子を見て今度こそ、ライティーア妃の口から楽しそうな笑い声が漏れた。
自然と祝福の言葉が出る。
「結婚おめでとう!!
ネルシェリアス、カグァムちゃん……!」
「!母上…!!」
「ありがとうございます、ライティーア様…!」
ネル王子とレイカが感動で涙ぐんだ。
相変わらずちょろい。
そしてグリド王子は挙式で手紙を読まれたお父さんよろしく号泣していた。
…ライティーア妃は息子たちに、しっかりと深く頭を下げる。
「…あなた達に酷いこと言って、ごめんなさい。
ネルシェリアス、グリドルウェス。
私が言った言葉は、薬のせいで増幅されてもいたのだろうけど、おそらく全部…醜い本心だったわ」
「………」
「こんな母で、ごめんね…。
…でも、もし許してもらえるなら、今度こそきちんと"今の"貴方たちと向き合いたいと思っています。
良い母になるって、誓うわ。
…えっと、もし仲直りさせてもらえたなら……その、嬉しいです…」
ネル王子とグリド王子は顔を見合わせた。
こちらからお願いしようと思っていた事を、全て母が言ってくれていた。
…そんなの、返事は決まっている!
母の胸元に大切そうに抱かれたハンカチを見て、嬉しそうに頬を染めて笑った。
「「母上、大好きです」」
「!」
「また皆で仲良くお茶会でもしましょう。
あなたはずっと良い母でしたよ?
今回、貴方はちょっと思いつめてしまっただけなのです」
「そうですよ。
確かに言われた言葉には落ち込みましたが…それも私のメンタルが弱かったからなので、もう気にしないで下さい。
謝ってもらえたら十分です。
お茶会の時はリィカも一緒に、家族で楽しみましょうね!母上」
「この嫁バカ」
「家族を大切にしていると言って下さい」
「も、もうネル!
…ライティーア様。
私も、またライティーア様と一緒に色々なことをお話したいです。
これからは娘として、仲良くしてもらえたら…とても嬉しいです」
…皆が、我も我もと、ライティーア妃に笑いかけていた。
輝く笑顔を正面から見つめた彼女は、顔を真っ赤にしてもう、うるうると目を潤ませる。
こんなの、我慢できない…!
「う、うわあああああッ……!!
ぅ、ひっく……!
私も家族皆の事が大好きだよぉ、ひくっ…!
げほごほっ」
しまった身体の調子が!
ライティーア妃はくらりとベッドに倒れこんでしまった。
「だ、誰かユーク連行してきてーー!
早くぅーー!」
「お任せあれー!」ミッチェラァー
「…鞭きつい!締め付けすぎ!
誰だ王妃様に大声出させたの、興奮させちゃダメって言っただろ!
てか俺も相当な病み上がりで……とりあえず鞭解いてぐえっ」
「ち、治療ーー!
優先順位、ユキさんか、ライティーア様か…!?」
「ライティーア様で」
「クラズ、お前…鬼だな…」
レイカがライティーア妃を治療し、ミッチェラがユキを治療し、ユキがライティーア妃を再度治療してようやくこの場は丸く収まった。
呼吸が楽になったライティーア妃が今度はさめざめと大人しめに泣き、何度も「ありがとう」「ごめんなさい」「おめでとう」を繰り返す。
自分も幸せで楽しそうな空気にのっかろうと女神が乱入してきて、また場が激しく乱れた。
しかし楽しそうです。
息子と母の絆は、以前よりも更に深まったようだった。
その日からはライティーア妃は、昔を惜しんで涙する事はなく、前向きに未来を見つめて生きていけたようだ。
優しい家族たちと共に。
いつか、彼女が国王様に再会する時。
何よりも息子たちの事を、愛おしそうに語るのだろう。
読んでくださってありがとうございました!
王妃様についてはご意見別れる所かと思いますが、さすがに言葉責めだけだったので、このくらいでいいのかなっと私は思いました。




