愛と美の女神アラネシェラ
ヴィレア王宮を中心に、王都中にひらひらと薄桃色の花びらが空から降り注いでいる。
その夢夢しい光景に、さっきまで騒いでいた人々も惚けたように見入っていた。
遠く、王宮の隅から婚姻の儀を見ていたザルツェン国王は、顔にかかった花びらをうっとおしそうに手で払う。
自慢の撫でつけた髪も、花びらで真っ白ではないか。忌々しい。
王宮のテラスの片隅に、黒紫の髪の元息子の姿を見つけると、ニヤリといやらしく口元を歪める。
…ヴィレアに寝返ったのか?
全く、使えない異世界人だ!
あのカグァム・リィカのように、ザルツェン連合王国にとって益になる者だったら良かったものを。
有益だったのは最初だけだったな。
まあそれでも、「薬」を生み出せたのはあいつのおかげだからそこだけは評価してやろう。
すぐ、楽にしてやるよ。
甘っちょろいニホン人のお前を、何の対策もなくヴィレアに送り込むわけないだろう?
裏切りも視野に入れて準備をしてあったのだ。それこそ、ラザリオンを器に使うと決めた時からな。
お前のような優秀な奴をヴィレアに盗られるわけにはいかない。
じゃあな。
ーーー哀れな異世界人!
ザルツェン国王が低く不気味な声で、口の中で呪文を唱える。
その呪は風に乗ってユークィトの心臓まで届き…
皆が幸せに浸っている中。
黒紫の髪の彼だけは、苦しそうに胸を押さえて崩れ落ちてしまった。
****************
どーも、雪人です。
今、左胸あたりがめっちゃ痛いです。
激痛で死にそう。てか、死ぬわコレ。
ザルツェン何か仕掛けてやがったか、可能性に気付けなかった自分が悔しい!
どうやら心臓に魔道具を埋め込まれてて、それが内側から身体をぐちゃぐちゃにしてるらしい。
こんな事まで分かるなんて、ラザロの加護マジぱねぇ。
でもこんなことになる前に忠告してくれよ、神様仕事しろ。
さっきまで幸せで泣きまくってた王族サンたちが、慌ててこっちに走り寄ってきた。
雰囲気壊しちゃって悪いねー…?
レイカさんとネルも泣きすぎで、お化粧した顔ボロボロになってる。レイズは力を加減しろ、背中叩くな。
皆が次々に治療魔法を使ってくれるんだけど、さすがに効果が薄い。
異物が身体の中を荒らしてまわってる状態だから、治すのが難しいんだと思う。
それこそ、もう奇跡でも起きなきゃ無理そうかな。
ひらひら降ってくる桜みたいな花びらが、まるで事故で死んだ時の雪みたいに見えていた。
…懐かしいな、また俺は死ぬのか。
一度覚悟を決めてた事もあって、死ぬのは不思議と怖く感じなかった。
あの時は身体がひたすら寒かったけれど、今は…なんか、心のあたりが温かい。
心臓じゃなくて心。
やだな、これ言うの恥ずかしーよ!
俺は、悪事に手を貸してたくさんの人を傷付けた罪人だから。死に際に自分のために泣いてもらえるなんて、思ってなかった。
でも実際は泣きまくられました。
…地味に嬉しいです、はい。
…ヴィレアの人たちってやっぱり甘いんだね。
俺の起こした誘拐事件で、ずいぶん痛い目みた筈なんだけど?
でもこの甘さが心地よくて、自分も根っこの部分は甘いんだよなーって苦笑する。
今だけは、この甘さに浸りきってても許されるのかなー…
レイカさん達、せっかく今の立場にまで救い上げてくれたのにね。
こんなにすぐ死んじゃってごめんなさい。
えっとねー、あと助けようとしてくれて、……ありがとう。
レイズをよろしくお願いします。
痛かった身体からスッと力が抜けていって、自然に瞼が降りてくる。
穏やかな気持ちで床に横たわった。
悲鳴がだんだん遠くに聞こえるようになってきて、耳も完全に壊れてしまったようだ。
それなのに、クスクスッと美しいソプラノの笑い声が、確かに耳元で響いてきた。
熱を奪われかけていた身体が、カッと内側から熱くなる…ーーー!
****************
王宮はおおきなざわめきに包まれていた。
黒紫の髪の影が倒れたのがつい先ほど。
苦しそうに呻いて動かなくなったあと、彼のすぐそばに、まばゆい光が降り注いだのだ。
それはある者にとっては背の高い細身の女性に、ある者にとっては小柄で丸みのある女性へと、見える姿を変えていく。
ただ一つ言えるのは、見事な混じり気のない黒髪の人物が現れたということ。
クスクスッ!と高いソプラノの声で楽しそうに笑って、
ーーー『愛と美の女神アラネシェラ』は、現実にその姿を現した。
真っ赤な薄手のドレスをまとった女神は、しゃなりしゃなりと小さな歩幅でユキへと近づく。
誰も、指先ひとつ動かすことができない。
あまりの美しさに硬直しているのだ。
ネル王子は女神を見て「リィカ…?」と呟く。
レイカはレイカで「すらっとしたモデルボディに整ったお顔、女神様って凄く綺麗…!」なんて思っていた。
女神はしゃがむと、ユキの心臓のあたりをじっと見つめる。
手をスッと横切らせると、指先には、禍々しい尖った形状の魔道具が壊れた状態で取りだされていた。
ぽいっとそれを投げ捨てると、ユキの頬にちゅっとキスをする。
血の気の失せていた顔にみるみる赤みが戻っていき、その瞼がうっすら開かれた!
クスクスッ!と可憐に笑う。
「ーーー久しぶりね?ラザロ」
女神はユキをラザロと呼んだ。
どうやら、意識が入れ替わっているらしい。
「…相変わらず理不尽な力だな。
これだから、古い神はキライなんだ」
「そう言わないでよー?
貴方の大切な器さんの命、助けてあげたんだから」
「そこだけは、ありがと…」
「どういたしまして!
お礼はまた後でちょうだいねー?」
「げっ」
ラザロ人格のユキが顔を僅かに引きつらせる。
おそらく本人達にしか分からない会話をかわした神様たち。
女神アラネシェラはくるりとレイカ達に向き直り、ユキは、また瞳を閉じてしまった。
すぅ、と穏やかな呼吸が聞こえているからもう大丈夫なのだろう。
女神に見つめられたレイカは硬直していた。
ネ、ネル並みの美人さんだぁー!?
眼福なんだけど、綺麗すぎて神聖で、なんだか怖いくらい…
頑張って微笑みを真正面から見てみると、人間味のある優しい表情をしていて、ようやくホッと息をついた。
ネル王子は真っ青な顔をしている。
愛しのレイカそっくりな女神が、他の男に口付けたことに感情が追いつかない。
緊急時だったから仕方ないのは分かっているし、ユークが助かって嬉しいのは本当なのだが…でも、とか思っちゃう。
人間の小ささに自分で落ち込んでいた。
2者2様の様子に、女神アラネシェラはまたクスクスッと笑う。
満面の笑顔に、それを見た者たち全員が顔を真っ赤に染めざるを得ない。
あまりに"その者にとって"美しい容姿なのだ。
アラネシェラは、レイカとネル王子の、結び印の刻まれた手を取った。
「私からも結びのお祝いしてあげるね!」
「「ええっ!?」」
女神が、会場中に響くソプラノの声で高らかに歌う。
「『ゆーびきーりげーんまーん、うーそついたらはーりせんぼん、のーーます!
ゆびきった!』」
「「「こわっ!?」」」」
「えええええーーッ!?」
「えっとね、色々と聞きたいことはあると思うの!
でも、今はとにかくお祝いしなきゃぁ!
後で教えてあげるねー?
だってこんなに素敵な日なんだもの、貴方たちの幸せな感情が私にも流れ込んできてて、とっっても気持ちがいいわ!!
クスクスッ」
アラネシェラはふわりと空中に浮き上がり、赤いドレスをひらめかせながら、ゆっくりした動きで踊った。
ドレスの裾が翻る度に、薄桃色の花びらがそれこそ雪のようにブワッと舞う。
地面に落ちる直前にキラリと光って消えるので、ヴィレア王都中が輝いていた。
「『おーーめでとおおぉーーーっ!!!』」
女神アラネシェラは楽しそうに楽しそうに唄う。
拡張された声が国中に響く。
幸せな恋は彼女に力をくれるのだ。
それでなくても、恋の話は大好きなのだけれど!
きっと"サクラ"の影響なのね。
生まれた時の事を思い出して、とても温かな気持ちでまたクスクスッと笑った。
****************
「…なんなのだ……なんなのだ、アレはああぁーーーッ!!?」
中庭の片隅では、ザルツェン国王が吠えていた。
べー!とこちらを見て舌を出す女神アラネシェラの姿が一瞬見えて、硬直する。
神に目をつけられた…?
なんて厄介な!
ユークィトも生き返らされてしまったし、全く、ヴィレア王国など碌でもない!不愉快だ!
「………帰るぞッッ!!」
従者に叫ぶように告げると、あわあわと真っ青な顔で告げられる。
「そ、それが国王陛下!
まさに今、国から通信が入りまして。
その…栽培していたサドロククロカエデの木が、片っ端から枯れ出しているとッ」
「はあああああああーーーッッ!?」
目をひん剥いて従者に詰め寄る国王。
迫力に、従者が思わず一歩引く。
「ヒッ!!
そ、それと、何故か、他の幹部の者たちが魔法陣の消滅を知ったらしくて、勝手に新しく国王を決めようとしておるそうですぅぅ!!」
「な、なんだとーーッ!?」
「陛下ぁーーー!!」
「今度は何だ!?」
「亜人どもがムリヤリ国境を越えて逃げ出しましたッ!!
『従えの首輪』も壊されていて、影までもが絶賛逃亡中ですぅーーー!!」
……………。
バタン!!
「「「あああッ!!?」」」
まんまる卵型のザルツェン国王陛下はゴロン!と勢いよく後ろに倒れた。
あまりの惨状に現実逃避したくてしょうがないのか、白目を剥いて泡を吹いている。
顔は死人のような土気色だ。
手足は力なく放り出されていた。
部下たちも正直気絶してしまいたかった。
でも、万が一この国王が持ち直したらまた甘い蜜を吸えるのだしと、邪な気力のみで国王を担ぎ上げ、馬車ですたこらと逃げ帰る。
…………。
結論を言えば、彼が再びザルツェン連合王国の国王になることはなかった。
悪政を敷いた者として裁きにかけられ、あまりの罪の多さに処刑されたのだ。
新しいザルツェン連合王国はこの独裁政治を教訓として、他の幹部全てが平等な権力を持つ、ティラーシュでもまれな国となる。
国民、幹部たち共にハプゼン国王に苦しめられていたので、団結して、住みよい国を作っていった。
貧しい国ザルツェンには、他国からも善意の援助がなされた。
ヴィレア王国からは黒紫の髪の従者が頻繁に訪れ、随分と助けられたようだ。
彼は驚くほどに惜しみなく、国を豊かにする知識を与えてくれていった。
"ザルツェン連合王国"は変わっていく。
ティラーシュ世界の平和は長く続いていった。
神々は、その様子をあたたかな目で見守っていた。
読んで下さってありがとうございました!
スッキリ!




