天秤は愛にかたむく
「うううううううぅ……」
「ご、ごめんね。
主バカだから拗らせてること全部言っちゃって……ああもう、収集つかないじゃん!バカバカ!
何から説明したら良いんだか。
…ねぇレイカさん、ゆっくり話すからあたしの話も聞いてくれる?」
「が、頑張ります……」
「さっすが!聖女さまーー!」
レイズがにこやかに言うと、レイカは複雑そうな顔になった。
未だに自分の容姿が美しいなんてとても思えないし、心も大して清くないと思う。
ネル王子と一緒にいたいとダダを捏ねているのも、自分が優しい彼を諦めきれない欲深い人間だからだ。
聖女なんて綺麗な言葉は、不相応。
気遣うようにニコニコ笑っているレイズを見ると、チクチクと心が痛む。
「えっとね?
まず「与えの魔法陣」の説明からするね。主が召喚されたやつ。
これは例えで言った、神様神話の魔法陣そのものの事なんだ。
だから効果は、1週間の間だけ死者の魂を憑依させて、その者から知識を与えてもらえること。
依り代になる人は7日間神の加護を授かって、見聞きしたもの全てを記憶する事が出来るの。
こういう、便利なだけの魔法だったんだけどね。
ハプゼン国王は何度もこの『知識』を悪いことに使ったから、神様の怒りを買った。
ユキヒトの前の召喚が終わった時にお告げがあってね?
もーー次悪い事に知識使ったら魔法陣の契約消すからなっ!て神様の声で直接言われたんだって。
これには国王もアセったらしいよ。
…で。胸くそ悪い話なんだけど。
あいつはそれで改心するどころか『とびきり博識な魂を呼んで帰さなければイイじゃないか』と考えたの。
ザルツェンで一番魔力量の多かったラザリオン王子の心を壊して、空っぽの状態で依り代にしたんだ。
サイテーだよね。
そうして主を召喚して、1週間後の帰還儀式は行わなかった。
その後は話した通り、素直なうちはいい様に騙して使って、反発しだしたら暴力でねじ伏せ従わせたワケだね。
…軽めに暴力って言ってたけどさ、結構えげつなく痛めつけられてたよ。
暗い部屋に閉じ込められて、さんざん殴られ蹴られ、親友のネル王子がいかに立派な施政者になったのかをユキへの侮蔑と共に語るんだ。心を壊して扱いやすくするためにね…。
機会を逃したマナベ ユキヒトの魂は、もう永遠に日本には帰れない。
だからこそレイカさんには、一度きりの帰還のチャンスを逃して欲しく無いんじゃないかな…」
レイズがうるうると上目遣いでレイカを見上げた。
うっ、と声を詰まらせるレイカ。
…ユキが嫌がらせ目的だけで誘拐したんじゃ無いことは分かってはいる。
善意の面だって、あるのだ。
ただ彼は不幸な目に遭って、私たちに言葉通り嫉妬しているのだろう。
まるで子どもが癇癪を起こしたようなユキの態度が思い出されて、悲しくなった。
それでも、自分はネル王子を絶対的に愛しているから、日本に帰るという選択肢は取らないのだけれど。
と、レイズが顔を引きつらせる。
何事かと思い左手の辺りを見て…
ーーーゾッと全身が冷たくなった。
歯がガチガチと嫌な音を立てはじめる。
「ーーーーッう、うそ……なんで。ヤダ、ヤダぁーー…ッ!!」
左手小指の、女神の結びのリボンの様子がおかしいのだ。
…それは解ける様子は無いものの、次第にその赤色をうっすらと薄めていく。
最終的にはリボンそのものが消えて見えなくなってしまった。
レイカはなす術なく、唖然とそれを見ている事しか出来ない。
ネル王子との両想いである証の、愛の赤い加護。
それが…見え無くなってしまった?
心の中の大切な物がごっそりと奪われてしまった気分だった。
いざとなったらと覚悟はしていたのに、体は冷たくなり虚脱感がひどい。
なんで、どうして今……リボンは解けてはいなかったのに消えてしまうなんて……!!
加護云々の件があってもまだ1週間経っても無いし、ネルはこんなにすぐ私を見限るような事はしないはずと祈るように強く信じた。
レイズのポツリとした呟きを目ざとく耳が拾う。
「う、うわーー…
主、本気でレイカさんを隠しに来てるなぁ」
「どういうことですかッ!?」
膝に乗せたままだったレイズにガッと詰め寄ると、なんとも困った顔をされる。
彼女は気まずそうに視線を逸らしながらも、渋々といった感じではあるが答えてくれた。
「…えーっとね。
ヴィレアの女神様って強い力を持っているけど、その魔法の効力は国内限定でしょう?
だから…主はこの部屋自体の位置認識を変えたのかなーって。
ヴィレア国外のどこかにこの部屋があるって事に、基本情報を変えられちゃっているのかも?
だってリボンは『解けないまま』なのに『見えなく』なっちゃったんだしね」
…なにそれ!?
とんでもない能力に絶句する。
一つ一つの言葉を噛み締めて、理解はしたけど納得は出来なかった。
世界の基本情報に干渉する?
どうやったら、そんなに高度な魔法が使えるというの…
「そんなことが本当に」
「出来ると思うよ、主ならねー!
キレた神様が魔法陣のエネルギーを主に全部注ぎ込んじゃってさぁ。
本人、もう知識や頭の回転だけならとんだチートレベルなんだってー。
まさにザルツェンの魔法陣が一人歩きしてるような状態だね!」
つい、すごいでしょう?といった得意げな感じで言ってしまうレイズ。
辛そうに小指を見つめるレイカにハッと気付いて、あわてて反省して謝った。
いくら幼女の謝罪姿が可愛いとは言え、レイカの頭の中は結びのリボンの事でいっぱいのようだ。
うつろな目、悲しげな表情でリボンのあった小指を見ている。
レイズがあれやこれやと話しかけてみるも、生返事しか帰って来ない。
…まずい!
彼女は『ネル王子を想うためなら壊れてもいいの』なんて言ってた程のガチ聖女だ。
本当に、ここで壊れちゃったらどうしようっ!?
な、何か元気の出る物ーーーッ!!
「…お食事持ってきますぅーーー!!」
これしか思い浮かばなかった、色気より食い気な自分がこんな時悔しい。
バタバタと慌ただしく膝から降りて、一直線に扉へ向かうレイズ。
チラリ、とレイカの様子を伺うも未だに顔を俯かせ落ち込んでいて、へにゃりと悲しく耳が垂れた。
『お食事』との言葉にも全然反応が無くって、本当にこれヤバイのかも?と泣きそうになる。
鼻をすんッと鳴らしながら足早に階段を登っていった。
ああもう、バカ主、あとで殴らせろよーーーっ!?
…………。
レイカはバタンと扉が閉まるとゆっくりと顔を上げる。
その瞳はいまだ熱く恋に燃えていて、心折れてはいなかった。
***************
お、驚いた。
まさか小指の赤いリボンを消されちゃうなんて。
でも、心が離れたのが理由じゃなくて…良かったです。
…ここまでする程、ユキさんは今も苦しんでて、私たちの幸せが許せないんですね。
それでも私だって、愛は譲れないんだから。
レイカです。
今、左手の小指がとってもさみしい。
この5日間はずっと可愛いリボンがここに揺れていましたものね。
ネル、ネル様。
この印が見えなくなっていても、貴方はまだ私の事を望んでくれてるって思っていて良いですか?
女神様の加護は今はかかっていないでしょう。
それでも、ネルの事が好きなままだったよ。もうどうしようもない位愛してる!
…だからこの気持ちに素直に突っ走る事にしました。
貴方を一人で泣かせたりなんて、絶対しないんだから。
ぎゅっと口元を引き結んで、部屋を見渡す。
一面の桜の春景色。
地下なのに昼の太陽の光がさんさんと降り注いでて明るくて、ここに来てからどれくらい時間が経ったのかが分からなくなる。
結構長い時間、話し込んでしまった筈です。
外はもう夕方か夜と考えて良いでしょう。
早く逃げなくては帰還のタイムリミットが来てしまう、それだけは何としても避けなくちゃ!
もう永遠にネルに会えなくなっちゃうなんて、そんなの辛いよ…!
どうやらこの部屋でも魔法は使えないみたい。
でも、じゃあこの桜の映像は?
ユキさんはここでパソコン型の機械を使っていました。
おそらくあれは魔道具では…
じゃあ、魔道具なら使えるって可能性もありますね?
試してみる価値は十分にあるはず!
私が持っているのは。
……うっ、『キューピットの恋文』のみですけれど。
ど、どう使おう。
役立てる方法について必死に考える。
そもそもまず攫われないように自分用の魔力結晶宝石も作っておけば良かったなぁ、なんて今更なことを思ってため息をついた。
ネル様用に作ったことは後悔して無いけどね。
あれがあればうっかり暗殺なんてされない筈だもん。
レイズちゃんが帰ってきたので慌ててまた落ち込んでいるフリをした。
垂れた耳と尻尾を見て心がズキズキと痛んだけど、仕方ないっ…
私は油断を誘って逃げなければならないのです!
「レイカさん」
「な、なぁにレイズちゃん。
…ごめんなさい、今は少しだけ一人で居させてもらいたいです。
気持ちの整理がどうしてもできなくて…」
「ッ………そっか。わ、分かったよ!
ここにご飯置いておくからね。
気分悪いかもしれないけどさ、できるだけ無理のない範囲で食べて?
もし何かあったら扉を3回ノックしてね。
すぐに駆けつけるからさっ」
涙目でも気丈に「じゃあね!」と明るく言って、レイズちゃんはパタパタとこの部屋を立ち去った。うわ。
こ、心の中で吐血するかと思った…
幼女恐ろしい子…!
置いて行ってくれたのは、シンプルな丸パンとスープ。
なんとスープはお味噌汁です。
パンもよく味わうと米粉パン、ユキさん芸が細かい!ごちそうさまです。
お味噌なんて作り出すのは大変だっただろうに、彼がどれだけ日本に思いを寄せているのかこれを見ただけでもよく分かる。
うう、またこちらの意味でも吐血しそうになる。
「……ふぅーーーッ、よし!」
深呼吸して気合いを入れた。
私は彼らの命掛けの頑張り(誘拐だけど)も無視して、ここから逃げ出そうとしています。
善意を踏みにじってもいる、その行動が罪深いと言うことを、しっかり覚えておかなくてはならない。
良心の呵責も、罪悪感も全て背負っていきましょう。
あと彼らの命は救われるように気を付けて行動しなくては。
ヴィレアの皆さんは誘拐犯撲滅を考えているかもしれませんからね?
目を細めて桜を見ると、自然と顔が少しだけほころんだ。
待ってて、ネル様!
私はちゃんと貴方の元に帰りますから…ーー
食器を一つガチャンと割ってしまう。
その破片を手に取り、髪をザックリと一房分断ち切った。
その全てを魔道具のキューピットへと渡してやる。
まずは、ここの鉄壁の守りをなんとかしなくちゃ。
魔法が使えない私なんて、ただのデブブス女よ!
「お願いキューピット!
私と……この家を管理している魔道具の本体とを繋いで!!」
にゅるにゅるとキューピットの腕が伸びる。
あっ、ちょっと気持ち悪い…
片方は私の腕に、もう片方は扉の外に。
しばらくして、頭にピピッと電子音が鳴り響いた。
パソコンと繋がったんだ。
脳みそには膨大な『ニホン語』の文章が流れ込んできて、目がぐるぐる回り全身はカッと熱くなった。
キューピットと繋いだ手と脳なんて焼け焦げそう!
容量オーバーですね分かります、うう…
それでも、せっかく掴んだたった一つのチャンスなんだ。
手はけして離さなかった。
さあ…守備神パソコンさん、勝負ですよ!
貴方の防衛能力が勝つか、私の愛の根性が勝つか。
絶対に負けませんからねーーー!!
読んで下さってありがとうございました!