それぞれの気持ち
違う違う違う違うっ……!
私たちのこの愛情は、神様に作られたものなんかじゃないはずなの。
絶対絶対、自分の意思で、相手を好きだって思っているんだから…!
薄暗い部屋で一人、頭を抱えて体を震わせる。
情けない。
ネル様の事を心から信じている筈なのに、初めて会った人の一言にこんなに惑わされるなんて…!
必死に気持ちを奮い立たせようとするけど、脳がじんじん麻痺して上手く思考出来ない。
頭の中でバカみたいに、ひたすら「違う」「私たちの愛は本物」「絶対」を繰り返す。
涙はどんどんこぼれ落ちて来て、止まってくれない。
神様の加護なんていうよく分からないものが怖くて、私の心はどんどん恐怖のドン底に堕ちていく。
どうも…精神ズタボロな麗華です。
メンタルの弱さに自分でもビックリしております。
私、結構立ち直り早い方なんだけどなぁ。
よっぽど、ネル様との関係が終わるかもしれない事が怖くて仕方ないみたいです。
ユキさんとレイズちゃんは、いつまでも泣き止まない私に困りはてて「ちょっと外の様子見てくるわ」と出て行っちゃいました。
だから部屋には一人きり。
室内は相変わらず薄暗くて、余計にネガティブな気持ちになっちゃいそう…
とりあえず魔法で逃げられるか試してみたけど、この場所では魔法そのものが使えないようですね。
絶望して、体を太紐で椅子に括られたまま、またえずくほど泣いてしまった。
…………。
例えばの話。
もし、本当に日本に帰れるのだとしたら。
もう二度と会えないと思っていた両親に会えるかもしれない。
…また会いたいなあって、私だって心の片隅でひそかに願ってました。
大切な実の両親だもの。
日本に帰れないって聞いていたから、夢みたいな可能性だとは思っていたけど、考えずにいられなかった。
でも今、こうして日本に帰してあげるって言われてみると、どう…?
自分自身の呆れた気持ちが明確に見えてきて、恥ずかしくなる。
夢は夢のままでいいと、即座に答えが出てきました。
もう地球に帰れなくたっていいの、だなんて。
…うん、お父さんお母さん。
薄情な娘でごめんなさい。
私、彼の側にいたくて仕方ないんだ。
20年間大切に育ててくれた両親よりも、突然現れた美しい優しい男性を私は選んだ。
もう会えないならこっちの世界で幸せになることが両親への恩返しになるかも、なんて言い訳しておいて、ただ彼といたかっただけなのかな。
…本当に薄情。
涙を流しつつも、自嘲するような笑みが醜い顔に浮かぶ。
身も心も完璧に美しい彼と、自分勝手で醜い私はまるで正反対だ 。
まあ醜さを自覚しつつも、自重せずに彼を好きなんですけどね。
こうまでネル様にオチた事、後悔していないんだと思います。
会いたいな。
攫われてから心が叫ぶのは、そればっかり。ちょっと異常なくらいに思考がそれだけで埋まる。
…………。
目を閉じて、彼の姿を脳裏に思い描いてみました。
あの空を閉じ込めたみたいな青の瞳が熱く熱くこちらを見つめてきて、今も変わらず私を捉らえて離してはくれなかった。
心を束縛されている事すら、私を幸せにしてくれる彼の魅力の一つだ。
好き好き。
私の愛情重いな。
うん、知ってた!
…ネル様も同じように、また私と一緒にいたいと思ってくれていたらいいなぁ。
人の顔色ばかりうかがってビクビク生きてきた私が、愛なんて贅沢なものを望むようになるなんて…うーん。
人生って分かりませんね。
細く長く、息を吐く。
ボロボロ泣きがやや泣きくらいにまでおさまってきました。
……ちょっとは落ち着いてきたようです。
よし、この調子で持ち直すべし私の涙腺。
すんっと鼻をすする。
頬に溜まっていた涙を振り払うため、頭を軽く左右に振った。
好き好き好き好き好き好き大好き愛してるって繰り返しまくって、彼への愛を明確に自覚したから、頭が冷えてきたのかな。
愛ってすごい。
なんなんだ、万能薬か。
極限状態とも言うのかもしれませんけど。
加護のおかげ?
……認めないんだからーーー!
左手小指の、『愛と美の女神アラネシェラ』様の結びのリボンを見つめると、濃ーい愛の赤がひらひらと揺らめいていた。
加護。いったいどんな効果があるんだろう?
ユキさんが言っていた「ネルとの愛ってこれのせいかも?」は仮定の話ですもの。
ちゃんとした事はまだ何も分かっていません。
冷静に考えてみると、あの人仮定でしか言葉責めしてきて無かったような…?
…だんだん腹が立ってきましたね、それで泣かされた私もたいがいマヌケですけどね!
おのれ口先イケメンめ!
あっ悪口になりきれてない、くうぅぅーー!
…あさってで結びの魔法をかけられてから1週間。
その時環境がどう変わるかなんてまだ分からなくて、すっごく怖い。
ただ、リボンの赤が目に眩しいくらい私に訴えかけてきています。
ーーー今この瞬間、私たちは両想いでいるんだよって。
ぐっ、と手を強く握りしめる。
…貴方がまだ愛してくれているなら、妻たる私はそれ以上に愛し返すまで!
燃えろ乙女心!
……一番に愛してくれる人が欲しいって泣いた、彼の心の叫びに答えてみせましょう!
……ん!
取り乱してしまったけど、ドン底まで行ったら気持ちが綺麗に固まったな。
頭スッキリ。
愛に突っ走ったその結果が、私を壊してしまうことになっても構わないよ。
ネル様。
貴方が好きです。
よし、そうと決まれば早く帰らなきゃ。
そのためには、逃がしてくれるよう彼らを説得しなくちゃいけませんね?(紐、ほどけませんもの…)
頑張りましょう。
口下手の根性見せてやりますよ……!
どんな言葉で説得しようか?
ぐるぐると頭の中で考える。
…まだ若干涙目のままだったけど、きつく扉を睨みつけた。
ーーーーかかっていらっしゃーーい!
**************
ヴィレア王都の中心街から少し外れた、日当たりの悪い路地裏にある一軒家。
他の家と同じく白と茶を基調にしたシンプルな外観だったその一軒は、今や外壁に多数の電線を張り巡らされており、もはや優美なヴィレア感はカケラも無い。
この電線を通して強力な結界が何枚も張られているようだ。
ここはもうティラーシュ世界において、最新鋭の要塞となっていた。
結界の範囲に含まれる道ばたには、家壁を背にして男が座り込んでいる。
カチャカチャと、地球のパソコンに良く似た魔道具をいじっていた。
隣にはキツネ獣人の少女がしゃがみこんで泣いている。
…声は漏らしていないものの、幼い顔をつらそうに歪めて何度もすんすん鼻を鳴らす。
男は涙など気にしていないとアピールするかのように魔道具をひたすら操作し続けている。
キツネ娘もずっと泣き止まない。
耳と尻尾をへにゃんと垂れさせて、悲しげな空気を作り出すことに余念が無い。
カチャカチャ。
ーーすんすん。
カチャカチャカチャ。
ーーーすんすんすんっ。
カチャカチャカチャカチャカチャすんすんすんすんっ
「……アーーーーッ、もう!!!」
バン!と勢い良くノーパソ型魔道具の蓋が閉められた。
男はこの空気に負けた。
早々にチョロいものだが、幼女とは存在がもうすでに強く、泣いてなどいたら最強なのである。
折りたたみ式の魔道具を自分の横に追いやり、がしがしっと艶やかな黒紫の髪を掻く。
ジト目でキツネ娘を見やった。
"レイズは キラキラ期待した目で こちらをみている!"
……幼女ほんとズルい。
イライラしたので、これ見よがしに大きなため息を吐いて、桃色の頬をぷっにいぃーーっと思いきり摘まんでやった。
「…何すんだよバカあるじぃーーーっ!うああ痛いって!
伸ばすな、バカ!」
「うっせ、お前の方がバカだよレイズのバーカバーーカ!
絆されるの早すぎだぜまったく…。
こーゆー嫌味な言い方をしてさぁー、レイカさんには大人しくネルを諦めてもらうって事前に決めてただろ?
そんなに泣いてみせて俺を責めるなよーーーッ!」
「だってええええぇ!?
聖女さま、すっごく悲しそうに泣くんだもん。
かわいそうすぎたよぉーー……
あとアンタの言い方は性格のいやらしさが全面に出ててヒドく不快だったし、そんな口調で諭された聖女さま更にかわいそう。
ううあああぁーーん…!」
「おいコラ後半。
…まあ、あの悲痛な涙には一瞬ホロリと来たけどな!
この俺をもらい泣きさせかけるなんて、すげぇわあの人。
聖女って言われるだけあるわぁー。
ーーーなぁ、だからこそ良く考えろよレイズ?
彼女にティラーシュは辛いだろ。
安全な日本に帰ってもらうのが、あとあとの事を考えると一番安心なんだと思うぞ」
ぐっ、とレイズは続けようとした言葉を飲み込む。
感情が追いつかなかっただけで、彼女だって頭で分かってはいた。
…聖女カグァム・リィカ嬢はまだ知らないんだろうけど、この世界には残酷なー面がある。
自分たちが攫わなくても、ザルツェン連合王国だって彼女を攫うか暗殺する計画はしていたのだ。
それは自分たちが潰してやったのでザマァな気分だけど。
彼女はティラーシュで生きていくには、清らかすぎだし優しすぎるもん。
いつ潰されるとも限らない。
最初はザルツェン連合王国のクソ卵(ユキ命名)に一泡ふかせるついでに、レイカさんも救おうって事になったんだ。
でも、いつの間にかこっちがメインになって来ちゃってるね?
それもこれも彼女が魅力的すぎるからなの!
優しすぎエピソードがある。
実は王宮散策してる時、レイカさんに廊下で見つめられてぶっ倒れた侍女はあたしなんだよね。
マジ美しすぎて、鼻血が出すぎて貧血起こしたの。
そしたらさ…わざわざ手摘みの花を医務室に届けてくれたの。
失礼にも目の前でぶっ倒れただけの、たかだか一侍女のためにね!信じられる?
そんなの人生で貰った事なんて無かったし、労りの気持ちが嬉しかった。
その時、あたしはレイカさんを好きになったんだ。
絶世の美しい容姿にトンデモ魔力、更に平和な日本から来たためかやたら無防備でそれも可愛いし、もう尊いレベルの聖女。
この世界の汚い部分をなにも知らない貴方は、
ーーー…8年前、召喚されたばかりのユキヒトみたい。
…………。
こちらの世界にいることで、たくさんの危険に身を晒してしまうのだろう。
誘拐、暗殺、嫉妬だのの黒い思惑が彼女を取り巻くに決まってる。
その時、貴方を守ってくれる人は?
愛しの王子様とやらは市民にかまけてて恋人を守りきれなかったもの。
聖女さまをヴィレア王国に嫁がせるなら他国からの悪意もなおさら多くなるっていうのに、今から攫われててどうするのよー!
まあ、こっちは主いわく「チート」な魔法を駆使して誘拐したわけだけど。
でもでも!
私たちみたいな規格外な奴らがどこかの召喚魔法陣で紛れ込んでくる可能性もゼロじゃないって、主は言ってた。
そんな奴らからも、守り切ってもらわないと困るよ!
…こんなんじゃ、聖女さまを安心して任せられ無いんだから。
主との同郷のよしみもあるし!安全な日本に帰してあげなくちゃって強く思った。
まあ、主はネル王子に嫌がらせしたい気持ちもあるみたいだけどね。
私も、誘拐見逃しちゃった王子殿下にはちょっと不満があるかなぁ。
守られなかったら彼女は将来、主みたいに壊されてしまうかもしれない……。
思考に引きずられて、身も心もボロボロだった以前の主の姿を思い出してしまう。
主の召喚者のザルツェン王家は、最初こそ優しかったものの、彼が思い通りに動かないとわかるやいなや服従させるため何度も暴力をふるって監禁した。
あの時の主のうつろな黒い目が忘れられない。
それからだね。
幸せな人を見る時、たまに彼の瞳が濁るようになったのは。
愛の国ヴィレア王国はそんなことしないのかもしれないけど、もしどこか悪い国にレイカさんが攫われたら?
どういう扱いを受けるのかは想像に難しくないよ。
現実として知ってるもん。
ねぇ王子様……今回、私たちがザルツェン側の人間だったなら、もうレイカさんの人生は終わりだったんだよ?
ーーー思い出した恐怖を振り払いたくて、レイズは震える手でユキの服をきゅっと掴んだ。
戸惑ったように見つめてくるユキの二の腕に、ぐりぐりと頭を擦り付ける。
「あるじぃ……主、主、主、あるじあるじ強く生きろよぅぅぅ!!
死ぬなぁーーーー!」
「どっからそこまで飛躍したのお前!?
死なないし。勝手に殺すなってば!
…レイカさんこうして誘拐したのが既に命がけだったけど、無事逃げ帰って来れたんだからさぁ。安心しな」
「ううううううぅ!!」
ぐりぐりぐり
「あっ、ちょっ、まっ……そこは、イヤアァァァァッ!!?
エルフメイドに弓矢ぶっ刺された所ぐりぐりすんなってばイッダァァァーーーイイ!!
なんなのお前!?
……わざとか!ほっぺの恨みか!?」
「しねあるじ」
「生きればいいのか死ねばいいのか、俺どっちなんだよ!?」
ユキが二の腕を抑えて「ぐおおお…!」と唸るような悲鳴を漏らしつつ叫ぶ。
正直やかましい。
レイズは泣いてふざけてスッキリしたのか、少しだけ迷いの抜けた目をして空を見上げていた。
こちらはたくましい。
泣いた後の女のメンタルとはとても強いものだ。
ねちっこいユキの涙目をさらりとスルーし、屋根を走りカグァム嬢を探す影をじっと睨んでいた。
ここの結界にはそれぞれ防音、認識阻害、侵入不可など様々な効果がかけられている。
ユキの使うニホンの知識をもとに作られた魔法は、どれもとんでもない性能だ。
曖昧にしか知らなかった科学的な原理は、彼の神の加護『世界の理を理解する力』で補強されて、想像するだけでほぼなんでも作れる。
魔力が許す限りではあるけれど。
鋭い目つきの影が自分たちに気づかず走り抜けて行ったのを見て、その力に舌を巻いた。
ユキは再びノーパソ型魔道具を開いて、何やらカチャカチャ打ち込んでいる。
結界の整備をしているようだ。
ユキもたいがいバカ魔力だけど、ラザリオンと混じっているので純粋な黒髪ではなく、本人の魔力だけではこんなに沢山の結界は張れない。
だからこその魔道具である。
ひょいとノーパソの画面を覗き込むと、『ニホン語』とやらがいっぱい並んでいて、レイズにはちんぷんかんぷんだった。
首を傾げる彼女に、ユキはぷはっと吹き出して笑う。
そうしていると、18歳の年相応に見えて親しみやすい好青年でしかない。
ブサイクだけど。
「…ねー、主。
やっぱりさ、レイカさんにもうちょっとだけ本当の事話しちゃだめ?」
「お前は甘いなぁー、レイズ。
…彼女、あとでこの世界と別れる時にまた泣いちゃうかもよー?」
また困ったようにユキは笑う。
レイズは恥ずかしそうに目をそらしながら、チラリとだけ主を見て言った。
「それでもだよ…。
誰かに好きでいてもらえた記憶って、とても尊い物だと思うんだ。
あたしは、主に拾ってもらえて救われたもん。
もしアンタと別れる事になっても、愛情を注いでもらった時間を嘘だとは思いたくないなぁって、思って…
…レイカさんもきっとそうだよ」
「おーー。
ずいぶん感動するような事を言ってくれるね?可愛いやつめー!
んん、そうさなぁ。
……彼女なかなか強情そうだし、別に言っちゃってもいいとも思うんだけどねー。
そしたら俺嘘つきになっちゃうけど、殴られない?」
「聖女さまはそんな下品なことしない」
「お前それアイドルはトイレ行かないって言ってるのと同じやつだぞ。
あとお前なら殴りに来るから、下品な奴ってことになる」
「今殴って欲しいって?」
「ごめんなさい」
ふざけあって目配せして、2人はようやく立ち上がった。
時間にして30分程度か。
街はいつもより騒がしさが増していて、ヴィレア王国の者たちがどれだけ真剣にカグァム嬢を探しているのかがよく分かる。
愛されているからなのか、魔法師として利用価値があるからか……どっちもかな?
「ま、俺らには知る必要もない事だけどね。
頑張ってねヴィレアの皆さん?
お姫様はあさって女神アラネシェラの加護が消えたら日本に再送還されるって、俺の加護が告げてるぜー」
ユキがヒラヒラと誰にでもなく手を振る。
どんな表情をしているのかは見えなかった。
レイズと共に家に入って、パタンと扉が閉められてしまう。
一瞬家の中に差し込んだ光は、またすぐに暗闇に飲み込まれて消えてしまった。
はあああしんどかったあーー!
読んで下さってありがとうございました!




