火事マボロシ
リィカを抱いたままひた走る。
彼女のロングスカートに足を引っ掛けて転ばないよう、気をつけながら全力疾走です。
さすがに貴族っぽい2人+お姫様抱っこは目立つためか、バタバタ通りを行き交っていた人々も私たちの進路からすみやかに退いていく。
うん、そうするよね。
全力疾走の貴族とか、絶対絡みたく無い相手ですよね。
…場面が違ってたら遠い目案件だったかもしれないけど、今はその判断が助かります。
この火事がもし大規模なものだった場合、住民が10人集まるよりもリィカ1人がいてくれた方がよっぽど戦力になりますから。
急ぎます!
…………。
10分ほど全力で走って現場に着くと、教会は既に赤々とした炎に包まれていた。
軽く舌打ちする。
教会周りは広い庭になっているため、隣の住居に火が移ったりはしていません。
しかし、100年超えの古い木造建物火災はそれ自体がとても危険だ。
最悪倒壊したら、人を巻き込むような二次被害を引き起こす可能性もある…
早く、火を消さなくてはならない。
燃え盛る炎がギリギリ届かない門のあたりに、シスターと獣人の子供たちが集まっていた。
シスターに話を聞きます。
「子供の学習塾を行っている最中に、一人の生徒が魔法を暴走させたのです。
身体強化のみの魔法授業だったのですが、そのキツネ獣人の子は何を思ったのか、炎の魔法を使い始めてしまって。
彼女が集中力を切らした瞬間に部屋にその炎が放たれました。
……キツネ種は魔力が多いですから、暴走した炎も大きくて……すぐに私が水魔法で消火しようとしましたが、とても敵いませんでしたわ。
3階の教室から直接発火したので下に降りられず、ベランダから逃げ出してきましたの。
今も、最年長のルクスが年下の子たちを逃がしてくれている所なんです!
私の力不足のせいで、こんな事態になってしまい申し訳ありません…
どうか、彼らを助けてやって下さい……!」
そこまで言い切ると、シスターは深く深く頭を下げた。
生徒より先に逃げたと彼女を責める事は出来ないだろう。
大人のヒト族と子供の獣人では、獣人の方が圧倒的に身体能力が高いのです。
シスターがここにいるのも、逃げる優先順位としては何ら間違っていないし、おそらく子供たちもそんな彼女を優先的に逃がしたのでしょう。
……しかし、なんてことだ。
火の手の一番強く上がっている3階のベランダを見ると、なるほど、カーテンらしき布が手すりから垂れ下がっている。
あれを伝って降りてきたという事ですか。
すぐ側まで炎が来ていて、今にも燃え落ちてしまわないか心配です。
目をこらすと桃色の髪が見える。
兄のルクスがカーテンを支え、妹のテトラがそれを伝い降りて来ている所だった。
姿が見えるのは、今の所もうその2人のみですね。
リィカを降ろし、とりあえずここで待っているように告げる。
頷いたのを確認してから、いそいで垂れたカーテンの下に走った。
テトラは、せまる炎の熱に怯えながらカーテンにしがみついていました。
体を縮こまらせて、完全に動きが止まっている。
普段なら、獣人の彼女は問題なくカーテンを伝い降りてこれるのでしょうが、恐怖が足を止めさせているようです。
ぎゅっと布地を握りしめ、顔を俯かせていた。
…そうしている間にも、カーテンからはコゲ臭いにおいが漂い始めてきて、焦る。
叫ぶように声をかけた。
「ーーーテトラ!」
「……王子様っ…!?」
「そこまで来れたなら、もう助けてあげられる。
がんばって!
受け止めるから、私の方に飛び降りてきて!」
テトラがパッとこちらを向いた。
涙に濡れた大きな目は、驚きのためか見開かれている。
しがみついていた手の力が僅かに緩んで、カーテンの張りが軽くなる。
慌ててまたしがみつくテトラ。
…それでは駄目だ。
しがみついているままじゃ、私は彼女を助けてあげられない。
唇を噛みしめる。
受け止めるために両手を上に向かって広げて、再び叫ぶように名前を呼んだ。
「ーーーテトラ、来てッ!!
絶対に君のことを助けてみせます、どうか私を信じてください!」
「~~~ッ!!!」
真剣に言っている事が伝わればいい。
私は絶対にテトラを見捨てないし、助けてみせる。
恐怖に染まっていた瞳にしっかりと焦点を合わせて、見つめ返した。
彼女の唇が僅かに震える。
次の瞬間、パッ、とテトラはカーテンから手を離してくれた。
体を半回転させて、こちらに飛び込んでくるような体勢になる。
彼女が落ちるであろう位置に身体を持って行くと、ポスッ、と腕に確かな重みが降ってきた。
炎に熱されたふわふわの桃色の髪が鼻をくすぐり、華奢な手が私の首筋にしっかりと回される。
その力強さにホッと息をついた。
…良かった、助けられた!
「テトラ」
頭を撫でてやると、テトラは小さな体を震わせ始めた。
でもまだ、泣かない。
あの場での恐怖がまだ彼女の心に残っているのでしょう。
…こういう時、泣けない子にかけるべき言葉を私は知っています。
情けないながらリィカがつい昨日、私に教えてくれたばかりですから。
できるだけ優しい声音になるよう気を付けて、言葉をかける。
「大丈夫。よく頑張ったね」
「!!!……う、うぁ……ッうわあああああんっ!!」
大声で泣きはじめるテトラ。
うわ、一発だ。
さすがリィカの魔法の言葉。効果は絶大、確実に泣かせに来られます。
このままゆっくりと泣かせてあげたい所ですが、炎の勢いは増してきている。
ルクスも早く助けてやらなければいけない。
泣いている彼女を抱えて、足早に門の獣人たちの所に連れて行く。
「シスター、彼女をよろしくお願いします。
…テトラ。
お兄ちゃんを助けてくるよ。いい子で待っていられるね?」
「ッ……う、ふぁいぃ…!」
再び頭を撫でてやると、グッと泣きをこらえて返事を返された。
ん、よしよし。
彼女を降ろしリィカを見つめると、真剣な表情で頷かれる。
なんて頼もしいんだ。
言いたい事を即座に察してくれるだなんて、すでに長年連れ添った夫婦のようですね?
ふふ、嬉しいです。
「リィカ。
貴方の力を貸して下さい。
水魔法で、消火の援護をお願いします」
炎に水魔法をかけてくれている市民や影の者たちもおりますが、まるで威力が足りていません。
バケツリレーも効果は薄い。
僅かな水ではすぐに蒸発してしまって、視界を湯気で煙らせるばかりです。
「分かりました!
過剰魔力にならないように気をつけながら、水魔法を使ってみたいと思います」
「助かります!」
テトラが手を伸ばしかけ、引っ込めるのが視界の端に見えた。
それにリィカが気付き、水魔法で自身のヴェールを濡らして、彼女の熱された桃色の髪にかけてやる。
しゅう、と小さく熱の逃げる音が聞こえた。
テトラの前にしゃがみ、優しく微笑みかけている。
獣人の子達は、あらわになったリィカのとんでもない美貌に声も出ず、目を離せなくなっているようだ。
「テトラちゃん。
王子様は、絶対お兄さんを助けてくれるよ。
私も早く火が消えるように、魔法で手伝って来るからね。
大丈夫。
もう怖い事は何も起こらないから、安心して待っていて」
テトラはまるで誘われるようにリィカを見つめて、しゃくりあげながらも涙目で頷く。
そんな様子に女神はニッコリと美しい笑顔を見せ、指で涙をすくってやっている。
ーーー誰かを癒すことについてはホントにかなわないなぁ。女神すぎますね、私の妻は。
心がほっこりと暖かくなったところで、私も自身にいっそうの気合いを入れた。
『絶対』ルクスを助けなければなりませんからね。
…リィカがヴェールを抜いでしまったことだけは後で少し注意しなくてはいけませんけど。
頷きあって、私はルクスの元へ、彼女は教会の正面へと走る。
リィカは走りざまに、教会全体より背の高い水の龍を出現させた。
あまりの大技に顔が引きつる。
野次馬たちの視線もくぎ付けです、さっすがー。
大きな魔法になってしまったのは不可抗力だったのか、リィカの顔も引きつっていました。ドンマイ。
水龍は胴体を滑らかにくねらして、窓から窓へと通り過ぎざまに火を弱めていってくれます。
リィカは更に追加で別の魔法を発動させて、周りに火が飛び散るのを防ぐため教会をすっぽりと水の膜で覆ってしまう。
これ宮廷魔法師、何十人ぶん?
思わず遠い目になってしまった。
……頭を切り替えてベランダの下からルクスに声をかけます。
彼はなぜか室内の方に身体を向けた状態で、保けたように龍を見ていた。
「ルクス!
水龍に気をとられるのも分かりますが、今は逃げる事を考えなさい!
途中まで降りてきたらテトラのように私が受け止めますから、飛び降りて!」
「ーーー貴族様じゃん!…ダメだよ、まだ一人姿が見つからないんだっ」
「!?
…分かりました、貴方の後ですぐ私たちが捜索に当たります。
だからまずおいで!
火はすぐそこまで来ていますよ!」
言ったタイミングで、室内から火がぶわっとルクスの方へ押しかけてきた。
「ぎゃっ!?」と声をあげて、あわててカーテンを降り始めるルクス。
まだ迷いがあるのかしきりに室内へと目を向けるけど、今戻ってもどうにもならない事が分かったのか、諦めて大人しく降りてきている。
彼に向かって両腕を上げると、とたん躊躇うかのような小さな呟きが聞こえた。
「き、貴族様。
いや王子様だっけ?
……俺、今アンタと絶交中で、さっきひどいことも言っちゃってて……その、ごめんっ」
「今それを気にしだすんですか!?
驚きですよ…
いいから早く飛び降りてらっしゃい!
それについては後でちょっとだけ叱ります、ほらほら、だーいすきな妹のテトラが貴方を待っていますよーー!」
「行くーー!」
チョロい。
彼の様子に若干、リィカにしてやられる私が重なったのは気のせいだと思います。
ルクスが手を離そうとした瞬間…
炎に焦がされていたのでしょうか、窓枠に結ばれていたカーテンが根元から焼け千切れてしまう。
ルクスは体を回転させきれずにバランスを崩した。
ーーー更に最悪な事に、カーテンに引きずられたベランダの木片までもが、私たちの頭上に降り注ごうとしています。
「うわああああッ!?」
「ちッ……!」
彼を助けるためには、もはや怪我や火傷も仕方ないだろう。
そんな事に構っていたらルクスを受け止める事なんて出来ないし、もとより怪我など覚悟してここにいる。
絶対助けるという約束を、違えるわけにはいきません!
完全に頭を下に向けてしまっているルクスを、なりふりかまわず滑り込みながら受け止める。
彼の上に覆いかぶさって、降ってくるであろう木片や焼けたカーテンを自分の身で受け止めようと決めた。
その時を想像し、ギュッと目を閉じる。
………。
…………?
いつまでたっても衝撃が無い。
目を開けてみると、私たちを中心に半径1メートルほどを除いて、木片やらが飛び散っている。
思わず目を見張った。
そしてよく見るとそれらには何故か、火で焦げた跡がない。
…脳内を強烈な違和感が襲う。
火事で焼けて、これらの破片は黒ずんでいたはず。
しかし妙にきれいなままだし、折り口など、まるで誰かに思い切り蹴られたかのように見えた。
胸元に輝く、リィカ作の『愛守りの結界石』を見る。
今回助かったのはおそらくこれのおかげですが…
この魔力結晶宝石の効果は、『ネルに悪意のある攻撃をするべからず』では無かったか?
降ってきた木片のみならず、今は炎の熱さえ感じないことに気付く。
ーーー…今この瞬間降り注いだ木片も、炎の熱でさえ、私に対する悪意ある攻撃であるという可能性がある…!
そんな事をする、誰かがここにいるということか!?
ゾッと背に悪寒が走った。
アマリエの朝の言葉が、今更ながら胸に突き刺さる。
『どうか十分に警戒なさいませ。
賊は貴方たち2人を、狙っているようですわ』
バッと急いで彼女の方を見やる。
ーーーーッッッ!!!
教会の正面玄関の方から小さな人影がよろよろと歩いて来ていて、リィカはその子に手を差し伸べようとしている。
脳内で激しく鳴る警戒音。
違う。
あの…おそらく獣人の子どもは、ふらついているように見えるが身体の軸が全くブレていない。
影たちと同じような、戦闘に特化した者の動き……!!
ダメだ、間に合え!!
声の限り叫ぶ。
「ーーーーリィカッ!!だめだッ!」
「え……?」
彼女がこちらを振り向く。
僅かに手を止められた所で不利を察したのか、その小さな影が一気に加速した。
ヴィレアの影の者たちが止めようとするが、距離があり間に合わない。
不審なその影は地を滑るようにとんでもない速さで駆けぬけ、通りざまにリィカを抱え上げていってしまう。
「きゃあ!」と短く悲鳴が上がった。
リィカがパニックになったためか、魔法の水龍がゆらゆらと揺れはじめる。
ハッとそれを見た彼女は、魔法を暴走させまいと自分よりそちらの制御を優先させてしまった。
即座に防御魔法を使ったら攫われなかったかもしれないが、優しさがそのチャンスを逃させてしまう。
く……ッ!
急いで声を張り上げる。
「影に告ぐ!
何者かが王族の婚約者を攫って逃走した!
手の開けられる者はすぐさまヤツを追い、追尾せよ!安否は問わない!
王宮にも連絡を…
ーーー逃すなッ!!!」
「「「はッ!!」」」
市民に紛れていた影の者たちが、ゾクリとするような鋭利な殺気を纏い走り出す。
影には獣人の血が入った者たちもいるため、たとえ攫ったのが獣人でも追いつけない事は無いだろう。
誰かしらが必ず捕らえる、はずだ。
そう思いながらも、いてもたってもいられなくて、自分も賊を追おうと目をギラつかせながら身体を起こす。
ーーー刹那、背後から、パァン!!と空間が弾ける音が聞こえた。
私はリィカから目を逸らさず横目で、住人たちは唖然と目を見開いて教会の方を見る。
そこにはいつもと同じ、優美な装飾の施された白亜の教会が、焼け跡一つなく何食わぬ顔で存在していた。
あんなに燃え盛っていた炎も一瞬で消え去っており、まるで…全てが夢だったかのようだ。
ただ一箇所、3階のベランダの手すりだけが折れたままになっている。
アマリエの声がまた脳内をこだまする。
『賊は、奇怪な魔法を使う』…
一瞬の油断が仇になったのか。
大慌てで目を凝らすと、確かに視界の中心で捉えていたはずの賊の姿は、すでに忽然と消えていた。
………リィカと共に。
「ーーーッあああ…!」
絶望のあまり、視界が涙で埋まりそうになる。
…いけない、そんな場合じゃないんです…!
どうしたらいいか考えろ。
頭を今までに無いくらい必死で回転させる。
私の妻が、私の麗しの女神が、私のリィカが私のリィカが私のリィカが私のリィカが私のリィカが攫われてしまっただなんて…認めない!
許さない。
何がなんでも、絶対、取り返してみせる。
顔を顰め思考し固まっていると、ルクスから信じられないと言いたげな声音の呟きが聞こえた。
「ーーーこれやったの、多分、あいつだ…」
「なんですって!?」
「ッひっ……!」
思わず睨むような目で振り向いてしまった。
すみません。
ヴェールもとれてしまっているので、素顔の私はさぞ恐ろしい事でしょう。
でも今はそれにすら構っていられない。子ども相手に大人気ないですが、今ばかりは仕方ないんです。
ルクスに詰め寄ると顔を引きつらせられるが、仕方ない。
「え、えっとッ……あれやったの、もしかしたら炎の魔法暴走させたキツネの獣人かもしれない。
さっきまだ逃げてないって言ってた子…。
あいつ幻術めっちゃ得意だって言ってたから、この火災も幻術だった、のかもしれないなって……
なんでこんな事するのかは分からないけど…」
「それは攫った獣人がその子でもあるということ?」
「う、うん。
シルエットとかは、そんな感じに見えた」
目が恐ろしくギラギラしているのが自分でも分かる。
ルクスが半泣きになっているけど、許してごめん。
低い声で(無意識です)彼に問うた。
「ーーーその子の名前は?」
獣人は、獣人に名前を偽らない。
ここで聞く名前は、確実に賊のものだと言えるだろう。
「……レイズ。
あの子の名前はレイズって言うんだ」
ルクスは苦そうに幼い顔を歪めながら、そう言った。
読んで下さってありがとうございました!




