泣く青薔薇
部屋には2人きり。
いつもならネル様といられる事が嬉しくてたまらないはずなのに、ひたすら空気が重い。
私、なんて言葉をかけてあげたらいい?
王妃様の時のように言葉の選び方を間違えて、更に傷付けてしまったらどうしよう。
かといって薄っぺらい慰めの言葉なんかじゃ彼を癒せないなんて、分かってる。
どうしたらいいの…?
ボロボロ涙がこぼれてくる。
私が泣いてどうするのよ。
でも、今は嗚咽を漏らさないように口を結ぶのが精一杯。
後ろから抱きしめてくれていたネル様の腕が動いて、指先が私の涙をすくっていく。
彼の方の震えは、いつの間にか止まっていたようだ。
私に触れる指先は、どこまでも優しい。
何度も、何度も、目から涙がこぼれた瞬間にすくい上げられて、それは彼の指を濡らしていった。
泣きたいのは貴方の方だろうに…
なんとか、身体をひねって彼の顔を見上げた。
眉を困ったように下げながら、私を落ち着かせるように優しく微笑んでいる。
こんな時までも私を気遣ってくれるの?
泣いてる私が言えることじゃないけどさ。
どうして今この状況で、そんな表情が出来るの……貴方は急いで大人になりすぎだよ…!
辛くないはずないのに。
よく私の前でも泣いてるじゃない、今こそ泣いてしまっていいのよ。
こんなのダメだ。
…私が泣き止んで、ネル様を甘やかさねばならぬ!
ならぬのです!
私を気遣ってくれる前に、悲しい時は甘える事を覚えて。
貴方はまだ18歳なんだよ?
とりあえず涙を止めるため目をこすろうとすると、でもスッと彼の手に絡め取られてしまう。
「ねぇ。リィカ。
この涙は、貴方が私の気持ちを心配して流してくれている涙。
そう思っていいですね…?」
「………ッ!」
情けない…
こくこくと頷くことしかできない。
口を開きかけたら、また嗚咽が漏れそうだったのです。
そんな私を見て、微笑みを深めるネル様。
涙に濡れた指先を自分の口元に持っていって、滴ったしずくを舌先でテロリと舐めた。
ちょ…ッ!
その時見えた舌の鮮烈な赤に、視線が釘付けになってしまう。
彼は私から目を離さない。
ゾクリ、とした。
「貴方が私のために流してくれた涙だから、私のものですよ?
本当はリィカの瞳にそのままキスしてしまいたいけど、我慢しますね」
「にぇ、にぇるさま……!?」
「おや、可愛い。
もう一度!」
確実に闇属性。
「………ッねる!」
「なーに?
恥ずかしがっているんですか?
ああ本当に、私の妻は可愛いすぎますね」
クスッと笑われる。
こんな時にそのテンションはなんだ。
…恥ずかしい、正解。
涙を舐められるとは思ってなかったですって。
思わず噛んだわ。
軽い口調で話しているのに、彼の瞳はどこまでも静かな光を宿したまま。
けして揺れない。
さっきまで見てた瞳に…そっくりだと思った。
国王様を語る時のライティーア様と同じ。
彼女とネル様が重なって見えた。
親子だ…
あのむせるようなオーラ、濃ーい赤色の愛情を思い出す。
びっくりしちゃって一瞬涙が止まった私の頬を、ネル様は両手で包み込んだ。
その時に腕の拘束がとかれる。
でもその場から動こうとは思わなかった。
惚けたように彼を見る。
「絶対逃がしてあげない」
「!」
「リィカ。
私はもう手放せないんです。
貴方が他の人を望もうが、私を怖がろうが、逃がしてあげられない。
絶対いやだ。
貴方は私の愛しい人」
「……ネル」
「私は貴方を誰より愛してますよ?
貴方もどうか、何より誰より私を一番に愛して。
もっと、もっと、好きだって言って聞かせて下さい。
…お願いですから…」
すがる声。
最後は、消え入るように。
さっきアマリエさんに叱られて落ち込んでた時なんて比じゃない、もっと重くて切実な声です…。
切実すぎて、痛々しい。
それは召喚の儀の時に聞こえた声音によく似ていた。
私と彼とがお互いに願いあった時の、あの声。
『ーーーどうか、私を愛してくれる人がほしいです』
………。
声を少しつまらせ一生懸命に話す彼は、それでも大きな瞳から涙はこぼしません。
ひたすら、吸い込まれそうな空色の瞳が見つめてくる。
血の繋がった実母から愛情に差を付けられてて傷ついて、その心を癒すために彼がもっとも望んでいる言葉。
望んでいる者。
ネル様。
それは…ーーー私なの?
それでいいの?
貴方を慰められる…?
ネル様は苦しそうにこちらを見つめて来るけど、……ひたすらウェルカムなのですが。
そんなの。
どれだけだって何度だって貴方にあげる。今更だよ?
暗殺者が来ようが他の人にアプローチされようが、私が選ぶのはずっと貴方だけ。
同じ気持ちだよ。
「…好き好き好き好き好き大好き、愛してる愛してる愛してる」
「!リィカ…?」
「好き好き……まだ、言おうか?
私の愛情はこの程度じゃ収まらないよ。
まだまだもっと、ネルの事が大好きなんだから」
「………!!!」
「ね、聞いて。
私の一番はネルです。
誰より大好きで愛してるの。
離さないなんて、こっちから是非お願いしたいくらい。
離れたくないです…好き。
これからのネルとの結婚生活、楽しみにしてるんだから」
これで安心してくれる?
今度は間違わずに言えた?
この言葉の本気が伝わるといいな。
貴方を一番に想う人間は、ちゃんとここにいるよ。
ネル様は唖然と口を開く。
「夢みたいだ…
こんな重くて暗い気持ちまで受けとめてもらえるなんて、正直、思ってなかった」
「ええ、私の愛情まで重すぎるみたいじゃない…?
やめてよ。
いや重いけどさ」
ほんと超重量級ですみません。
改めるつもりはない。
「ねぇリィカ。好きです」
「私も」
「一番に?」
「うん」
「幸せだ…」
親の愛情は特別で、私はそのものをあげることは出来ないけど、恋人として誰より貴方を想ってるよ。
それでちょっとは、貴方の心の悲しい隙間が埋まるといいなぁ。
私も幸せ。
こんな風に貴方を愛せて、愛してもらえて嬉しいです。
ありがとうネル様。
そっと彼の手に触れた。
手のひらは、まだまだ冷たい。
こんなに凍えてたら心配しちゃうよ?
あっためてあげなくちゃ、ね。
「そこのソファにいこう、ネル」
「?」
「身体冷たいから。
もふもふの毛布もあるし、あっためようよ。
…膝枕でもしましょうか?」
「!?」
「お姉さんは貴方を甘やかしたい気分なのです」
言ってしまった!
いーっぱい甘やかしちゃうんだからね!
誘うように腕を引くと、ネル様はそのままふらりとソファに移動する。
だ、大丈夫?
私はベッドから毛布を持ってきて彼から少し離れて座る。
ポンポン、と太ももを叩いて彼を見ると、ポスンと頭が落ちてきた。
さらさらの乳白の髪が頬にかかって、横を向いている彼の表情を隠してしまっている。
でもね、耳が真っ赤なのが見えちゃってますよ?
ふっふっふ。
これで可愛いって言われたくないなんて言うんだから、困っちゃうよねぇ。
このツンデレめ。
(※いやヤンデレです、というツッコミは無しでお願いします)
毛布を足までかけて、一定のリズムでトントンと彼の肩を叩く。
もう片方の手では髪を撫でる。
うっわ、指の間から髪がすり抜けるたびにキラキラして目に眩しい。
オパールみたいな七色の輝き。
白い髪は魔力底辺の証だから嫌いだって言ってたけど、こんなにキレイなんだから美しさだけで十分価値があると思う。
ポツリと、彼が話し始めた。
「…私が色々と頑張ってきたのは、母上に私を見て欲しかったからなんです」
「!……うん」
「今はそれだけじゃありませんよ?
でも、最初は本当にそれだけだった。
彼女は私を産んだことをずっと後悔していたから、なんとか『産んでよかった』って思ってもらいたくてですね」
「うん」
「勉強しまくって王族学校も飛び級首席で卒業したし、アマリエとガチ戦闘して武術も極めました。
そしたら母上は笑ってくれるようになった」
「うんうん。
ガチ戦闘とか何やってるの怖すぎる。
自分の身体は大切にするんだよ?」
「以後気をつけます。
…それでですね、笑いかけてくれるようにはなったけど、兄上の方が愛されてるのは今更なくらい分かってました。
…でも今日、直接話しているのを聞いてしまったら」
肩がピクッと震える。
撫でる手を止めて、きゅっと頭を抱きしめた。
「すごく、辛かった」
ようやく声に出して言えたね。
お疲れさま。
ネル様の喉が小さく何度も鳴る。
しゃくりあげて、それを必死に堪えてるみたいで、もう身体の震えは止まらなかった。
静かな部屋には私たち2人だけ。
どれだけでも泣いて下さい、旦那様。
私しかいませんもの。
つ、妻ですからね。
この部屋から出たら彼はまた、いろんな人の嫉妬や悪意に晒されてしまうのでしょう。
ライティーア様の滲ませた拒絶の感情もそうだし、暗殺者なんてのも来る…んだと思う。
優しい貴方が傷つかないはずないですよね。
どうか今だけは何も考えずに私に甘えていて下さい。
白い髪も何もかも、大好き。
彼の嗚咽が収まってきた頃を見計らって、私は髪飾りをはずして魔法をかけた。
手のひらサイズの小さな青い宝石はみるみるその姿を変えて、瑞々しい見事な1本の青薔薇へ。
宝石を薄く削ったような硬い花びらの造花だけど、今の彼にはこの枯れない花がピッタリだと思う。
ネル様が鈍い動作で、現れたそれを見る。
彼の手に青薔薇を握らせて、私も自分の両手のひらを添えた。
「私のいた世界では、青い薔薇は存在しませんでした」
「!…そうなんですか?
ヴィレア王国では、ありふれていますよ」
「うん、よく見るもんね。
青薔薇、ネルの誕生花なんでしょう?
青薔薇の地球での花言葉はね…
『神の祝福』と『奇跡』なんだよ」
「………!?」
「みんなが貴方を待ち望んでいたの。
青い薔薇が見たくて見たくて、ずっと会いたくて、何百年も品種改良が行われている。
まだ出来上がって無いけどね。
私も楽しみにしてたの…いつか青い薔薇と出会うのを。
こっちの世界で見つけちゃった。
ネルシェリアス。
産まれて来てくれてありがとう!
青薔薇さんに、会えて嬉しいです」
「……ーーーッッ!」
膝の上にいたネル様はくるりと振り返り、上体を起こした姿勢で私を思い切り抱きしめた。
力が強くて苦しい程だけど、ガマンガマン。
まだ続きがあるのです。
彼の耳元に唇を寄せる。
「1本の薔薇にも意味があるのよ?
『あなたしかいない』『一目惚れ』なの」
「~~~~~!!?」
いつもの色仕掛けの仕返し?
ふふふ、内緒です。
今度こそ彼は大きく喉を鳴らして、全身を震わせながら泣きはじめた。
私はずっとネル様に寄り添っていた。
泣きを落ち着かせておいてから号泣に持っていかせるリィカ様(笑)
ラブラブとはいいものですね。
読んでくださってありがとうございました!




