消えない愛と傷
国王妃ライティーアの瞳はもはや揺るがなかった。
不気味なほど静かにカグァム嬢を眺め、口の端を吊り上げる。
「…いきなりでびっくりしちゃったかしら。
そうよね。
こんな私個人の感情をぶつけられちゃっても、貴方は混乱しちゃうと思うわ」
ごめんね、と微笑む。
すっかり冷めてしまった紅茶のカップを持ち上げ、中身を一口飲み干した。
「ネルの事が嫌いなんじゃない。
好きよ。
とっても努力家なイイ子だもの。
ただ、グリドの方がもっと好き。
この世界の何より彼が大切だわ。
息子たちが一人しかいない女の子を望みあっているんだったら、私はグリドを推します」
カグァム嬢はもはや言葉が出ないようだった。
蒼白な顔でライティーア妃を見つめたまま、視線を逸らすことが出来ない。
実の親が、子供への愛情に優劣を付けている。
ひとりっ子の自分にはよく分からないが、それはとても悲しい事だと思った。
日本でなかなか周囲に溶け込めずに、親の愛情だけを心の支えにしていた自分を思い出す。
親の愛とはかけがえのないものだ。
辛い時、何より力になってくれた。
それがもし、誰かに取られてしまったら?
生きて来れなかったかもしれない。
もう、泣いてしまいそうだった。
ネル様はずっとそうだったの?
「…ネルは私に似ていないでしょう。
前国王様にも似ていなかったわ。
彼が産まれた時、私は夫への不義を疑われた。
本当に王族の子供なのかって」
「!?」
「辛かったわ。
私はこんなに国王様だけを愛していたのに。
王族は政略結婚をすることも多いの…私たちは結びの魔法陣で結ばれた恋人ではなかったし、周りの目は厳しかった。
ネルが王子であることが証明されてわだかまりは解けたけど、まだネルを見ると思い出しちゃう。
彼は何も悪くないのにね…。
でも心の傷はどうしようも無いのよ」
…悲しそうに微笑むライティーア妃。
返答を期待しての発言では無かったためか、またすぐに話を続けた。
「グリドが産まれた時には国中のみんなに喜ばれたわ。
彼は髪色も見た目も何もかも、王の子として相応しかったもの。
国王様が満面の笑顔で私をきつく抱きしめてくれた瞬間を今でも忘れられない…何度も夢に見るわ。
そんな風に皆に愛されるグリドが、私も大好き。
幸せになってくれるなら、なんだって叶えてあげたいの。
たとえ、ネルから貴方を取り上げる事になってしまっても…」
「…ライティーア様」
「なぁに」
「貴方は、グリドルウェス王子殿下に国王様を重ねて見ていらっしゃるんですね…?」
思わず口から出た言葉だった。
使いっぱなしだったオーラ魔法で視えていたのは、嫉妬と…鮮やかすぎる赤い色。
彼女が国王様の事を語るたびに、息苦しいほどの赤いオーラが彼女を取り巻いていたのだった。
それは自分の小指に揺れる結びのリボン以上に濃い『愛の色』で。
ライティーア妃が今だに夫を愛し続けている証なんだと思った…
痛ましげに彼女を見てしまう。
言葉を再び静かな瞳で聞くと、ライティーア妃は顔を歪めた。
涙は流れない。
ただ、ひたすら苦しそうな、悲しみに染まった表情で苦笑した。
「………。
本当は聞かないで欲しかったわ、こんな本音。
醜いでしょう。
ヒドい感情でしょう?
グリドにもネルにも失礼ね。
私は国王様を幸せにしてあげられなかった…。
だから国王様に似た息子のグリドには、素敵なお嫁さんと結ばれて欲しい。
そう言うことよ。
私の心の奥底の、醜い本音」
「…グリドルウェス王子殿下が産まれた時の事を夢見るのも、国王様が喜んでくれたからですか…?」
「そうかもね」
息子を、というより国王への愛。
それが彼女の根底にある強い感情だったのだ。
彼女は受け入れられていなかった。
最愛の国王が死んだ事。
その時一緒に死んだのが、自分でなくて妾の女性だった事を。
ここにいる2人の女性は、2人揃って…ただひたすら愛に狂う少女だった。
しばらくの沈黙がおりる。
「…私の勝手な気持ちを押し付けて、ごめんね。
でも最初に言ったことは本当よ。
敵の多いネルより、安定してるグリドを勧めるわ。
よく、考えてね」
ライティーア妃はそれだけ言うと、「でも私は」と続けようとしたカグァム嬢の口を人差し指で塞ぐ。
力はなく、触れるだけの指。
でも、その震える細い指を振り払うことは出来なかった。
口を閉じたのを確認すると、その指をずらして彼女の零れ落ちた涙を拾ってやる。
…真珠のような美しい涙だった。
美しすぎて、自分には目の毒だとライティーア妃は自嘲する。
もう何も言わないで、見ないでおいて欲しいと、消えてしまいそうな声で彼女は呟いた。
こんな醜い私なんてみたら貴方の綺麗な瞳が曇っちゃうわよ、とも…
悲しみに歪んだ顔で、なんとか微笑みを浮かべる。
「今日は来てくれてありがとう。
…疲れちゃった。お開きにしましょうか」
そうして2人きりのティー・パーティは終わりを告げた。
****************
ふらふらと一人きりで廊下を歩く。
王妃様の部屋と自分の部屋はそれほど離れてはいなく、道には迷わない。
この辺りは王宮でも最も日当たりのいい場所だ。
今更ながら、良い部屋を与えてもらっているのだなぁとぼんやりした頭で思った。
とても丁寧にもてなしてくれている。
…それは私が、王子様の婚約者だから。
グリドルウェス王子殿下とネル様の顔が頭に浮かぶ。
あ、どうも麗華です。
落ち込んでいます。
頭がパンパンでもう弾けそうです…!
お茶会でみた王妃様の声と表情が、忘れられない。
悲しそうで苦しそうで、壊れてしまいそうだった…ライティーア様。
彼女にそんな表情をさせてしまったのは、私。
ネル様への愛に差がつけられていると知って、頭がカッとなって、言わなくていい事まで言ってしまいました。
親なのに、なんて思って。
私だってネル様を心の何処かではひいきして見ているだろうに、そんな事言う資格なんて…無い。
国王様への変わらない愛の事なんて、新参者の私に指摘されたくなんて無かったでしょう。
なんて無神経なことを言ってしまったのか…
もう、自分で自分が嫌になります。
国王様が亡くなってからの彼女の日々を思う。
辛い、なんて言葉ではきっと足りないくらい寂しかっただろうな。
自分にも国王様にも似ているグリドルウェス王子は、心の支えだったのかもしれない。
だからと言って息子の婚約に差をつけるのはどうかとは思うけどね。
私のネル様と結婚したいっていう気持ちは変わらない。
けど…
はあ、とため息をつく。
思考が堂々巡りしてしまっています。
どう言ったら良かったんだろう。
どうしたら、彼女を傷つける事なく、ネル様への気持ちを受け入れてもらえたのだろうか…
どれだけ考えても分からないです…
はぁ。
そんな事を考えてたら、いつの間にか部屋の前に着いてしまいました。
中でネル様、アマリエさん、ミッチェラさんが待っててくれてる予定です。
早くみんなに会いたくて扉に手を置いて、でも開けるのをためらう。
今の私どんな顔してるだろう?
手でペタペタと触ってみると、まあブスは今更なのですが、眉は下がり唇を引き結んで、なんとも情けない顔になっていました。
…こんな落ち込んだ表情、ネル様に見せる訳にはいかないです。
何かあったと、気付かれちゃう。
彼にだけはこの事を知られたくない。
なんとか気持ちを切り替えなきゃ。
ぐにぐにと顔を揉む。
ブスが加速してるんだろうけど、そんな事は構っていられない。
頬をパチンと叩いて気合いを入れる。
よし!
頑張れ、麗華!
ネル様に心配をかけてはいけません。
いつもみたく笑顔で、楽しいお茶会だったよーって言うんだ!
え?
黒の手紙の時みたいなフラグ立ってる?
ききき気のせいだと思うなぁーーー!
さすがに素直に「王妃様はグリド王子のほうが略」なんて言えるわけも無いんだし、なんとしてでも悟られないよう気を付けますよ。
彼に傷ついて欲しくないんです…。
そうして覚悟を決めた私。
ノックをしてぐっとノブを持ち、ゆっくりと扉を開けると…ーーー
床に正座(あ、新品の絨毯ひかれてました)しているネル様とミッチェラさん。
そして2人を仁王立ちで見下ろすアマリエさん(身体強化魔法済み)。
『2人の男女は侍女長の魂そのものである王宮規則を破り、許されない誤ちを犯してしまったのだ。王族だろうと床に正座も仕方が無いと言える。アマリエの全身が青紫のオーラに包まれ、今まさに、正義の制裁が下されようとしていた…ーーー!!』
こんなナレーションがうっかり聞こえてきそうでした。
なにこれ…
「えええええええ」
「あら、お帰りなさいませ」
アマリエさんがニッコリ笑って出迎えてくれる。
ただし身体強化魔法が解かれる気配は無い。
ちょ、怖い怖い!
額に青スジがくっきりと浮かび上がっています。
ドッと背中に汗が流れる。
わ、私も何かしたっけ……!?
これに巻き込まれるような事してないよね!?
しょんぼりとうなだれていたネル様とミッチェラさんは、バッとこちらを向く。
おお、凄いスピード…
首のスジ痛めますよ?
大きくてつり目がちな瞳の二人がウルウルと見つめて来るので、折れたネコ耳が幻覚で見えるかのようです。
精神攻撃の威力が凄まじい。
ぐっはッ!!!!
鼻血出そう!!!
「リィカ様ぁ……」
「カグァム嬢………」
やめてほんとに鼻血出るから…!
年下2人のすがるような声はえげつないです。
耳がァ!
そんな正座組をアマリエさんは冷めた瞳で見ている。
うわ、絶対零度のやつだ…
「自分たちで規則違反をしておいて、リィカ様に助けてもらおうとは随分な思考回路ですわね?
ちょん切ってしまおうかしら。
そんな神経は」
「怖いですそれ!」
「ごめんなさぁーい!」
「ア、アマリエさん神経うんぬんはさすがに言い過ぎでは無いでしょうか?
2人ほんとに怖がってますよ…?」
「あら。
リィカ様はお優しいわ(くるぅり)」
「ごめんなさい」
うん、これは無理だわ。
何したか分からないけど、ここまでガチ切れしているアマリエさんを慰める術は私は持っていない。
手を合わせておく。
合掌。
2人が絶望したような表情になる。
ごめん。
「「すみませんでしたーーッ!」」
必死で謝罪する正座組。
ええと、アマリエさんならきっと制裁の手加減も出来るでしょう。
神経うんぬんは脅しだと思う。
思いますよ?
そうですよねアマリエさん「(ニッコリ)」すみませんでしたー!
裁量はお任せします!
と、2人があまりに熱心に謝罪していたためか、アマリエさんがフッと息を吐いて身体強化魔法を解いた。
よ、よかったぁ~!
目の前で神経ちょん切るスプラッタ見なくて済んだよぉ。
あっもちろんネル様ミッチェラさんの心配もしておりますからね?
彼らもホッとした表情をしています。
涙目可愛…げふん。
あっぶな!
ネル様の目が一瞬ギラリと光ってましたよこっわー!
アマリエさんが私に向かってお辞儀をした。
なんだろう?
「リィカ様。
大変申し訳ないんですけれども、私とミッチェラは今日はここで退室させて頂きますわ。
夕飯は後ほど、部屋へと運ばせて頂きます。
しばらく王子殿下と一緒にいて差し上げて下さいませ」
「えっ」
「王子殿下。
貴方へのお説教はまた今度です」
「えええ…!?」
「(ニッコリ)」
「よろこんで!」
ネル様が顔を引きつらせながら、なんとか言い切った。
今度にとか、待つ分の怖さもありますよね~…が、頑張って下さい!
…というか。
今、ネル様と2人きりにされちゃうとちょっと困っちゃいますよ!?
どこでボロが出るとも分かりませんからね?
絶対お茶会の内容について聞かれるし、上手く誤魔化しきれるかなぁー。
…やばい。
そんな自信がまるでない。
ネル様は私の事をじっと見ている。
冷や汗流れる。
どうしよう。
…いつもなら2人きりなんて大歓迎なんだけどなぁ。
困ったような顔でアマリエさんを見ると、彼女も同じような表情で私を見返す。
……えっ?
「お茶会でお疲れでしょうに、こんな事を頼んでしまう私をお許し下さいませ。
でも、リィカ様でないと駄目なのですわ。
どうか王子殿下と、ゆっくり話をして差し上げて下さい」
「………!?」
「王子殿下とミッチェラの違反内容をお教えしますわ。
防犯用魔道具による盗聴です。
…先ほどのお茶会の」
目を見開いて硬直してしまった。
その隙に、「では失礼しますわ」と言って、アマリエさんはミッチェラさんを引きずりつつ退室していってしまう。
私は唖然と立ち尽くすしか無かった。
頭をガツンと殴られたようなショックだった。
あの会話を、聞かれていたの?
ネル様本人に?
…そんなの、なんて声をかけてあげればいいの。
親にあんな事を思われていたなんて、あんまりだ。
上手い言葉は何も浮かんでこない。
ただジワリと涙が滲む。
泣かないって、決めてたのに。
次から次へと、涙がしずくになって目からこぼれ落ちてしまう。
……ネル様が立ち上がる音が聞こえる。
私はもう、そちらを向くことすら出来ない。
視界が真っ白になる。
彼の貴族服だ。
いつものように暖かな身体は冷え切っていて、震える腕が強く強く私を抱きしめていた。
盗聴とか、リィカ様親衛隊の愛の暴走がひどいです。
実にすみません。
読んでくださってありがとうございました!




